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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

病めるときも

2012-09-08 20:49:33 | 日記
今日は教会のK先生の結婚式でした。参列者は500人以上いたのでしょうか。礼拝堂は席が足りなくなるほどでした。

結婚式の誓約で「その健やかなる時も病める時も、富む時も、貧しき時も、いのちの日の限り彼女(彼)を誠実に愛することを約束しますか」という箇所がありますね。わたしは、この部分が好きです。

結婚当初はふたりとも健康で経済的にも困るほどではなく、将来の明るい夢を抱いていたとしても、何年か経ってどちらかが病気になる、あるいは災害にあったり、仕事を失ったりして経済的に大変になるなど予想もしなかった出来事が起こることがあります。
それでも相手を最初の愛と変わらずに愛することは案外難しいのではないでしょうか。

神様抜きでの「愛」は、自分勝手な愛です。また、周りの状況に左右されます。状況がよいときは愛せるけれど、状況が変わると愛せなくなります。

三浦綾子の「病める時も」という小説があります。結婚相手が精神の病を患ってしまうのですが、主人公の明子は結婚式で誓約したことに対して最後まで忠実であろうとします。
結婚とは結婚後に起こるすべての出来事、それがよい事であっても悪い事であってもすべてを受け止める覚悟の上に成り立つものであることを読者に語りかけています。

K先生とA子さんの経歴や出会いについて、プロポーズのときのことなど、司式をされたS牧師がユーモアを交えて紹介してくださいました。(プロポーズのときのスカイプでの会話をS牧師が創作されて大爆笑でした)

その中でK先生とA子さんの信仰者としての誠実な生き方が伝わってきました。祝福を心からお祈りします。



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理想を求めて

2012-08-23 21:03:02 | 日記
昨日、韓国人でアメリカに住んでおられるK神学生のお話しを聞きました。
K神学生は、小学生のころから理想を追い求め、完璧な人を探していたそうです。人を理解し、包容力のある人を求めていましたが、期待が大きい分何度も失望していたと聞いて、わたしもそうだったと思い出しました。

わたしは中学生の時ですが、こんな人と友達になりたいという理想を掲げていました。わたしの思いをすべて理解してくれる人、困ったとき助けてくれる人、いつもそばにいてくれる人を求めていました。でも、そのような人はどこにもいません。それでサエちゃんという名の架空の人物を作り上げ、サエちゃんを親友にしていました。
現実には友達がひとりもいなくていじめられていたのですが……。

死んでしまいたいほどつらい中学生活でしたが、空想の世界に浸っていたので耐えられたのかもしれません。わたしがファンタジーを書きはじめたのは、この時期だったのです。
現実逃避はよくないのかもしれませんが、見つめたら耐えられないような現実が目の前にあるとき、ファンタジー世界に逃避するのは一時的ではありますが、助けになります。
まだイエス・キリストのことを知らなかったときのことです。

キリストを知った時、ああ、この方がわたしの理想の方だと思いました。考え方が、語る言葉が、そしてわたしのためにしてくださったことが理想……いえ理想を超えているのです。

たとえば、「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(マタイ7:12)」
という聖書の言葉は、人に迷惑をかけてはいけませんという教えを超えていると思いました。迷惑をかけないで生きるという消極的な生き方ではなく、自分がしてもらいたいことをほかの人にするという積極的な生き方があると知ったとき、目が開かれるようでした。

K神学生もキリストに出会ったとき、この方こそ理想の方だと思ったと言われました。
国籍や育った文化が違っても共通した思いのあることを知って嬉しくなりました。


今日、小説投稿サイト「星空文庫」に私の書いたファンタジー作品「海底王国」を載せました。(原稿用紙 212枚の作品です)興味のある方はご覧ください。
感想をお待ちしています。


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ヒックンの夏休み

2012-08-18 16:38:51 | 日記
14日からヒックンが来ていました。お盆の時期でもパパとママが仕事なので、我が家にお泊りすることになりました。映画やつくばエキスポセンターに連れて行ったり、一緒に買い物をしたり……。

エキスポセンターには子どもから大人まで楽しめる装置がたくさんあります。ゲームを通して科学的なことが学べるようになっています。ペダルをこぐとその速さに合わせて電車が動く装置は、ヒックンのいちばんのお気に入りです。

