5日の礼拝では、新約聖書の使徒の働き12:1-12から「プレゼント」と題して大方(デバン)教会の先生がお話しして下さいました。メッセージは韓国語で(もちろん通訳つきです)ものすごい勢いで話されたので、すべてを書き留めることができませんでした。
神さまは、私たちに「平安」と「祈り」というプレゼントを与えて下さっていると言われました。
平安とは、自分の機能を発揮することだそうです。飛行機が無事空港に着くということは、飛行機の部品ひとつひとつが機能を全うしているからです。体が平安なときはひとつひとつの器官、細胞がその働きを全うしているときです。
「使徒の働き」は、イエスさまの十字架の死と復活の後の弟子たちの働き、初代教会のようすを記した書です。
初代教会はひどい迫害を受けました。12章にはヘロデ王によってイエスさまの弟子ヤコブが殺され、ペテロが捕らえられて牢獄に入れられたことが書かれています。
ペテロが捕らえられたとき、教会では熱心な祈りが捧げられていました。ペテロは2本の鎖に繋がれてふたりの兵士の間で寝ていました。そのとき、み使いがペテロのわき腹をたたいて起こし、牢から助け出しました。
ペテロは牢獄で鎖に繋がれ、明日は殺されるかもしれないという危機的状況にあったのにもかかわらず、み使いがわき腹をたたいて起こさなければならないほどぐっすり寝入っていました。
なぜこんなときぐっすり眠れたのでしょう? ペテロは自分の人生すべてが神のみ手にあると信じて、どこに行っても、どんな状況にあっても神さまが共におられ、助け、守って下さると信じていたからです。この信仰がペテロに眠りを与えてくれたのです。この平安は神の民が享受する平安ですと語られました。
わたしは、どうなのだろう?と自分に問いかけてみました。 いまは平安です。いつも平安でしょうか? そうとはかぎりません。
心配事があると、夜眠れなくなってしまいます。想像力豊かなのは創作にはプラスに働きますが、こういうときはマイナスに働き、誇大妄想にとりつかれてしまいます。そうすると全く眠れません。あせるとますます眠れなくなります。そして、たちまち体調がくずれてしまいます。
そんなときは祈るしかありません。
神さま助けて下さい。不信仰なわたしを赦して下さい。心配でたまらないのです。でも、いっさいのことがあなたのみ手の中にあるのですね。いつもあなたが共にいて守って下さるのですね。あのことも、このこともあなたにお任せします。
このように祈るとほっと安らいだ気持ちになります。これが、神さまの下さるプレゼント、平安なのですね。
平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ眠りにつきます。
主よ。あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。
(詩編4:8)
どなたなのかしら……?と思いめぐらしています。教会で声をかけて下さいね。こちらこそよろしくお願いいたします。