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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

できることから始めよう

2012-04-02 17:12:58 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
31日に行われる日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会に行くため、金曜日から都内の実家に行き、泊まっていました。金曜日はいいお天気でしたが、土曜日は春の嵐でした。駅に行くと電車が止まったり、遅れたりで混乱していました。

中央線や山手線はどんなに遅れてもたいしたことはありません、でも常磐線が遅れると帰り着くまでに何時間もかかってしまいます。常磐線は少しの風でも遅れたり、止まったりするので、TX(つくばエクスプレス)で帰ろうと決心してお茶の水に向かいました。

天候が悪いのでJCPの例会に参加する人は少ないのではないかと心配していたら、なんと新来者の方も含めて16人もの参加者がありました。

とても恵まれて帰ってきました。久しぶりに乗るTXは快適でした。
JCPの礼拝でのメッセージを紹介させていただきます。


遠藤周作の「神と私」(朝日文庫)の中にある「私のイエス」より。

フローベルという作家の短編にこういう話があります。


寒い日にひとりの聖人が歩いていると、ハンセン氏病患者が近づいてきて「マントを下さい」と言った。
聖人がマントを与えると、その病人は服をくださいと言う。服をあげると、今度は下着をくださいと言って、聖人はとうとう裸になってしまった。
ところが、病人は、それでも寒いと言って、抱いて温めてほしいと要求する。そこで、聖人が抱きしめると、もっと強く抱きしめて、もっと強くと言い出した。聖人が強く抱きしめていると、その病人がいつの間にかイエスに変わった。

私は、この短編を大学生の時に読んで、ありえないと思ったが、年をとるにしたがって感想が変わってきた。このハンセン氏病患者というのは人生だ、ということがわかった。人生というのは、膿が出たり汚らわしいことが多いが、それを捨てずに抱きしめていると、イエスにあって光に満ちてくると考えるようになった。

 
神の愛とは、汚れたものを捨てないで抱きしめていく愛だと遠藤周作は思ったのです。
イエスの愛はやさしいものではありません。むしろ難しいです。
ルカ6:27に「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。(新共同訳)」と書かれています。イエスは愛を実行されました。

汚れた世の中でも私と同じ人間が生活しています。嫌いな人を愛するのは大変なことですが、その人のために祈ることができます。
まず祈ることから始めましょう。一歩前に進んだとき、光が見えてきます。それが敵を愛することにつながります。


フローベルの短編にまず心打たれました。わたしだったらマント一枚あげることができなくて「ごめんなさいね。これをあげたらわたしが風邪をひいてしまうから。余分にあったらあなたにあげるわ」と言って逃げるようにして走り去ってしまうような気がします。

もし、マントや服を病人にあげられたとしても、抱きしめることはできないでしょう。病気がうつる恐怖。汚いと思う気持ち……。

ああ、何てわたしは自分本位なのでしょう……。これではイエス様に出会うことができません……。

いいえ。イエス様はこんな自己中心なわたしを見出して下さいました。寒さに震え、汚れているのはこのわたしで、イエス様は何のためらいもなくマントや上着、下着を下さり、抱きしめてくださいました。

今のわたしにできることは、イエス様に感謝すること、祈ること。できることから始めようと思いました。


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