前回まではペダルに足が届かず、おじいちゃんにこいでもらっていました。今回は足が届いてこげるようになっています。足が届くのは、まだずっと先だと思っていたのに……。来春には小学生になるのですから、当たり前なのですが。成長を喜ぶと同時にあんまり早く大きくならないでほしいという身勝手な願いを抱いてしまいました。

つくばセンター内にあるプラネタリウムにも行きました。手塚治虫原作の「火の鳥(未来編)」をもとにしたアニメで、内容は高学年向きでした。
でも、終わってからヒックンに内容を尋ねると、ちゃんと理解していたのでびっくりしました。

どこへも出かけない日は、家で工作をしたり、ホットケーキを作ったり、すごろくやパズルをしたり……。主人とわたしが交代でヒックンの相手をしていました。

ほっとできるときは昼寝の時間です。ところが、ヒックンは昼寝をしなくなってきました。絵本を一冊と聖書のお話を30分もしたのにまだ寝ません。寝たふりをしていると、そっと起き上がってミニカーで遊んでいます。
「もう起きていい?」と何度も聞くので、降参しました。昼寝をしたのは、エキスポセンターに行った日だけでした。

3日目の夕方には疲れて腰が痛くなってきました。
「テニスボールを腰に当てるといいんだけど、テニスボール、売ってなかったの……」
と言うと、「ぼく、ボール持ってるよ」と言ってリュックサックからボールを出してきて、ボールで腰を押してくれました。
「これあげるから、痛いときにはまた使ってね」
と言ってボールを置いていってくれました。

ヒックンが帰った後、ボールを見て涙がこぼれてきました。
帰ってほっとしたはずなのに、またすぐ会いたくなるとは……。



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新たなる旅立ち

2012-08-11 16:22:00 | 日記
教会学校小学科でピアノの奏楽奉仕をしています。19日に新しい曲を賛美することになったので、練習に励んでいます。曲名は「約束の地へ」。すごくいい曲なのですが、とても難しくて弾くのに苦労しています。

練習といっても、主人が退職して家にいるので、なかなかピアノが弾けません。主人はずっとリビングでテレビを見ていて、ピアノはテレビの横にあるからです。
主人が昼間出かけないときは、夕方お風呂に入っている間の10分~15分が勝負です。夕食の支度を中断して練習します。
今まで弾いたことのある曲なら短時間の練習で大丈夫ですが、弾いたことのない曲だと、そうはいきません。

練習時間がどうしても足りないので、この前は水曜礼拝の後、1時間ほど教会で練習させてもらいました。
練習してもつかえてばかりなので、弾けるようになるか不安でした。ピアノを弾いていないときも録音したものを聞きながら指を動かし、必死に祈っていました。

どうしても弾けなかったら、曲を変更してもらおうと思っていたら、昨日からなんとか弾けるようになってきました。リズムがあっているかどうか心配で娘に聴いてもらうと、OKサインが出ました。しみじみ歌詞を味わいながら弾く余裕も出てきました。神様が助けてくださったのです。

「約束の地へ」はアブラハムのことを書いた歌ですが、自分の歩む道にも重ね合わせ、心ふるわせながら弾いています。
ブックマークにある土浦めぐみ教会の「めぐみミュージック」をクリックすると聞けます。楽譜もダウンロードできます。


わたしは今日で56歳になりました。体の弱いわたしが56歳まで元気で生かされていることは不思議です。現在治療を受けている婦人科の病も、治療する必要がないほどよくなってきました。

敬愛する姉妹から
「神様からいただいた記念日ですから大いに喜び感謝してください。
新しい一年がますます祝福され、使命に向かって大きく羽ばたいてください。」
というメールをいただきました。

今日はいつもの通りOBIの通信の学びをして、創作をしました。いつも通りのことができる喜びをかみしめています。

いつもと違ったこともしました。昔書いた童話の原稿の大半を捨てました。データー化してあるものでも、書き直しのあとを残しておきたくて印刷したものをとっていたのですが、最新版を除いてすべて捨てました。

最初は、こんなに無駄をしたんだなあと思っていました。でも、そうではないことに気づきました。これはみんな習作なんだと思ったのです。
これから完成させる作品を書くための習作だったと。生涯習作で終わってしまうかもしれませんが、それはそれでいいのです。

