昨日はOさん宅での家庭集会に出かけ、午後からは病院でした。先月受けた腹部エコー、レントゲン等の検査結果が出ましたが、異常なしでした。術後5年半、守られています。感謝です。
「ひとりぼっちだなあ」「さみしいなあ」「孤独だなあ」と感じること、ありませんか?
わたしが人生の最初に孤独を味わったのは、幼稚園に入ったときでした。母親と離れるのが辛くて細い糸で自分の指と母の指を結んでいたいと思っていました。
とことん孤独を味わったのは中学2年の時でした。ひとりも友達がいなくて、朝学校へ行って帰るまで一言も言葉を発しないことがしばしばありました。休み時間、ひとりでいることを知られたくなくて、ただ校舎のまわりを歩いたり、図書室で本を探すふりをしたり、トイレにゆっくり入って時間を潰していました。
本当は、さびしくてたまらず、友達がほしい、声をかけてほしいと思っていたのですが、まわりからは、ひとりが好きなのだと誤解されていたようです。
そんな経験のない人でも、都会の雑踏の中でふと孤独を感じること、ありませんか?
また、大勢の友達にかこまれ、楽しくおしゃべりしている最中にふと孤独を感じることはないでしょうか。
イルカの歌で「しあわせ」という曲があります。77年に出たアルバム「植物誌」の中に入っている曲です。(CDでなく、レコードです)20代のころ、わたしは毎日口ずさんでいました。
とっても楽しそうな 笑い声は悲しいね
なんだか 孤独にさせるよね
もし毎日が 楽しいだけの日々ならば
友だちなんて出来ないかもしれない
という歌詞に共感していたのです。
愛する人がそばにいれば、孤独を感じないだろうと思っていました。確かに恋愛をしていて、好きな人と一緒にいる時は孤独を忘れています。
でもそれは、孤独でなくなったのではなく、一時的に孤独なことを忘れているだけなのです。
自分の思いを100%理解してくれる人はいなく、どんなに親しい人でも自分とは違うのだなあと感じたとき、孤独を感じます。
人間はもともと孤独な存在なのです。
わたしは、結婚してからの方が孤独を強く感じました。
「孤独が怖ければ結婚するな」
というチェーホフの言葉がありますね。
孤独について三浦綾子さんは
「孤独は単に淋しいなどというものではない。もっと深くすべてのものを拒絶する姿だ。人は孤独を凝視しつつ何かを求めねばならない」(「孤独のとなり」より)
と書いています。
孤独を凝視できずに、一時的に孤独を忘れさせるものを求めてさまよっている人が多くいます。本当の解決は、恐れずに孤独をみつめることから始まります。
人はみな神様によって造られました。神様はご自分の所へ帰ってきてほしいと思われて心に空洞を造られました。その空洞が埋まらない限り、人は孤独を感じるのです。
空洞を埋めるのは何でしょうか?それはイエス・キリストです。
孤独のとなりにはイエス様がおられるのです。
聖書の言葉
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)」
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。(ヨハネ14:18)」