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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

障がいとは……(その4)

2007-11-11 17:55:45 | 社会

昨日、今日と嬉しいことがありました。はこぶねクラブに双子の姉妹MちゃんSちゃんが来たのです。MちゃんSちゃんが2年生の時、お父さんが肺癌で亡くなりました。お父さんが入院している間、主治医で教会員の方の紹介によりふたりが教会学校へ来はじめ、半年ぐらい日曜毎に通っていました。わたしはそのとき2年生のクラス担当をしていました。

お父さんは病床洗礼を受けて、30代の若さで召されました。その後、土浦から少し離れたH市に引っ越したので、めぐみ教会には来ることができなくなってしまいました。お母さんは仕事で送っていけないのですが、2人は教会学校がとても気
に入って、また行きたいと思い続けているようでした。

それから2年間、わたしは教会学校で担当している子供とともにふたりの名前も挙げて毎朝祈っていました。

そうしたら、最近H市に越してきて、ご一家でめぐみ教会に来られるようになったNさんがふたりを連れてはこぶねクラブに来てくれたのです。Nさんのお子さんと、Sちゃんが同じクラスになったそうです。SちゃんがMちゃんとともにめぐみ教会に通っていたことを知ったNさんは、『連れて行かなくては』と思ったそうです。

背が伸びてすっかりお姉さんになったMちゃんSちゃんと2年ぶりに会って感激です。ふたりは、今日の教会学校にも来てくれました。神さまの恵み、その計らい、そしてNさんに心から感謝しました。

そして、もうひとつ。今日ヒックンが、ママと一緒に教会学校のワンツークラスに初めて参加しました。昨日から息子一家が泊まっていたのです。なんと嬉しいことでしょう!!


前回の続きです。
多くの作業所では、精神障がい者が自立し、社会復帰することを目指して訓練させます。
ところが、この「自立」と「社会復帰」ということが、精神障がい者にとって重荷となっているのだと気づかされました。
「自立」と「社会復帰」は、常に健常者を基準にしています。病気を治すこと、幻覚や妄想を取り除くこと、立派な人間になって一人前に働くことがイメージされています。
病気を治せといっても、精神病はなかなか治らない病気です。それを治すようにと言われることは、「病気であってはいけない」と言われているようなものです。
精神科医の方が、「精神病は病気なのだろうか? 精神病というレッテルを貼ることは差別になるのではないか?」ということで議論したことがあるとおっしゃっていました。


「悩む力」(みすず書房)斉藤道雄著には、

(精神障がい者が)病気を治せ、健常者になれと言われつづけることは、すなわちその人が一生「いまのあなたであってはいけない」と言われつづけることになる。そうではなく、病気があろうかなかろうが、「そのままでいい」という生き方があるのではないか。
と書かれています。そして、ベテルの家では「そのままでいい」というメッセージが常に発信されているそうです。
どんなに大きな罪を持っていても、そのままの状態で贖ってくださるというキリストの教えと似ていますね。


このことは、精神病でなくてもいえます。
わたしは3歳のとき小児喘息になり、高校生のころ一時的に治っていたのですが、大人になってから再び喘息が出るようになりました。
かつては、喘息を恥だと思っていたので誰にも言えませんでした。学校では健全な魂は健全な肉体に宿ると言われました。「病気の人の魂は病んでいる」と言われているようです。

わたしは喘息を忌み嫌いました。ゼロゼロと胸の音が聞こえるとぞっとしたものです。高校生の時ようやく治ったと思って喜んでいたのに、大人になって再び喘息が出たときは、なんとかして治したいと必死に治療法を捜しました。

しかし、大人の喘息は完治というのは難しいそうです。幸いなことに子供のころにはなかった予防の吸入薬が作られていました。それで発作を予防することができるので、発作からは解放されたのです。わたしは今でも毎日予防薬を吸入していますが、ここ数年一度も喘息の発作が起きていません。一生吸入薬を使い続けないといけないかもしれませんが……。
また、4年前に乳癌になり、リンパに転移があったので、完治したかどうかわからない状態になっています。

でも、教会で「病んだままでいい」というメッセージを聞いてから、病気は治らなくていいんだと思い、気が楽になりました。喘息も乳癌も受け入れられるようになったとき、病気のことを誰にでも話せるようになりました。

           

                  おわり

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