生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

何のためにうまれたの?

2009-07-09 11:50:26 | エッセイ

一昨日「むなしさの中にいるあなたへ」と題して書いたら、ブログ村から220ものアクセスがあったので驚きました。むなしさを感じている方がそれだけ多いということでしょうか……。今日は、その続きを書かなければという迫りを感じて書きました。


♪何のためにうまれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのはいやだ!


アンパンマンのマーチにこのような歌詞があります。
「何のためにうまれて 何をして生きるのか?」
はっきりと答えられる人の方が少ないような気がします。クリスチャンである作者、やなせたかしさんは、その答えを知っておられるからこそ、このような歌詞を書かれたのだと思います。

人は神様によって造られた存在だということを前回書きました。
精子と卵子の結合によって生命が誕生するのですが、それはとても神秘的で、どんなに科学が発達しても人間の思い通りに人を創造することはできませんね。

自分は偶然生まれたんだと考える人がいるかもしれませんが、それは偶然ではなく必然なのです。なぜなら、生命の誕生の背後に神様がおられるからです。

神様はあなたが生まれる前からあなたの誕生を計画されていました。そして、目的を持ってあなたを形造られ、誕生させたのです。

聖書には「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)」と書かれています。

人が物を作るとき、目的を持って作りますね。その物が目的通りに使われたとき、作った人も作られた物も喜びを味わいます。

それでは、自分の目的とは何なのでしょう?

わたしは以前教会で「人は何のために生きるのですか?」と質問されたとき、答えられませんでした。

正解は、『神様の栄光を現わすため』でした。そのことを知ったとき、それまで自分や家族のためにだけ生きていたことに気づきました。でも、それは間違っていたと思ったのです。

神様の栄光を現わす生き方、神様の目的にかなった生き方とはどういう生き方なのでしょう? 

人それぞれ違うので、自分で答えを見つけなければなりませんが、わたしの場合、その答えはなかなかみつかりませんでした。

祈り求めていくうちに、童話や小説を書いて神様の愛を伝える者になりたいという思いが与えられました。でも、それが目的にかなった生き方だと確信したのは40歳過ぎてからでした。

K子さんは、電話相談員になって自殺願望のある人に『決して死んではいけない』というメッセージを伝えたいという志を抱かれました。K子さんは、以前辛いことがたくさんあって、自殺したいと思っていました。キリストに出会い救われてから、どんなことが起こっても死んではいけないというメッセージを人々に伝えたいと思うようになったのです。
K子さんは目的にかなった生き方を見つけたのですね。

よく、神社にお参りにいく人たちは、たいてい家内安全、商売繁盛、無病息災といって、自分の家庭の安全、自分の家の繁栄、健康を祈ります。自分と自分の家族が幸せになることを願います。
そのこと自体は悪いことではありませんが、自分の幸せを願うことが第一になると、人のことはどうでもよくなってしまいます。

生きる目的がお金や地位や名誉になってしまうと、結局はむなしくなります。人を蹴落としてまで自分の栄誉を求め、人の幸せをうらやみ、人の不幸を喜ぶような生き方になってしまいます。そのような生き方を神様は喜ばれません。

イエス様がわたしのために十字架にかかってくださったことを思うと、自分中心の生き方ではなく、神様中心の生き方がしたいという願いが沸き上がってきます。神様が喜ばれる生き方を真剣に祈り求めるなら、何をしたらよいか神様が示して下さいます。


人は自分の生きる意味を知って生きるために造られたのです。そして、これは神につながることによって、初めて可能になります。

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