昨日は我が家での家庭集会でした。先生と6人の方が来て下さいました。
ルカ11章5-3の学びをしました。イエスさまが弟子たちに「主の祈り」を教えてから、次のようなたとえ話をされました。
友達が真夜中に来て、「パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中にわたしの家にきたけれど、出してやるものがないのだ。」と言いました。「夜中だし、めんどうをかけないでくれ」と断られますが、あくまでも頼み続けたら、その人は必要なものを与えてくれるでしょう。
というたとえ話の後、有名な聖句が書かれています。
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(ルカ11:9.10)
このたとえ話のテーマは祈りについてです。祈りの姿勢として、求め、捜し、たたきなさいとイエスさまが言われているのですと教えていただきました。
神さまはわたしたちに必要なものをご存知で、それを与えて下さるお方です。それなら、求めなくてもいいのに……と思ってしまいがちですが、決してそうではなく、積極的に求めなさいと言っておられるのです。
レジメには、「必要あるものを求めたり問題の解決法を捜したり、自分がゆくべき道が開かれるように門をたたいたりしなさいというわけです。」と書かれています。
「求めない」(加島 祥造著)という詩がベストセラーになっていると聞きました。その本には、すべてが「求めない」で始まる詩約100篇が収録されています。
求めなければ、悩みも少なく、平安に過ごせるということなのでしょう。
反目している人がいたとして、その人が変わってくれることを求めると、結局のところ和解するのが難しくなります。富や地位を求めると、それが得られないとき不満を持ちます。最初から何も求めなければ、不満がなくなるということで「求めない」といっているのでしょう。
でも、イエスさまは逆に「求めなさい」と言われます。ここで大事なことは『誰に求めるのか』ということです。加島 祥造さんは、人に対して求めないと言っているのでしょうが、聖書では人にではなく、神さまに祈り求めなさいと言われているのです。
それなら、神さまに祈り求めたら、すぐに何でもかなえられるのでしょうか? そうとはかぎりません。それは何故でしょう?
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。(ルカ11:11.12)
と聖書に書かれています。神さまは、父親のようなものだといっているのです。
もし、子どもがよくないものを求めたら、父親は与えません。時期を見て、後に与えることもありますが、その子供にふさわしい別のものを与える場合もあります。
それと同じように神さまは祈りに答えて下さらなかったり、祈り求めたものとは別のものを与えてくださったりすることがあります。
でも、友人がパン三つ下さいと具体的に求めたように、神さまはわたしたちに具体的に祈り求めることを望んでおられます。
すぐに答えが得られなくても、祈ったとき確かに神さまは聴いておられ、良いものを必ず与えて下さいます。だからわたしは、積極的に求めていきたいです。
困難に直面して、ときには祈れないこともあります。そんなときでも言葉にならない祈りをもって神さまに向かっていきたいです。どんな試練でも、必ず意味があること。祈りがきかれなくても、神さまの深いご計画の中にあることを信じ切ることができれば、心は平安です。
こんなふうに祈る対象を知っていて、全幅の信頼をもって祈ることのできるわたしは何て幸いなのでしょう!!