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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

聖書の世界が3D映像で

2012-04-27 15:28:36 | 聖書から
水曜礼拝の前(10:00~10:30)に、聖書輪読会をしていました。小グループのメンバーが集まって、1回に1章を輪読し、感想や受けた恵みなどを話します。輪読会は10年以上続いていて、これまでに新約聖書2回通読し、旧約聖書は出エジプト記32章まで読み進みました。月に2回ほどしかできないこともあり、実にゆっくりとした進みです。

この10年の間にメンバーも変わり、今は3人だけです。わたしは発起人ではありませんが、第2回目からずっと参加しています。

3人のメンバーの1人が朝の時間参加できなくなり、もうひとりは奉仕が入って月に2回しか参加できなくなったので、思い切って月に1度ですが、午後にすることにしました。(回数は増える可能性あり)
水曜礼拝の後、楽しく語らいながらお弁当を食べ、そのあと輪読会です。

一昨日、初めて午後の輪読会を開きました。いつもは1章だけですが、時間があったので3章も読みました。

いつも不思議に思うことは、聖書をひとりで読んでいるときには気づかないことや、感じられないことが、ふたり以上で読むと何倍にも感じられることです。

神様がシナイ山に降りてこられたとき、「山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震えあがった。(出エジプト19:16)」と書かれ、そのとき全山が激しく震えたというのを読んで、山の轟と角笛の響きが聞こえ、煙の立ち上るシナイ山が見えたような気がしました。しかも3D映像で。すごい迫力でしたよ。

こんな体験をすると、どんな困難があっても輪読会を続けたいという気持ちになります。

今読んでいる箇所は、シナイ山でモーセが神様から石の板に書かれた十戒を受けるところです。
シナイ山で神様から十戒を受けたモーセが山を下りていくと、人々はアロンに金の子牛を作らせ、それを神として拝んでいました。
神様がいちばん忌み嫌われる偶像礼拝をしていたのです。

32章を読んだ感想を3人で語り合いました。

「どうしてイスラエルの民は待てなかったんだろうね」
「モーセは40日間も山へ登ったままだったのよ。」
「40日って長いよね。モーセが40日後にもどってくるとわかれば、待つことができたんじゃないかな」
「でも、わからなかった。神様は《いつ》ということを教えてくださらないことが多いね」
「このままモーセがいなくなってしまったらという思い、見えない神様の存在すら不安になったので、目に見えるものを拝みたいと思ったのでしょう」
「イスラエルの民を笑えないね」
「それにしても、それを見たモーセは怒って神様からせっかくいただいた大切な十戒の書かれた石の板を砕いてしまうとは……。」
「モーセは激情型だったの?」

 ここまでで時間が来てしまいました。

わたしは、モーセは決して激情型だったのではないと思います。
モーセは、民が金の子牛を拝んで罪を犯していることは、神様から聞いて知っていました。そして神様の怒りを知り、どうか滅ぼさないで下さいととりなしています。

だから、激情にかられてやった行為とは思えません。神様がどれだけ民の行為を嘆いているか知らせるためだったのかもしれません。
そして神様は、板を砕いたことを責めず、再び同じものを授けてくださいます。

次回は5月16日(水)輪読会参加者を募集中です。



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