生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

雲の柱が動くとき

2013-01-21 16:06:28 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
昨年12月に日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のレターに載せるエッセイを募集していました。今年の抱負を400字で書くのです。
年が改まると抱負を聞かれることが多いのですが、できればパスしたい気持ちになります。抱負を掲げても、2、3か月もすると忘れ、年の終わりになって、ああ……年の初めにはこんなこと言ってたんだ……と思い出す始末です。

立派なことを掲げれば掲げるほど、できなかったときの落胆が大きいので、今年は特別大きなことを掲げませんでした。

タイトルは「雲の柱が動くとき」です。文章の内容からすると「雲の柱が留まって」になりますが、もうすぐ動き出す予感がしたので、そういうタイトルになりました。
まずは紹介します。
                  
雲の柱が動くとき


常に何かを書いていた。昨年はOBIの卒業論文、長編児童小説と短編童話数編書いた。
長編を書き終え卒論を提出したら、そのあと書けなくなった。この20年、ひとつの作品を書き上げると、一週間もしないうちに次の作品を書きはじめていたのに……。

創作するとき、ストーリーが結末まで一気に思い浮かび、それから書きはじめる場合と、結末はわからないが、書いているうちに何とかなると思って書きはじめる場合がある。

後者の場合は迷いがあり、たいてい失敗する。未完のまま放り出してしまうこともある。

前者はゴールが決まっているので、迷いなく書ける。神様がストーリーを与えてくださったからだ。

雲の柱が留まっているときは、じっと留まったイスラエルの民のように私も待つことにする。雲の柱が動くとき、新しい物語が生まれる。今年は待つ年になるのか、再スタートの年になるのか、神様だけがご存じである。



雲の柱というのは、旧約聖書の出エジプト記に出てきます。イスラエルの民はエジプトで奴隷のようにこき使われ、虐げられていました。民の叫び声を聞いた神様は、モーセという指導者をたててイスラエルの民をエジプトから脱出させました。

イスラエルの民は、神様が与えてくださるという約束の地を目指して旅をしました。何もない荒野を旅するイスラエルの民が迷わないように、昼は雲の柱、夜は火の柱をたて、柱が動くと民はそのあとについて進み、留まると天幕を張って何日も宿営をしました。そのことを題材として書いたエッセイです。
 
雲の柱まかせだなんて、なんと主体性がない……。自分の意志はないのか? と思われる方もいると思います。自分の意志と力で、努力で勝ち取っていくべきなのにこれじゃ他人任せじゃないか! と言う人もいるでしょう。
 
他人任せといっても、人に任せるわけではありません。任せる方が神様だということに注目してほしいのです。神様に力をいただかなければ何もできないわたしなのです。ですから、神様のGOサインを待っていたのです。
自分の思い、感情の高まりに任せて出発するのではなく、神様の導きを待つというのは、簡単なようで、実は難しいことです。進むより留まる方が忍耐を必要とします。

このエッセイを書いたのは昨年の12月16日です。そして、今年の1月10日ごろ雲の柱が動き出しました。最初は動いたのかどうかわかりませんでした。自分勝手な思い込みということもあるので、すぐには書きはじめませんでした。そうしたら、何度も夢を見ました。書くことを促されている夢でした。

神様は、意外にも早くGOサインを出してくださったのです。新しい作品を書きはじめました。ものすごくスローペースなのですが……神様の栄光をあらわすことができますように。



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