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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

力の源はどこに?

2009-09-03 17:53:13 | 聖書から

聖書のみことばに、語られるメッセージに、人の話す言葉に、1通のメールに、起こった出来事に神様の臨在を感じ、心打たれることがたくさんあって書ききれないほどです。


昨日水曜礼拝でエリヤの力の源についてのメッセージが語られました。
イスラエル国家が南北に分裂し、北イスラエルにたてられた王は、偶像礼拝を行って神様のみこころを悲しませることをしていました。中でもアハブ王はバアル信仰をひろめ、アシュラ像を作って拝み、国民にも奨励していました。

当時の北イスラエルの人たちは、主なる神の存在がどこにも認められないように思い、絶望感を味わっていたのではないでしょうか。

そのような暗黒のときにも水面下で神様は働いておられます。


神様はエリヤという人物を預言者として遣わしました。エリヤは当時無名の人物でした。エリヤは大胆にもアハブ王の前に行って語ります。エリヤがアハブ王に言った言葉がⅠ列王記17:1に書かれています。


「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ2.3年の間は露も雨も降らないであろう。」

「私の仕えている」というのは英訳によると「私はその方の御前(みまえ)に立っている」という意味になるそうです。エリヤはアハブ王の前に立っていますが、同時に神の前に立っているということです。
エリヤは神の臨在を感じているので恐れがないのです。

まことの神様がみえなくなっているときに、エリヤは「主は生きておられる」と言い切ります。

「わたしの言葉によらなければ」とは、神のことばによらなければという意味です。
神様のことばによらなければ雨も降らない。神のことばによらなければ何も起こらないのです。


「私たちのいただいている数々のめぐみは神の意志によって与えられているのです。」
と牧師先生が言われました。

神様の意志によってわたしが生かされていることを思い、感謝しました。

エリヤの名の意味は「主はわが神」「主はわが力」だそうです。
エリヤは決して強い人ではありませんでした。このあとバアルとイスラエルの信じている神とどちらが本物か対決する場面があって、エリヤは力強さを見せてくれますが、後にアハブ王と奥さんのイゼベルを恐れ、ホレブ山の洞窟に逃げ込んでしまいます。

弱り切ったとき、「主はわが力」を思い出し祈っていく人物、それがエリヤです。

弱いからこそ主に頼っていったエリヤ。エリヤの力の源はエリヤ自身にではなく、神様にあったのです。

わたしも弱いからこそ主により頼みます。神様はわたしの力の源です!

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