どこへいくのか知らないで、神さまからの約束だけをたよりに旅立ったアブラハムのようにわたしも新たな旅立ちのときを迎えたのかもしれません。



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空の色と同じに

2012-08-07 16:38:14 | 日記
春に友人から藍の種をもらってベランダのプランターに蒔きました。間引きをしながら毎日水をやっていたら、元気に育ちました。この藍で生葉染めができるのだそうです。
種をくれた友人からやり方を教えてもらったので、先日試してみました。


本当はもっと伸びて丈が70センチぐらいになるそうです。我が家のは、プランターなので根が張らないため伸びないのかもしれません。連日の暑さのせいでしょうか、葉のふちが縮れてきて青く変色しているのに気づきました。

8月半ばごろに花が咲くそうで、花の咲く前に摘み取って染めるといいと聞き、枯れないうちに摘み取ることにしました。

ヒックンが遊びに来たので、一緒に染めました。まず、染める布(ストールとハンカチ)の何箇所かをつまんでゴムを巻きました。こうすると模様ができます。

それから藍の葉を摘み、摘んだ葉を手でちぎります。
葉の分量は10グラムほどです。ミキサーに葉と300ミリリットルの水を入れ、スイッチを入れます。
深緑の液体ができました。「野菜ジュースみたい」とヒックンが言いました。

これをガーゼでこしてボールに入れ、ストールとハンカチを漬けました。5分程してみると黄緑色に染まったので引きあげると、いちまいは青空のような水色に変わりました。

「わー、きれい。空の色とおんなじだ!」
ヒックンは目をキラキラさせていいました。
(いちばん上の写真、実際の色よりくすんで写っています。実際はこのブログのバックの色のようです)

あとの2枚は液体と同じくすんだ黄緑色です。
生葉染めの場合、絹やナイロンは染まるけれど、木綿は染まらないということが後でわかりました。(>_

ストールの水色を見ていて、世界にはどれほどたくさんの色があるのだろう……と思いました。もし、世界に色がなく、モノクロの世界だったら、つまらないでしょうね。

神様は人の目を楽しませるためにたくさんの色を作って下さったのですね。
色の組み合わせを考えるとき、自然の色を参考にするといいと聞いたことがあります。空の青、雲の白、山の緑、土の茶色……神さまの配色は素晴らしいですね。



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なくしたものが見つかりました!

2012-06-22 11:41:28 | 日記
先日のブログにメールデーターを紛失してしまったことを書きました。(アドレス帳は大丈夫でした)そのことと、次に書いた礼拝メッセージの内容と関連性を持たせていたわけではありませんが、関連しているような結果になりました。

(わたしはふたつのアドレスを使い分けていて、ウインドウズメールで使用しているbiglobeのメールを見失ってしまいました。もうひとつのgooメールは、ネット上に保管されているので、大丈夫です)

ブログをアップしてから、なくしたメールデーターをパソコン内で捜していました。検索機能を使っても出てきません。

検索機能を使うと、メールに書いた言葉ひとつを入力するだけでそのメールが出てきます。そのメールの保管場所がわかれば他のメールも見つかると思ったのに……なぜか検索機能ではひとつも見つかりません。
Cドライブ容量を少しでも増やすため、試行錯誤していたので、メールデーターのファイルを削除してしまったかもしれないと、いちどはあきらめました。


昨日、PCの前で消えたメールを嘆いてため息をついていました。
何をしていたときメールが消えてしまったのか考えていると、デスクトップ上にあるファイルをいくつか外付けハードディスクにコピーしてから削除したことを思い出しました。PC知識の乏しいわたしです。そのファイルがどんなファイルなのか、また、移動してよいものなのかどうかわからずにやってしまったのです。

コピーしたはずだったけれど、コピーせずに削除したのかもしれないと思いました。ごみ箱は空にしてしまったし、復旧させるためにはソフトを購入しなければならないらしく、やり方も難しそうで、わたしの手に負えることではありません。絶望感でいっぱいになりました。

わたしのことを熱心に捜し出してくださった神様のことを考えて祈っていると、『メールデーターはきっと見つかる』という思いが心の中にわきあがりました。

わたしも熱心に捜してみよう。でもどうやって……? 神様、知恵と力を与えてください。

自分がしたことをやり直してみようと思い、ハードディスクにコピーしたファイルをデスクトプ上にもどしました。それからファイルをひとずつ開いてみました。そうしたら、あったのです! 4年分のメールデーターが!

