生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

弱さがあっても

2012-04-21 15:41:06 | 聖書から
昨日はOさん宅での家庭集会でした。T.S.先生による聖書の学びで印象に残ったことを書かせていただきます。


小学生のころ、道徳の時間で習ったことは、深くしみこんでいます。いい人の例が挙げられて、このような人を見習いましょうと勧められ、悪い事をしてしまった人の例が挙げられ、このようなことをしてはいけませんと教えられました。

聖書を読むときも、無意識にこの人はいい人か悪い人かと振り分けてしまうことがあります。でも、聖書は決してそういうことを言っているのではないと教えていただきました。

信仰の父と呼ばれているアブラハムは、過ちを犯しています。エジプトに行ったとき、自分の奥さん(サラ)があまりにも美しいので、夫婦だと言うと殺されてしまうかもしれないと恐れ、妹だと偽っています。そんなことが2回もありました。

神様の介入によって事なきを得ますが、信仰の父と呼ばれた人が、恐れを抱いて嘘をついてしまったことが聖書に書かれているのは興味深いことです。

このように弱いところのある人、罪を犯してしまう人であっても、神様はその人を選び、その人の生涯を導いてくださることがわかり、感謝しました。

アブラハムは親族とともにウルという町に住んでいました。ウルという町は、月神礼拝の盛んなところで、父親のテラや兄弟も月神礼拝をしていたそうです。

そのような中でアブラハムは神様からウルの町を出て、約束の地へ旅立つように示されました。兄弟ナホルは同行しませんでした。月神礼拝で商売をしていたのでそれを捨てることができなかったのかもしれません。
アブラハムの家族内で、もめたかもしれません。もうひとりの兄弟ハランは、父親のテラより早く、ウルの地で召されています。

テラはアブラハムと一緒に出発します。でも、約束の地よりずっと手前のハランの地に留まることを希望し、そこで召されてしまいます。

神様はなぜアブラハムを選んだのか……。その理由は分かりません。アブラハムがいい人だったからでも特別信仰深かったからではないことは確かです。でも、アブラハムは葛藤しながらも生涯神様と共に歩みました。

「信仰生活は神様とのつきあいです。神様から卒業してしまわないように」と牧師先生が言われました。


肉体的にもそうですが、精神的な弱さを抱えているわたしです。恐れや不安にとりつかれて自ら行動を起こし、何度も失敗しています。

信頼して待つことの苦手なわたしです。でも、神様は「恐れるな」と言ってくださっています。恐れを抱いたとき、立ち返る場所があるとうのは何と幸いなことでしょう。

「アブラハムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1)」


2007年6月1日に「アブラハムに思いを寄せて」を書いています。こちらも読んでくださると嬉しいです。



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