アガペーの愛は無償の愛です。
三浦綾子の小説「塩狩峠」をご存じでしょうか。これは実際にあった出来事をもとに書かれた小説です。
明治42年2月、列車が塩狩峠にさしかかったとき、列車の最後尾の連結器が外れ、客車が後退をはじめました。ブレーキはなく、このまま止まらないと脱線して大惨事になってしまいます。その列車に乗り合わせていた鉄道職員永野さんは、自らが列車を止めるために身を投げ出して命を捨てました。
永野さんは若く、婚約者もいて未来の希望に満ちていました。それなのに自分の人生を他者のために捨てたのです。それは、永野さんがキリストを信じ、心の中がイエス様がしてくださったことへの感謝でいっぱいだったからできたのでしょう。
イエス様がしてくださったことというのは、このブログで繰り返し書いていますが、わたしたちの身代わりになって死んで下さったことです。
罪のあるわたしたちです。その罪を持ったままでは、滅びの道をまっしぐらに歩むしかないのです。
「罪を犯した覚えはない」「キリスト教は、罪、罪というからいやだ」「心の欲するまま、あるがままに生きていて何が悪いんだ!」
と思う方もおられるでしょう。
心の欲するままに生きた結果どうなりましたか? わたしは心の欲するまま生きていたとき、人の心を傷つけ、自分を傷つけ、心の中はむなしさでいっぱいでした。ものすごく自己中心で、自分さえよければ・・・という考えで生きていました。
それが罪なのです。
ひとつひとつの罪が消えずにそのまま積まれていったら、やがてそれに押しつぶされてしまったでしょう。でも、神様はその罪を赦し、帳消しにしてくださいました。
「わたしは、彼らの不義にあわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い出さないからである。(へブル8:12)」
赦すためには、犠牲が必要でした。それで神様は罪のないご自分のひとり子イエスを十字架につけて全人類の罪に対する罰を与えたのです。
それなので、キリストを信じる者は、無条件で罪赦され、永遠の命をいただくことができるのです。
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。(Ⅰヨハネ4:9)」
これこそ、真実の愛です。神様の愛は永遠に変わることがありません。決して裏切りません。
真実の愛は、あなたが生まれる前から、すでに備えられていたのです。
おわり