これをウインドウズメールに移すにはどうしたらいいのでしょう。そうそう、インポートです。インポートのやり方はマイクロソフトのサイトで調べて……。

バンザーイ! 127通のメールが戻りました! 


わたしはたくさんあるメールすべてを捜していましたが、神様はたくさんいる人の中からたったひとりを捜し出してくださいます。

メールが戻ったとき、とても嬉しかったように神様もわたしが戻ってきたことを喜んでおられるのだろうなと思いました。

ところで、Cドライブの容量が少なくなった問題はどうなったかというと……。
それも一応解決しました。筆王を主人の新しいPCに入れて、ビスタに入っていたものをアンインストールしたら、増えてきました。それでも49.9G中残り9.7Gなので少ない方だと思います。(この間は、残り1.27Gまでになっていました)

ネットにつないでいると勝手に新しい更新プログラムをインストールしてしまうため容量が減っていくのです。ストップする方法はないのでしょうか……。まだ、愛着のあるビスタをもう少し使っていたいのです。



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ブレイクタイム

2012-06-16 21:01:50 | 日記
孫のヒックンと遊んでいると、わたしの精神年齢もヒックンと同じ5歳になっています。車が大好きなヒックンは、車のおもちゃをたくさん持っていて、我が家にも20台ぐらい置いています。

最近、わたしと遊ぶときは、決まって『車ごっこ』です。先日の遊びを紹介します。頭を柔らかくして読んで下さいね。


お気に入りの青いレーシングカーがヒックンで、赤いレーシングカーがわたし。カッパくんとミジュマル(ポケモンのキャラクター)の人形も仲間です。

「早く、ホテルへ行こうよ」
と青いレーシングカーのヒックン。
「行きましょう。ホテルに行って何するの?」
と赤いレーシングカーのわたし。
「温泉に入るんだよ」

空き箱で作った車庫に2台の車がカッパくんとミジュマルを乗せて向かいます。
「わーい、わーい、温泉だ!」
みんなで温泉に入ります。
「上がってお部屋に行こう」
と青いレーシングカー。
「もう上がるの? わたしはもうちょっとつかっている。」
「だめだよ。温泉が冷たい水になっちゃうよ」
「あーホントだ。ブルブル、ハークション! 」
「早く上がっておいで」
「はーい」
「部屋をあったかくしておいたから、だいじょうぶだよ」
「ありがとう」
「ああ、おなかすいた」
「ハンバーグランチ、頼もうか」
「いいね」
ハンバーグランチが部屋に運ばれてきて……。
「いただきます」
「むしゃむしゃ。おいしいね」
「あれっ、カッパくんとミジュマルがいないよ」
「さっきホテルのお庭で遊んでいたのに……」
「うん、どこへ行ったんだろう」
「あっ、悪者がどこかへ連れて行っちゃったみたい」
「えっ! パトカーに知らせなくちゃ」
青いレーシングカーはパトカーを呼んで、ものすごい速さでカッパくんたちを見つけました。このときのヒックンの顔は真剣そのものです。
犯人はモグラでした。
「ごめんなさい。悪いことはもうしません」
モグラくんがあやまって、カッパくんとミジュマルがもどってきました。よかった、よかった。


こんな遊びをしています。
「悪者がつかまるまでが早すぎる」とわたしが文句を言うと、
「早くつかまえないとカッパくんとミジュマルがかわいそうだよ」
と、泣きそうな顔で言います。

仮面ライダーごっこやゴーバスターズごっこをするときも、悪者は一瞬のうちにつかまえられて、闘いのシーンはありません。
優しくて平和が好きなヒックンです。


「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから(マタイ5:9)」

この聖書の言葉のようにヒックンが平和をつくる者になってほしいと願わずにはいられません。


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金環日食見ました!

