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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

エステル記を読んで

2007-11-15 13:50:12 | 聖書から

今度の日曜日に教会学校でエステル記のお話をするので、聖書や解説書を繰り返し読んでいます。エステル記は、旧約聖書歴史書の最後に位置しています。
エステル記の粗筋を書きます 聖書をお持ちの方は、聖書の方をお読み下さい。


ユダヤ人エステルは早くから両親を亡くして親戚のモルデカイに育てられ、多くの娘の中からペルシャのアハシュエロス王のお后に選ばれました。エステルは、モルデカイに命じられて自分がユダヤ人であることを隠していました。

王様の家来のハマンが城の門を通ると、みんながハマンにひれ伏しましたが、モルデカイだけそうしませんでした。ひれ伏すというのは礼拝するという意味がありました。モルデカイは本当の神さまを信じるユダヤ人でしたので、人間の前にひれ伏すことができなかったのです。

そのことに腹をたてたハマンは、ユダヤ人を皆殺しにしようと王に提案し、王が承諾したのでアダルの月13日にユダヤ人を殺せという法令を出しました。その命令には王様の指輪の印が押されていました。その印が押されている法令は取り消すことができません。

モルデカイはエステルに王様にこの命令を取り消すように頼んでほしいと伝えました。エステルはためらいました。お后とはいえ、呼ばれてもないのに自分から王のところに行くと死刑になるという恐ろしい決まりがあったからです。
王様が金のしゃくを伸ばしたときだけ助かるのですが、もし伸ばさなければ殺されてしまいます。エステルは、この1か月王様に呼ばれていませんでした。

このとき、モルデカイはエステルに「あなたがこの王国に来たのはもしかするとこの時のためであるかもしれない(エステル記4:14)」と言っています。

エステルは3日間断食して祈りました。ユダヤ人達も同じように祈っていました。
「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と言って、エステルが王の前に出ると、王は手に持っていたしゃくをエステルの前にすっと伸ばしました。
 
エステルは自分の開く宴会にハマンと共に来て欲しいと王に頼みます。王とハマンがやってくると、もう一度宴会にさそいました。なぜすぐユダヤ人を助けて下さいと言わなかったのかわかりません。
2回目の宴会でエステルは自分がユダヤ人だとあかし、ユダヤ民族が根絶やしにされようとしていることを告げます。その首謀者がハマンだとわかると、王はハマンを死刑にしてしまいます。さらに王はユダヤ人虐殺が行われる日にユダヤ人は身を守るために戦ってもいいという法令を出しました。
その日にはユダヤ人に害を及ぼそうとする者が大勢殺され、ユダヤ人は守られたのです。
このできごとからプリムの祭りが毎年行われるようになりました。


エステル記には神、主という言葉は書かれていません。でも背後で働かれる神さまのみ手が見えます。
遠藤嘉信先生の本「もしかすると、この時のため」(いのちのことば社)には、
背後ですべてを支配しておられ、ある人を召し、ある人を必要な場に配置し、そうやって愛する民を勝利や祝福へと導くお方の存在が意識されているということです
と書かれています。

エステル記には奇跡のような不思議な出来事がいくつも起こっていますが、決して偶然ではありません。そのタイミングといい、人の配置といい、すべてが背後で働いておられる神の業です。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべての事を働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

という聖書の言葉が真実であることがわかります。

歴史を動かし、支配しておられる神さま。エステルの時代に働かれた神さまは今も生きておられます。善意に満ちた神さまは、わたしのように小さな者のうえにも働いて下さっています。

わたしが、今回教会学校でエステル記のお話をするようになったことも神さまの導きです。エステル記を学んでどれだけ励まされ、勇気をいただいたことでしょう。心配事があっても希望を持つことができました。
どんなに困難があっても、先が見えなくても、神さまが必ず最もよい方向に導いて下さるという確信を持てました。

「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と言って王様の前に勇気をもって出ていったエステルを見習いたいです。

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