生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

やっと機種変更

2015-03-03 17:18:17 | 教会
7年使っていた携帯電話が壊れてきたので機種変更をしようと思いました。最初に購入するとき、息子に携帯ショップに連れて行ってもらい、息子名義で購入しました。

機種変更するには名義人でなければできないと聞いたので、名義変更するために携帯ショップに主人に連れて行ってもらいました。携帯ショップは土浦には2か所しかなく、家からどちらも車でないと行けない距離にあります。
名義人である息子に委任状を書いてもらい、息子の免許証のコピーを持って行ったのですが、書き間違えがあって受け付けてもらえず、後日書き直して持って行くと、また別の箇所の間違えを指摘されて受け付けられませんでした。それで、何と4回も行ったのですが名義変更ができなかったのです。
間違えや書き足りないところを一度に教えてくれたら2回で済んだのに……。と、悲しくなりました。
いつも穏やかでめったに怒らない主人が、「社員教育はどうなっているんだ!」と声を荒げました。怒って当然なのですが、わたしはペコペコ頭を下げて早々に店を出ました。

息子に電話して事情を話すと、その日は仕事が休みだったのですぐ来てくれました。本人が行ったので、あっけないほど簡単に名義変更できました。

そして、今日やっと機種変更できました。スマホではなく、またガラケーです。(ちょっと迷いましたが、携帯でじゅうぶんということに気づきました)
店員さんが「7年も使ったとは、すごいですね。6年なら聞いたことあるけれど7年使った人は聞いたことがありません」ですって。
さすがに7年使った携帯は愛着があって、手放す気にはなれません。液晶には筋が入り、あちこちぶつけて色が剥げている携帯。毎日手元に置いていました。よく壊れず、なくなりもせず一緒にいてくれたなあと感謝しています。
メールや画像がまだ入っているので、大事にとっておきます。


1日の礼拝では、「光の中を歩む」とはどういうことか教えていただきました。
「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(Ⅰヨハネ1:7)」

光の中を歩むとは、神の前に誠実に歩むこと。また、罪を隠そうとはせず正直に神の前に告白すること。
一方闇の中を歩むとは、罪を認めず、無視すること
だそうです。

自分は光の中を歩んでいるのだろうかと不安になることがあります。それは自分の中に罪があるからです。

でも、罪があることを認め、悔い改めることにより、神様はイエス様の血によってすべての罪を赦して下さいます。
罪に気づき、認めることによってきよめていただけるのですね。

また、きよめるという言葉の本来の意味が継続的な動作を示す単語なので、きよめ続けるという意味があるそうです。

日々罪を犯しますが、日々きよめられているのです。



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