昨日の続きです。
神さまは、私たちに「平安」と「祈り」というプレゼントを与えて下さっているとメッセージで語られましたが、わたしは今まで「祈り」がプレゼントであるという感覚はありませんでした。
聖書にはペテロが牢獄に入れられたとき、教会は彼のために、
神に熱心に祈り続けていた。(使徒12:5)と書かれています。
教会の人たちは何の力もなく、ペテロを助けることができませんでした。でも、彼らは祈ることができました。祈っていたから奇跡が起きたのです。ペテロの鎖ははずれ、牢獄の扉は開かれました。
祈りによって奇跡が起きるのは聖書の世界だけではありません。神さまは今も生きておられ、わたしたちの祈りを聞き、奇跡を見せて下さいます。
確かにわたしの人生の中でも奇跡が起きています。去年は、父の魂の救いを祈った結果、父はイエス・キリストを信じて召されました。今年は、わたしの書くあかし文章が用いられるようにと祈った結果、テレビ出演、よろこびの泉執筆、そしてペンライト賞の入選……。これらは神さまの奇跡です。
祈りは神の子だけに与えられている特権です。わたしたちが霊的跳躍するため、神さまは祈りというプレゼントを下さったのですと聞いて、祈ることができる喜びを感じました。
祈らずに、自分の力で何とかしようともがいてもどうにもならないときがあります。
人間は自分の力で生きられない弱い者です。祈るとき神の霊が働き、助けが与えられます。祈る人生は神の力によって生きる人生です。
リンカーンは祈りの部屋を発電所と言ったそうです。祈りにより奴隷解放の力が与えられ、大統領としての使命を全うしたのです。
祈りは霊的発電所です。祈りには力があります。なぜ力があるかというと、イエスのみ名によって祈るからです。イエスさまはすべてのものを造られた神さまです。イエスさまは死んだ者を生き返らせる力を持っておられるお方です。
だから力があり、奇跡が起きるのですね。
祈ることによって祝福された人生を送ることができます。祈りは凧の糸のようです。祈りを離れると、糸の切れた凧のようになります。糸が切れると、一瞬高く上がりますが、すぐ墜落してしまいます。凧は糸につながっているゆえに高く上がるのです。
どんな小さなことでも祈って下さい。祈りの特権を用いて祈って下さい。皆さんがこのプレゼントを享受できますように。と最後に薦めがありました。
祈りというプレゼントが与えられていることを深く感謝しました。これからもっと熱心に祈り、どんな小さなことでも祈っていきたいです。
「わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます(ヨハネ14:27)」