昨日はOさん宅での家庭集会でした。
男性と女性の視点の違いについて興味深いお話を聞きました。
男性は「構造」から考える人が多く、そういう人は、概念、理念、原理、原則、普遍性、公性優先、左脳派で、現場に埋没しないで大所高所から発想できる。
一方女性は、「ぬくもり」から考える人が多く、生活実感、具体性、特殊性、私性、親しみ優先、右脳派の人が多く、関係性を豊かにできる。
「構造」から考える人は、場所を尋ねられたとき、頭の中に地図が描けるので相手に正確に伝えることができるそうです。わたしの最も苦手なことです。
また、「構造」から考える人は神様が自分の頭に納められないので、神様を信じることが難しいと聞いて、まさにわたしの夫もそうなのだと思いました。
でも、そのような男性が大勢クリスチャンになっています。信じ難い人でも、あるとき、ひっかかっていたことすべてが解決して信じることができるようになります。それは人の力ではなく、神様の力ですね。
理屈で考えると、神の存在がわからなくなります。科学的には証明できないからです。
まさに奇跡は原理、原則、普遍性から逸脱しているので受け入れられないでしょう。でも、神の存在が奇跡に始まり奇跡に終わっているのです。
旧約聖書のいちばんはじめには、「初めに、神が天と地を創造した(創世記1-1)」と書かれています。新渡戸稲造は、この聖書の言葉を漢文で読み、信仰に導かれたそうです。
神様が何もないところから天と地を造られたこと受け入れられれば、理屈にあってなくても信じられますね。神様は理屈を超えた存在だからです。
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男性は「構造」から考える人が多く、そういう人は、概念、理念、原理、原則、普遍性、公性優先、左脳派で、現場に埋没しないで大所高所から発想できる。
一方女性は、「ぬくもり」から考える人が多く、生活実感、具体性、特殊性、私性、親しみ優先、右脳派の人が多く、関係性を豊かにできる。
「構造」から考える人は、場所を尋ねられたとき、頭の中に地図が描けるので相手に正確に伝えることができるそうです。わたしの最も苦手なことです。
また、「構造」から考える人は神様が自分の頭に納められないので、神様を信じることが難しいと聞いて、まさにわたしの夫もそうなのだと思いました。
でも、そのような男性が大勢クリスチャンになっています。信じ難い人でも、あるとき、ひっかかっていたことすべてが解決して信じることができるようになります。それは人の力ではなく、神様の力ですね。
理屈で考えると、神の存在がわからなくなります。科学的には証明できないからです。
まさに奇跡は原理、原則、普遍性から逸脱しているので受け入れられないでしょう。でも、神の存在が奇跡に始まり奇跡に終わっているのです。
旧約聖書のいちばんはじめには、「初めに、神が天と地を創造した(創世記1-1)」と書かれています。新渡戸稲造は、この聖書の言葉を漢文で読み、信仰に導かれたそうです。
神様が何もないところから天と地を造られたこと受け入れられれば、理屈にあってなくても信じられますね。神様は理屈を超えた存在だからです。
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