2012-05-21 20:41:56 | 日記
金環日食見ました! 朝早く起きて主人と娘と三人で桜川の土手まで行きました。もちろん日食グラスをひとつずつ携えて……。

近くのホームセンターの駐車場からでもじゅうぶん見えるのですが、木漏れ日を見たくて桜並木のところまで行ったのです。

グラスを通して太陽が三日月のように見えました。しばらくすると金の輪に……。

ピンホールカメラも作って持って行ったのですが、これはうまく写りませんでした。
道に写っている木漏れ日は……輪になっていました! 太陽は写真に撮れませんでしたが、輪になった木漏れ日を写すことができて感激です。

神様からたくさんの丸をいただいたようで嬉しくなりました。

日食のときは少し暗くなり、気温も下がったようでした。日食はほんの少しの時間で、またもとのようになるとわかっているので誰も不安にはならなかったと思います。

でも、考えたら不思議です。なぜ太陽と月が地球からほどよい距離にあるのでしょう……。太陽がもう少し地球に近かったら気温が上がってわたしたちは生きられません。逆に遠かったら寒過ぎでやはり生きられません。

また、地球をおおっているオゾン層がなければ、有害な紫外線を浴びて大変なことになってしまいます。
太陽と月と地球のバランスの良さ。生命が存在するのに適した地球の環境。これは偶然といえるでしょうか……。

この宇宙。地球、月、星、太陽を造られた神様は、わたしたちが地球で暮らすのに必要な条件をすべて備えてくださいました。大いなるものの意志で作られたこの世界。何て素晴らしい世界に生かされているのでしょう。

昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
あなたは月と太陽とを備えられました。(詩篇74:16)



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眠れなくても心配しないで

2012-05-16 21:06:10 | 日記
日曜夕方から実家に行っていました。月曜日に埼玉の知人のお見舞いに行くため、前日から出かけたのですが、ちょうど母の日だったのでプレゼントを携えて行きました。
いつも実家に行くと1泊で帰るのですが、今回は2泊しました。

火曜日の朝、母は何だか元気がありません。わけを聞くと「夕べは一睡もできなかった」と言います。
特に理由はないけれど、最近こういうことがときどきあると言うのです。早朝覚醒して困るということは聞いていましたが、一睡もできないことが頻繁にあるとは……。

82歳になる母は、週に5回フィットネスクラブに通い、3か月に一度友人たちと旅行を楽しみ、風邪もひかず、わたしよりよほど元気なのですが、睡眠障害という悩みを抱えていたのでした。
母の性格からして、悩み事があったとしても言わないので、聞き出すことはしませんでした。

かつてわたしも夜眠れずにつらい思いをしたことがありました。
「平安の内に私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。(詩篇4:8)」という聖書の言葉を思い出したので、母に詩篇を読んで聞かせました。母は今までになく真剣に聞いてくれました。

「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。(詩篇139:13)」

「人間はみんな母親のお腹から生まれるのだけど、神様によって形造られたの。神様はわたしたちのことを胎児のときから見て下さり、いつくしみ、いつも一緒にいて守って下さるの。必要なことが何かご存じで、それを与えて下さるの。眠れなくても必要な睡眠はあとで必ず与えていただけるから、心配することないよ」と言って最後にイザヤ書を読みました。

「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ 46:4)」

母は毎週図書館で何冊も時代小説を借りてきて熱心に読んでいます。
「図書館の本を読むのもいいけど、聖書も読んでみて」と言うと、「図書館に聖書あるかしら?」と尋ねます。

実家用に一冊聖書を置いていたので、「図書館で借りなくても、この聖書を読むといいよ。」と言うと、「心配な時に読むといいページがあったら、付箋はさんでおいて」と言うではありませんか。

今まで、母は聖書に興味を示したことがいちどもなかったのに……。わたしは数箇所に付箋をはさみ、母のために祈りました。

写真は息子のお嫁さんからもらったカーネーションです。


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鎌倉古道を歩く

2012-05-02 09:29:57 | 日記
一昨日、以前から行きたいと思っていた鎌倉へ主人と行ってきました

鎌倉といっても名所旧跡を訪ねるのではなく、古道を歩くために出かけました。一年ほど前から書いている長編児童小説に鎌倉への道を歩くシーンがあって、想像だけでは書けないので実際に行って歩いてみたいと思っていたのです。

わたしはものすごく方向音痴なので、主人につきあってもらいました。主人はウオーキングナビを持って行ったのですが、肝心なときに作動しなくて活躍の場なしでした。携帯のナビ機能はあるのですが、2人とも使い方がわかりません……。

