生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

失敗が勝利

2011-05-03 22:03:09 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
今日は、友人の家に招かれていってきました。庭の花がすばらしく、感激しました。


日にちが前後してしまいましたが、30日はクリスチャン・ペンクラブの例会で御茶ノ水へ行ってきました。地震で3月の例会が中止になったので久しぶりでした。
例会ではK兄がエレミヤについてメッセージをして下さいました。紹介させていただきます。


エレミヤはイザヤ、エゼキエルと並んで三大預言者の一人です。「涙の預言者」と呼ばれていました。
当時ユダヤの人々は、イスラエルの神が神殿で常に自分たちを守って下さると思っていました。しかしエレミヤは、それとは反対のことを言いました。


「あなたがたは、『これは、主の宮、主の宮、主の宮だ』と言っている偽りのことばを信頼してはならない。(エレミヤ7:4)」


当時神殿(主の宮)では、礼拝が捧げられていました。しかし、それは形式的なもので、民の日常の行いは主の教えに反するものでした。バアル神を拝んだり、子どもを捧げたり……。
そのことをエレミヤが指摘し、糾弾しています。

エレミヤは反感を買われ、つかまえられて穴に入れられてしまいました。
エレミヤの任務は表面的には失敗に終わったように見えますが、彼においては、失敗が勝利となっています。

ガラテヤ書では『愛の実践を伴う信仰こそ大切です』とパウロが書いています。礼拝さえ守ればいいというのは、出発点が間違っています。

信仰に時間の制約や場所の特定はありません。信じることは、形だけでなく、心が主に向かっているかどうか、イエスを求めているかどうかにかかっています。行いが伴わない信仰は死んでいます。

信仰が日常の行いにいかに反映しているかどうかと常に問い続けていかなくてはなりません。大それたことをするのではなく、花を贈るなど小さなことでもその人のことを思って何かをすることが大切です。


わたしは、エレミヤが気の毒でなりません。
預言者の中でも、彼ほど苦悩した人はいなかったのではと思う程です。神さまの言葉を忠実に伝えたことによって人々から激しく責められます。エレミヤは語るのをやめようとさえします。自分が生まれた日をのろうほどに苦しみます。

エレミヤ20章には真実の愛国者としてのエレミヤ、真の神の預言者としてのエレミヤの葛藤が記されています。
でも、エレミヤは忠実に神さまの言葉を伝え続けます。エレミヤは人々には受け入れられず、エレミヤが忠告したのにも関わらず、南ユダ王国は滅びてしまいます。

それでも『彼においては、失敗が勝利となっています。』というのは、嬉しい言葉です。
神さまの言葉を伝え続けたエレミヤは、主にあって勝利したのですね。


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