生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

理由なき喜び

2012-04-13 11:39:02 | お茶の水聖書学院
体調がもとに戻ってきました。外へ出かける体力もつきました。
先日の風雨で散ってしまったかと思われた桜でしたが、桜川の土手の桜は満開でした。


待っていてくれたのね、桜さん
今年も咲いてくれてありがとう
あなたの美しさが
ことさらまぶしく感じます。


OBIのDVDでの学びを再開しました。
学びの中で「理由なき喜び」というのが印象に残りました。
紹介させていただきます。

************************************
わたしたちは何かを喜び、何かについて喜ぶ習慣がある。その何かとは、普通の生活からかけ離れた特別なものである。そうすると、当然普通の生活というのは、辛い、喜びのないものになる。

ところが、本当の喜びとは、何かから来るのではなく、神から来る。(略)キリストが私たちを苦労から離れさせ、バラ色の中に連れて行ってくれるわけではない。苦痛のある日常生活の中に喜びを送ってくださる。

本当の喜びとは理由なきものである。それは、キリストから来る喜びである。
それは事物に先立ってそこにある。

獄中で賛美したパウロは、嬉しいことがあったわけではない。体は拘束され、死の危険もある獄中であってもキリストと共にいる喜びに満たされて賛美したのだ。

生活のうちに理由なき喜びを見出すことができるように。
*************************************

具合が悪かった後なので、ことさら『理由なき喜び』を感じています。

満開の桜を見ることができたこと。食事がおいしくとれること。パソコン作業ができること。深呼吸ができること。
病後だけではありません、病中にも『理由なき喜び』がありました。

友人がわたしの病の癒しのために祈ってくれていること。熱が高くても、呼吸困難や激痛がなくて、うとうと眠れること。快適な自分の場所で横になっていられること。

天地を作られた創造主と直接お話しができること。わたしの体の細胞のひとつひとつを造り、体の中がどういう状態になっているかすべてご存じである方に信頼できること。
病床にいるのは私一人ではなく、イエス様が共にいて一緒に苦しんで下さっていること。

そういえば受難週のメッセージで以下のようなことが語られました。


苦しみの只中にあって、イエスと共にいることに気づいたとき、肉体の苦しみは同じでも充実感と喜びが与えられます。

神と共にいるとは、神に訴え応答を待つ関係を持つことです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村
↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。




拍手ボタンです

web拍手