土浦駅を朝8時43分に出発して鎌倉に着いたのは11時半でした。やはり連休中とあって、ものすごい人でした。バスに乗ると、バスの横を人がぞろぞろ歩いているのが見えます。道路も混んでおり、バスの早さは歩く人並みです。車窓から見えるツツジが満開できれいでした。

十二所入口でバスを降り、朝比奈切通しに入りました。駅付近ではあれだけの人がいたのに、人影もまばらになってきました。



最初は緩やかな上り坂で、楽勝! と思って歩いていましたが、だんだん坂がきつくなって息があがってきます。


地下水が地面の浅いところを流れているそうで、地下水がしみだして道はぬかるんでいました。

すべらないように気を使いながら歩くのはけっこう疲れます。展望台があるという十二所果樹園に行くつもりでしたが、回り道をしたら歩けなくなるかもしれないと思い、道なりに進みました。

新緑がまぶしいぐらいでした。鶯の声のほかは自分の足音しか聞こえません。しばらくは誰とも出会わず、ここで日が暮れたら怖いなあと思いました。

朝比奈切通しは、伝説では和田義盛の三男で強力無双といわれた朝比奈三郎が一夜で切り開いたことになっています。でも、実際は、北条泰時が自ら陣頭指揮に当たり工事を行ったそうです。鎌倉幕府は、軍事的・経済的にこの道を重要視したそうです。よくその時代に作ったものだと感心します。




道の両側は岩壁になっていて、岩壁に開けられた四角い穴に「道造供養塔」と刻まれた石碑が納められていました。道の脇にも石碑が並び、この朝比奈切通を作るのに多くの犠牲者があったのだなあと思いました。


源頼朝に命ぜられた梶原景時が千葉上総介広常を討った際、刀を洗ったという川だそうです。


写真は岩壁に刻まれたレリーフのような磨崖仏。

800年ほど前にタイムスリップしたような気になっていると突然上の方から車の音が聞こえてきて現実に引き戻されました。見ると前方に高速道路が走っていました。

一時間半ぐらい歩いて、次は海を臨む景色を見るために衣笠山に行こうとしました。ところが、バスを乗り間違えて金沢八景まで行ってしまい、再び鎌倉に戻ってバスに乗ると、今度は降り間違えてしまいました。

4時半をまわってしまったので、あきらめて帰途につきました。やはり一日では無理があったようです。また、近いうちに行きたいなあと思っています。主人は「つまらなかった。もう行きたくない」ですって。でも、文句一つ言わずつきあってくれて感謝!




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病床でイースター

2012-04-11 11:59:36 | 日記
久々の更新です。

『気圧のせいか体調がよくありません。今日は強風の中なんとか歩いて水曜礼拝にいってきました。土手を歩いていると吹き飛ばされそうでした。でも、いまにも咲きそうな膨らんだつぼみを抱えている桜の木はつぼみをひとつも落とすまいと必死に風に耐えていました。
そんな姿をみると元気が出てきます。
満開の桜の木を想像しながら歩くのは楽しいものです。』


今月4日にブログの下書きをここまで書いていました。でも、アップできませんでした。

翌日の木曜に38℃台の熱が出ました。病院へ行くと風邪のようで、抗生剤を出してもらいました。金曜には37℃台に下がって安心していたら、土曜日には39℃近くになりました。

8日の日曜はイースター礼拝だったのですが、やむなく欠席。教会学校の子どもたちに渡すものを持ち帰っていたので、どうやって届けよう……と思いました。

娘に頼むと快い返事をしてくれ、ほっとしました。土曜日中に教会へ行って引き出しの中に入れておいてもいいと言ったのですが、8時半からのⅠ礼拝に出てから届けると、日曜に朝早く起きて出かけていきました。

実は娘は高校3年生のとき洗礼を受け、教会にずっと通っていたのですが、この1.2年、礼拝に出ていませんでした。
娘が2年ぶりぐらいに礼拝出席することになって、嬉しくてたまらず、神様からのプレゼントだと思いました。このときをきっかけとしてまた教会につながってくれるのなら、体がどんなに辛くてもいいと思いました。

娘が出かけた後、食卓の上に手紙がありました。
「おなべにスープがあります。食べられたら食べてください。鍋の横にしょうがをすっておいています。お好みで入れてね。もっと元気があったら、炊飯器にご飯があります。食べてね」

