日曜日にいのちと性の講演会がありました。思春期にある子どもたちの現状を聞いて驚きました。情報が氾濫している中で、子どもたちは混乱し、何が正しいのかわからなくなっています。快楽を追求した結果、性病に感染したり、妊娠し、産みたいと願うのに中絶を余儀なくされたりして、生きる気力を失っていきます。
真面目な気持で「人は何のために生きるのだろう?」と考えるのに、その答えを教えてくれる人がいないのです。
生まれてきてよかったと思う子どもは、小学生では75%もいるのに、中学生、高校生になるとぐっと減ってきます。
自己価値が低いのにも驚きました。自分のことが好きだと答えた子どもは30%しかいなかったそうです。
「どうせ」という言葉をよく耳にします。「どうせ、ぼくなんか」「どうせ、わたしなんか」と言い、「どうせ、がんばったってしょうがない」と無気力になっていくのは何故なのでしょう……。
わたしも中学生のころは「どうせ、わたしなんていなくてもいいんだ」と思っていました。何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか。その答えを求めて魂はさまよっていました。
その答えがわかったのはずっと後でした。でも、答えはあるのです。
旧約聖書のイザヤ書 44:2には、「 あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主」と書かれています。
あなは、偶然生まれてきたのではなく、神様によって造られたこと。
神様は目的を持ってひとりひとりを違う個性をもった者として造られたこと。
神様は創造物であるあなたを測り知れないほど深く愛し、高価なものとして大切に思ってくださること。
このことをむなしさの中にいる人たちに伝えたいです。