生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

「聖なる」とは?

2009-09-15 12:51:12 | 聖書から

今朝は内科の診察日で病院に行ってきました。(弱い雨が降っていましたが、合羽を着て自転車で行ってきました)8:30予約だったので待たされずにすみ、9:30には家に戻っていました。

内科には3か月に1度、喘息の予防薬をいただきに行っています。この数年、喘息の発作が一度も起きないので感謝です。
外科や婦人科にも定期的に通っているので、内科は卒業したいのですが……。予防の吸入をやめるとまた発作が起きるようになると言われてしまいました。

病院に新型インフルエンザの人もいるかもしれないと思い、しっかりマスクをしていきましたが、患者でマスクしている人は10人にひとりぐらいだったので、不思議に思いました。数か月前に病院へいったときは、ほとんどの人がマスクをしていたのに・・・。
そういえば近くのスーパーの店員さんは、7月ぐらいまで全員マスクをしていたのに今はだれもマスクをしていません。今の方が流行っているのに不思議ですね。


今日は詩篇99編を読みました。詩篇99編には「主は聖である」という言葉が何回もでてきます。聖なるとはどういう意味なのでしょう。

「聖」という言葉のもともとの意味は『わけ隔(へだ)てる』です。神様は私たちの住んでいる世界から隔たった方であることを示しています。

聖書には「人にはできないことが神にはできるのです。(ルカ 18:27)」と書かれていますがなかなか信じられなくて、神様もわたしたちと同じようにできないことがあるのではないか? と思ったりしてしまいます。
でも、。神様はどんなことでもできるのです。

引っ込み思案のわたしは、小学生のころ、人前で話すことはおろか必要なことを先生に言うことすらできませんでした。意識的に目立たないようにし、いつも人の陰に隠れていました。

今でも人前で話すときはドキドキしますが、そんなわたしがCSで60名もの子供の前でお話しをしたり、2年前はテレビ出演(ライフライン)をさせていただいて・・・子どものころのわたしを知っていた人ならびっくりするでしょう。

わたしの力だけでは不可能なことでも、神様が働いて下さればどんなことでもできるという証拠です。

神様が聖であるというもう一つの意味は、神が人間から引き離され、隔絶された方であるということだそうです。
隔絶された方というと『わたしたちとかかわりのない』方だと思うかもしれませんが、決してそういう意味ではありません。神様はわたしたちの必要をご存じで、わたしたちの訴えを聞き、それに応答して下さる方です。

「彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた(詩編99:6)」

神様は、神様から背を向け、敵対していたわたしたち人間のためにひとり子(イエスさま)をおくってくださいました。そしてわたしたちを救うためにひとり子を十字架につけてくださいました。

自分の愛する家族や友人のために命を捨てる人はいるでしょう。でも、敵のために命を捨てられる人はいませんね。ましてや愛する自分のひとり子の命を敵のために差し出すことなんて決してできないでしょう。

でも、神様は人間のできないことをしてくださいました。神様が人間とは隔たったお方である、つまり聖なるお方であるという根拠です。

聖なるお方に愛されているわたしは、なんて幸せなんでしょう。わたしだけでなく、このブログを読んで下さるあなたも愛されています。


われらの神、主をあがめよ。
その聖なる山に向かって、ひれ伏せ。
われらの神、主は聖である。(詩篇99:9)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。