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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

直るということ(その2)

2009-11-23 12:27:31 | 聖書から

この女の人は、医者からはひどい目にあわされ、財産は使い果たし、しかも病はなおりません。また、病のせいで社会的にも疎外されて、(当時、婦人病である長血は汚れた病だといわれていました)どれだけ辛かったことでしょう。生きる気力を失っていたかもしれません。そんなときイエス様の噂を聞いて、一筋の希望を見出したのです。

噂を聞いただけで、イエス様の着物に触れば癒されると信じたその信仰はすばらしいと思います。
イエス様に近づいたら非難され、人々に押しとどめられてしまうかもしれないのに、女の人は勇気を出して近づいて行きました。
すると、イエス様の着物にさわった瞬間に直ったのです。


「病気が治るなら『治った』と書くはずなのになぜ『直った』と書かれているのでしょうか?」
と、家庭集会メンバーのひとりが質問されて、わたしは初めて気づきました。

イエス様の言葉、「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」『直した』になっていて、脚注には『救った』と書かれています。
つまり、イエス様は、病気を治しただけでなく、人格すべてを直したのだと教えられました。

イエス様は「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と問いかけました。大勢の群衆が押し寄せている中で誰が触ったかなんて・・・と弟子たちは言いますが、なぜイエス様はこのような質問をされたのでしょう。

イエス様は全知全能なお方ですから、知らないはずはないのに・・・。
イエス様は、この女の人と人格的なつながりを求めてそう質問されたようです。

女の人はイエス様に問いかけられたとき、黙って去ることもできたのに、進み出てイエス様に真実を余すことなく打ち明けました。これは信仰告白です。
これでイエス様と女の人は、人格的なつながりができました。それはイエス様が望んでおられたことでした。人格的つながりができて初めて女の人の心も直されたのですね。

「イエス様は、人格的つながりを病気のいやしより重要だと考えておられます」と牧師先生が言われました。

わたしは以前、ただ病気が癒されることだけを望んでいました。病だけでなく、心もなおしていただかなければならない者だったのに、心の面については問題を感じていませんでした。でも、今考えてみると、病気がなおることより心がなおることの方が大切でした。
イエス様に治していただくのでなく、直していただかなければならなかったのです。

病気という苦しみを与えられて、すぐに癒されず長い間病んだおかげで自分の心のゆがみにようやく気づきました。
わたしもこの女の人と同様イエス様に出会って直していただいたのです。
『直す』という言葉は、『繕う』という言葉と同様に私の中で重要な言葉になりました。

一度直されても、また歪んでしまう者です。
イエス様とつながり続けることによって、直され、繕われ続けていく者になりたいです。

                  おわり

関連記事「繕われた者」は11月5日の記事をご覧ください。

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