クリスマスが終わると、今年もあとわずかなのだなあ…・・・と焦るような気持ちになります。
一年を振り返ってみると、やりとげられなかったことや小さな失敗のことが頭をよぎり、心につきささるものを感じます。
今日の礼拝メッセージを聞いて、いつも笑顔のHon牧師もこのような痛みを感じておられるのだと意外に思いました。
今日はメッセージをメモしたらB5のノート5ページにもなりました。全部はとても紹介できませんので、心に残ったことと自分にあてはめて考えさせられたことを書かせていただきます。
望んでいた結果が得られなかったり、失敗したり…・・・人、ぞれぞれ立ち位置が違うのは、その人の能力の違いのせいだと世間一般の人は考えます。
でも、それは能力の違いではなく、神の意図があって必然的に置かれている場所なのだと教えていただき、なんだかほっとしました。
自分の望みを第一に考え、かなえられるように祈っていると、かなえられなかったとき、挫折感を味わいます。
自分の思いや願いから出発すると、祈りも自己中心的になってしまいます。
かつてのわたしはそうでした。「神様、このことをします。うまくいくように守ってください」と祈っていたのです。何をなすべきか祈って決めるのではなくて、最初に自分で決めてから祈っていたのです。
神様の側から考えること・・・神様のお考えは何だろう・・・神様はわたしに何をしてほしいと望んでおられるのだろう・・・と考えて、たとえ自分の願いと違っても神様のみこころを行うことを第一にすることが大切だと教えられました。
いまから3500年ほど前、エジプトで奴隷としてしいたげられていたイスラエルの人たちは、救い出され、40年荒野で歩まされました。
荒野での生活は決して楽なものではありませんでした。農業をすることもできないので、自分の力で食べ物を得られません。彼らの能力は必要とされず、計画は成就しません。
一方、荒野の生活には奇跡が伴いました。昼は雲の柱、夜は火の柱が彼らを導きました。柱が動くとき彼らも移動し、留まれば何か月でも同じ場所にいなければなりませんでした。
栄養価たっぷりのマナが毎日与えられ、肉が食べたいと言えば、うずらが飛んできて、のどがかわけば岩から水が出ました。
そんなすごい奇跡が起きているのに彼らの中には不平不満がありました。
「あなたの神、主が、この40年の間、荒野であなたを歩まされた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。(申命記8:2)」
とモーセが書き記しています。
『神が彼らを40年間も荒野を歩ませ、苦しみ試みたのは、自分がどんな人か自分自身が知るためだった。』という意味だそうです。
人は、意外と自分の心を知りません。12/19の「言葉で人を傷つけたとき」に書いたようにわたしは、上から目線で話し、人の心を傷つけていましたが、そのことに全く気付きませんでした。でも、乳がんという試みにあったのち、気づかされたのです。
そんな高慢なわたしのことを赦して下さる神様の恵みにただただ感謝するばかりです。
神様の恵みのうちにしか生きられない弱い自分だと知らされたことで、心から次のみ言葉が言えるようになりました。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩編119:71)」
不平ばかり言っていた不信仰なイスラエルの人たちを裁くことはできません。わたしは彼らより不信仰でした。
でも「この40年間あなたの着物はすり切れず、あなたの足ははれなかった(申命記8:4)」と書かれているように、イスラエルの民と共におられた神様は、わたしと共に歩んで下さり、あふれるばかりの恵みを与えて下さいました。
マルコ 14:43「裏切られ、逮捕される」の聖書箇所でした。
私たちの目には思いがけない出来事でも、神さまの御前では、聖なるご計画として用意されていること。
昨日のメッセージは私にとってもたくさんのメモが残りました。
文香さんが受けられる礼拝の恵みをこうして分かちあっていただけて感謝です。
これからもよろしくお願いします。
優しくお話してくださりありがとうございました。
昨日のメッセージ、聞いていて涙が流れてきてしまいました。
「こうでなければ幸せになれない」というような思い込みが私にはあり、
昨日は神さまから「そうではないのだよ」と語りかけられたような気がします。
私は、文香さんのようにメッセージを文でご紹介することができないのですが、
もしよろしければ、こちらの記事を私のブログでご紹介させていただいてもよろしいでしょうか。
突然のお願いで申し訳ありません。
宜しくお願いいたします。
昨日はなかなかまとまりのある文章が書けなくて、書いては消し、書いては消し…3時間ぐらいかかってしまいました。
途中で書くのをやめようと思ったのですが、チャキさんと分かち合う喜びをいただけて感謝です。書いてよかったです。
メッセージのすべてを書くことはできませんでしたが、よろしければどうぞ紹介なさってください。
小さいお子さんを抱えながらブログ書いておられて、素晴らしいです。ご一家の祝福をお祈りします。
ご承諾をありがとうございました。
私のブログの記事から文香さんの記事へ
とべるようにさせていただきました。
ブログは、好きで書いているのですが、
どこまで書いてよいか迷いながら書いています。
素晴らしい、と言ってくださって嬉しいです。ありがとうございます。
お祈りも感謝です。
今年は、次女のお産の際も教会の方々に本当にたくさん祈っていただいて
祈られている幸いを感じました。
お祈りしようと思ってくださるという、そのお心が本当に嬉しいです。
また、お邪魔させていただきます。^^
ブログについては、わたしもまだ迷うところがありますが……ブログを読んでくださる方々も祈ってくださっていると感じて、嬉しく思っています。
祈られていることの幸い。祈れることの幸いを感じつつ。これからもよろしくお願いします。