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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

秋空に向かって

2009-09-12 09:55:08 | エッセイ

さわやかな季節になりました。近くの田んぼでは稲刈りが始まっています。
わたしは秋が嫌いでした。喘息発作の起きやすい季節だからということもありましたが、とりわけ天気の良い日、すみきった青空を見るのが嫌いでした。


この空の下で苦しみあえいでいる人がいると思うと心が痛みます。すばらしいお天気で澄みきった青空をみても、心に憂いがあるとかえって青空がうらめしく、自分にはまぶしすぎると思うでしょう。

喘息で入院したとき、乳癌になったとき、父の余命が告げられた時、わたしの言葉が友の心を傷つけていたことを知ったとき、なぜこんなにいい天気なの? なぜほかの人は幸せそうなの? と思いました。
幸せそうに見える人でもそれぞれに悩みを抱えているのですが、自分の抱えている悩みがいちばん大変なのだ。そして、自分の苦しみを誰も理解してくれない。と思
っていました。

でも、空の向こうにあるものに目を向けると、たとえ今がどんな状態であっても憂える必要はないのだと気づきます。
イエス様を信じた者は、永遠の命をいただいています。死が終わりではないのです。

神様によってすべての問題は解決していただける。どんなに理不尽なことがあっても、天国にいったときには納得がいく。たとえ志半ばで召されても、そのとき召されて良かったと思えるのです。
なぜ苦しみがあるのか、その本当の理由はわかりません。でも、確かなことは、この苦しみのすべてを神様は知っておられるということ。善意に満ちた神様が、いたずらに苦しめているのではなく、その人に必要な苦しみを与えておられるということ。そして、神様も共に苦しんで下さっているということです。

喘息で入院していたとき、わたしは聖書が読めませんでした。祈ることもできませんでした。なぜこんなひどい目にあわせるの?と神様をうらんでいました。

聖書の代わりに三浦綾子の小説を読んでいました。その中に「神様は不必要なものは、与えはしない」ということばをみつけて、はっとしました。神様は、この苦しみはわたしにとって必要だから与えて下さったのだろうか……。と思い始めたとき、「神様、助けて下さい」と素直に祈りの言葉が出てきました。


今、わたしは秋の空が大好きです。大空に向かって高らかに賛美し、神様をほめたたえます。
あなたは秋が好きですか?

聖書の言葉

私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主からくる。
主はあなたの足をよろけさせず、
あなたを守る方はまどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、
まどろむこともなく、眠ることもない。

主はあなたを守る方。
主はあなたの右の手をおおう陰。
昼も、日があなたを打つことがなく、
夜も、月があなたを打つことがない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。
詩編121篇


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