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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

不安と恐れの反対をいただいて

2011-12-26 16:45:31 | 教会
祖母が89歳で死んだとき、深い悲しみと喪失感に襲われました。祖母とは生まれた時から一緒に暮らしていました。小学生になると祖母の部屋にわたしの机を置いて、夜も祖母と一緒に寝ていました。
母に叱られるといつも祖母のところへ助けを求めに行っていました。

祖母がわたしより先に死んでしまうことを頭では理解していたのに、亡くなってみるとなぜ死んでしまったか納得できないのでした。

どうして人間は老いて死んでいくのだろう……一日一日死に近づいていっているのになぜみんな平気な顔をして冗談言って笑ったりしているのだろう……と思いました。

あるとき、「どうして生きているものはみんな死んでしまうの?」父に聞いたことがありました。
すると、「縁起の悪い事を言うものではない」としかられてしまいました。

死を忌み嫌うものとして話題に出すことすら避けている文化の中で答えを求めるのは難しかったのだと思います。

昨日のクリスマス礼拝のメッセージの中で、子どもの頃のわたしが聞きたかったことの答えを聞くことができました。
(青字が牧師先生の語られたこと、茶色字がわたしの思ったこと、緑字が聖書の言葉です)


あるユダヤ人が幼少期に死んだ鳥を見た時の親子の会話です。
「なぜ鳥は死んだの?」
「生きている者はみんないつかは死ぬんだよ」
「パパもママも、ぼくも?」
「そうだよ。でも、長いこと生きて、いい人生を送ってから死ぬんだ」
「なぜ死ぬの?」
「世界の所有者がそのように造られ、死が定められたからだよ」
「なぜ死が定められたの?」
「いのちがかけがえのないものであるためにだよ」


この少年の親は死について隠すことなく真実を語っています。それでいて子どもが死の恐怖にとりつかれてしまわないように愛の配慮をしています。
世界の所有者というのは、造り主、創造者のことです。
いのちに終わりがあるからこそ、かけがえのないものであることを教えています。


いのちあるものは時間と共に変化します。時間と共に成長し、衰え、必ず終わりが来て死を迎えます。
二度と繰り返せない日。かけがえのない日々。いのちに期限があるからいとおしいのです。震災でいのちのはかなさを実感し、いのちの流転を悲しみました。


メッセージがここまでなら、悲しみは癒されません。でも、ここからが大切で、ユダヤ人の親子の会話には出てこなかったことです。


永遠なることば(神)が時間の制約の中に入ってこられました。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(ヨハネ1:14)」


とこしえの神が流転の中に来て下さいました。もろさ、はかなさ、限界のある中に来て下さいました。恵みとまことを運ぶためにです。

恵みとは赦しのこと、まこととは神の誠実さです。それは不安と恐れの反対です。
神は人類を流転の世界からとこしえの世界へ招いて下さいます。流転の中で人生のはかなさを感じ、もがいている人のために来て下さいました。


「というのは、律法はモーセよって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。(ヨハネ1:17)」


恵みとまことを受け取った者は感謝にあふれ、感謝のゆえによいことをしようとします。


いつかは朽ち果てる者であることを知って虚しい日々を過ごしていたわたしです。
どうあがいても時間の制約からのがれられないわたしたちですが、永遠なる神が制約の中に入って来て下さり、死を滅ぼし、永遠のいのちを与えて下さいました。

イエス・キリストは滅んでいくしかないわたしたちを救うためにお生まれになったのです。
わたしはイエス様から恵みとまことを受け取りました。その喜びをひとりでも多くの人に伝えたいです。

メッセージの後、聖歌隊によるクリスマスオラトリオ「喜びの叫びをあげよ」の賛美がありました。ドイツ語での賛美でしたが、スクリーンに日本語訳が載っていたので意味が解ってよかったです。「叫べ」、「喜べ」と力強い賛美を聞いて喜びに満たされました。




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