生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

どんなに非難されても忘れられる

2013-06-04 16:57:32 | 教会
クリスチャンの詩人、八木重吉の詩に「願」というのがあります

  願
私は
基督の奇跡をみんな詩にうたいたい
マグダラのマリアが
貴い油を彼の足にぬったことをうたいたい
基督の一生を力一杯詩にうたいたい
そして
私の詩がいけないとけなされても
一人でも多く基督について考える人が出来たら
私のよろこびはどんなだろう


わたしは、この詩に心打たれました。人からけなされても自分の書いた詩を読んで一人でも多くキリストについて考える人ができたら嬉しいと書いています。

実際、けなした人がいたのかもしれません。
でも、重吉は人からの評価を全く気にしていなかったのです。けなされても心騒がせることがなかったのでしょう。
また、自分の詩が認められたいとか、評価を得たいという気持ちではなく、キリストを伝えたい一心で書いていたのです。


先日の礼拝メッセージでは、パウロのことが語られましたが、パウロとも通じるところがあります。
パウロは使徒の働き20:19で「数々の試練の中で主に仕えました」と書いています。試練とは、人から誤解されたり、さまざまな批判の声が聞こえたり、反対されたりしたということが含まれていいます。

パウロはどんな声が聞こえてきても、益になることなら少しもためらわず伝えたのです。
「人にではなく、主(キリスト)に仕えていると、どんなに人からひどいことを言われても、非難されても、辛いことがあっても忘れられる。」と牧師先生が言われました。

人からの評価は絶対ではありません。たとえばあなたが「お前は役立たずの人間だ」と言われたとします。あなたが、その人にとって役に立たなかったとしても、ほかの誰かにとっては役立つ存在に違いありません。あなたが気づかないだけで、すでに役に立っているかもしれません。

あなたが「お前なんかいなくなればいい」と言われたとしても、言葉通りに受け取ってはいけません。
あなたにいてほしい。何もできなくても、あなたがいるだけでうれしい」とイエス・キリストは言ってくださいます。

パウロは人からどんなに非難されても「神に対する悔い改めと、イエスに対する信仰」を語ることをやめませんでした。このことは、神様からの全人類へのメッセージだからです。

八木重吉は結核を患い29歳で召されるまで、人からけなされても、キリストを示す詩を書き続けました。



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