生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ファインディング・ドリーを観て

2018-07-17 16:45:49 | その他
この暑さ、いつまで続くのでしょう・・・・・・。異常気象とか温暖化の影響とか言われていますが、世界的に異常なのですね。

被災地もかんかん照りだと聞いて、これ以上熱中症で命を落とす人がないように祈りました。
三連休孫たちが来ていて、ディズニーの『ファインディング・ドリー』のDVDを一緒に観ました。わたしは、はまってしまい、ディズニー映画の中で一番好きな作品となりました。

『ファインディング・ドリー』は『ファインディング・ニモ』の続編です。
ドリーは、今あったこと、聞いたことをすぐ忘れてしまいます。認知症ではなく健忘症です。

けれども、自分とは種が違う人間の言葉やクジラ語を理解出来るほど知能が高かったことがわかります。

ドリーは子どものころ、母親が好きだった紫色の貝殻を拾おうとしてパイプに吸い込まれ、両親とはぐれてしまいました。そのことを思い出し、両親を探す旅に出ます。

旅の途中で、両親と別れてから何年も経っているから見つけるのは無理だと言われたり、ドリーのことを両親は忘れてしまったかもしれないと言われ動揺しますが、あきらめません。

ほとんどのことを忘れてしまったドリーでしたが、両親から愛されていたことと愛していたことを覚えていたのです。愛するお母さんの好きな色の貝を覚えていたので、貝をたどっていって両親と出会えたのです。

ドリーには二つのメッセージがあると思います。ひとつは、病や障がいを持っていても、それがマイナスとして働くのではなく、プラスとして働くということ。病や障がいは欠点ではなく、神様から与えられた特別の才能だということです。

もう一つのメッセージは愛です。この映画を観た人は親子の愛を感じるでしょうが、製作者はもっと大きな愛について描いているのではないでしょうか。
愛されたという経験が非常に大きな力になります。愛されたので、ほかの人を愛することができるのです。両親に愛されずに育った子どもは悲しむかもしれません。でも大丈夫。あなたを造られた神様がまずあなたを愛してくださったので、両親に愛されなかった子どもも人を愛することができるのです。


聖書の言葉

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
                                            (Ⅰヨハネ4:10)



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