連日の猛暑で夏バテしています。先日から揚げで熱中症(?)になってから、体調がすぐれませんでした。いまだに時々めまいがするので、めまいがしたときは、しばらく休んでいなければなりません。幸いこの間ほどのひどいめまいではないので、30分も休めば元気になります。
おそらく、暑さに慣れてないので、体がついていかないのでしょう。(加齢のせいだとは認めたくないのですが……)
これから赤ちゃんが我が家に来るのですから、わたしがふらふらしていては困りますね。
娘のおなかの赤ちゃんは順調に育っています。もう3200グラムになっているそうです。
いまは、出産前に出産時の体重がわかるのですね。(誤差はあるでしょうけれど)生まれて来るのを待つばかりです。
昨日は体調が良かったので水曜礼拝に行ってきました。
モーセの十戒の学びでした。十戒とは、神様がイスラエルの民に与えた10の戒(いまし)めのことです。
こう書くと、自分はイスラエル人ではないし、自分には関係のないものだと思う人も居るかもしれません。
でも神様は、十戒を授けるときに「あなたの神、主である」とご自身を示されました。「あなたの神」の「あなたは」単数で書かれているそうです。つまり、人間ひとりひとりに対して与えてくださったものなのです。
『十戒は神様の愛のあらわれ』と牧師先生が言われました。
人が幸せに生きられるように神様が与えてくださったものだったのです。
十戒の1~4は人が神に対して守る戒めで、5~10は人が人に対して守るべき戒めです。
十戒のひとつめは「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出エジプト20:3)」です。
他の神々とは、人が神よりも信頼したり、神より優先させるものを持つことだと聞いて、はっとしました。
わたしは、小説や童話を書くとき、熱心に調べ物をしたり、遠くまで出かけて行ったり、何時間もパソコンのキーボードをたたいて夢中になります。もちろん、それが悪いわけではありませんが、神様を第一に考えないで、自分の興味のあることに熱中するのは、ほかの神々を作っているのと同じです。
新約聖書のローマ人への手紙6:13には、「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神に捧げなさい」と書かれています。
ほかの訳では、器は『楽器』と書かれているそうです。楽器の価値は奏でる人によって決まります。
わたしが楽器なら、オルガンでしょうか。パイプオルガンではなく、古い足踏みオルガンです。
古い足踏みオルガンでも神様に奏でていただくとき、すばらしい音色が出るでしょう。神様に奏でていただくということは神様におまかせし、導いていただくことです。
神様がご自身を「あなたの神」とあらわされたことは、神様がわたしたちひとりひとりを愛して止まないということをしっかり心に留めたいです。
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おそらく、暑さに慣れてないので、体がついていかないのでしょう。(加齢のせいだとは認めたくないのですが……)
これから赤ちゃんが我が家に来るのですから、わたしがふらふらしていては困りますね。
娘のおなかの赤ちゃんは順調に育っています。もう3200グラムになっているそうです。
いまは、出産前に出産時の体重がわかるのですね。(誤差はあるでしょうけれど)生まれて来るのを待つばかりです。
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モーセの十戒の学びでした。十戒とは、神様がイスラエルの民に与えた10の戒(いまし)めのことです。
こう書くと、自分はイスラエル人ではないし、自分には関係のないものだと思う人も居るかもしれません。
でも神様は、十戒を授けるときに「あなたの神、主である」とご自身を示されました。「あなたの神」の「あなたは」単数で書かれているそうです。つまり、人間ひとりひとりに対して与えてくださったものなのです。
『十戒は神様の愛のあらわれ』と牧師先生が言われました。
人が幸せに生きられるように神様が与えてくださったものだったのです。
十戒の1~4は人が神に対して守る戒めで、5~10は人が人に対して守るべき戒めです。
十戒のひとつめは「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。(出エジプト20:3)」です。
他の神々とは、人が神よりも信頼したり、神より優先させるものを持つことだと聞いて、はっとしました。
わたしは、小説や童話を書くとき、熱心に調べ物をしたり、遠くまで出かけて行ったり、何時間もパソコンのキーボードをたたいて夢中になります。もちろん、それが悪いわけではありませんが、神様を第一に考えないで、自分の興味のあることに熱中するのは、ほかの神々を作っているのと同じです。
新約聖書のローマ人への手紙6:13には、「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神に捧げなさい」と書かれています。
ほかの訳では、器は『楽器』と書かれているそうです。楽器の価値は奏でる人によって決まります。
わたしが楽器なら、オルガンでしょうか。パイプオルガンではなく、古い足踏みオルガンです。
古い足踏みオルガンでも神様に奏でていただくとき、すばらしい音色が出るでしょう。神様に奏でていただくということは神様におまかせし、導いていただくことです。
神様がご自身を「あなたの神」とあらわされたことは、神様がわたしたちひとりひとりを愛して止まないということをしっかり心に留めたいです。

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でも、わたしなどと違い、土筆さんはいつも神様の愛をお証しするという目的で書かれていますので大丈夫ですよ。ほんとうです。
それに、文学を通して、神様の愛を伝えようとする場合には、ある程度のことは許されるのではと、わたしは思っているのですが、どうなんでしょうかね。
書くことは苦しい反面、楽しいのです。
熱中し過ぎて神様の愛を伝えることから離れてしまわないように自戒しています。
優先順位を反省いたしました。
文香さんは、お手本です❣️
色々失敗してきました。
今はただ、主に用いていただけることをいちばんの喜びとしています。