なべをみると、ネギと小松菜のスープがあり、炊飯器にはやわらかめに炊かれたごはんがありました。涙があふれてきました。
ずっと食欲がなかったのですが、お茶碗いっぱい食べられました。しょうがをたっぷり入れて飲んだスープは、体をあたためてくれました。

その日から熱が下がってきました。月曜には平熱になったのですが、そんなに簡単に治るものではありません。今度は全身が痛み、横になっているのもつらくなりました。

ただの風邪ではなかったんだ。乳がんの再発転移だったらどうしよう……。不安がよぎります。
「イエス様、助けてください。」と祈り、イザヤ書53章を暗唱していました。
その痛みも日ごとにやわらぎ、癒されていくのがわかりました。

この間、主人がそうじ、洗濯、買い物をし、2回も食事を作ってくれました。(主人が食事作りをしたのは、結婚以来初めてです)今までわたしが具合が悪いと、娘が料理をしていました。娘が夜に仕事がある時はお弁当でした。

今、主人は火曜日から木曜日までの3日間働いているだけなので、時間がじゅうぶんあります。ちょうど冷蔵庫に餃子の材料があったので、作り方を口頭で伝え、作ってもらいました。包むのには悪戦苦闘していましたが……。
翌日はカレーにも挑戦。わたしが作るよりおいしかったです。

体の弱い私は、こんなふうに寝込んでしまうことがときたまありますが、具合の悪いときには、イエス様が最も近くにいてくださることを実感しました。

土曜日にK姉からメールが届いたので、熱があることを伝えると、「床の中でイースターを迎えてください。主は、病床にはいっそう近くおられます。お大事に」と返信をくださいました。

「まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった(イザヤ53:4)」



日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。わたしの作品も載っています。ぜひご覧ください。


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ヒックンと過ごした3日間

2012-02-13 20:37:02 | 日記
3日間、4歳の孫、ヒックンと共に過ごしました。ヒックンママが友達の結婚式に出席するため、泊まりがけで出かけたからです。
ヒックンは月に2回ぐらいの割合で遊びに来ているので、しばらくぶりに会ったわけでもないのですが、心の成長に驚いています。

2歳のころから車ひとすじだったのですが、最近はレンジャーものに夢中です。変身する格好をまねてヒーローになりきって遊んでいます。「大きくなったらゴーカイ・レッドになるんだ」と言っています。

金曜日は保育園を休ませておじいちゃんが映画に連れて行きました。インフルエンザがはやっているので、すいている平日の朝をねらっていきました。その時間は他に2人しか観客がいなくて、貸し切り状態だったそうです。

ゴーカイジャーすごろくを買ってくると、「ありがとう!」と言って大喜びしました。ところがこのすごろく、ゴールするのが難しく、一時間ぐらいかかります。

途中であきてしなうのでは? と思いましたが、あきるどころかますます熱く燃えてきます。負けそうになると泣き出してしまいます。それでも泣きながら、サイコロを振っています。厚紙でできたサイコロを力いっぱい天井近くまで放り投げるので、終わるころにはサイコロが半分つぶれていました。

やっとヒックンがゴールして終わったのでほっとしました。片づけるとき、ビニル袋に盤を入れるのですが、なかなか入れられません。ぴったりした袋なので難しいのです。手伝おうとすると「自分でやる」と怒るので黙って見ていました。

ヒックンは汗びっしょりかきながら、必死に入れようとしています。そっと袋を押さえようとすると「ダメ!」と言って、ひとりでやろうとします。
「落ち着いて。角と角を合わせて」
と励ましますが、どうしてもできません。途中でトイレに駆け込んで大声で泣いていました。しばらくして涙をふきながらもどってくると、また挑戦します。もう少しのところでビニル袋がやぶれてしまいました。
それで、また大泣き……。

やぶれたところにセロテープを貼って、「だいじょうぶだから。きっと入れられるから」と励ましました。……20分ぐらいかかって、とうとうひとりでやりとげました。「偉いねえ。ひとりでよくできたね」と褒めると、嬉しそうな顔……。けろっとして今まで泣いていたことをすっかり忘れているようです。

その顔をみて、かつて子どもたちがこのような場面にあったとき、わたしはどうしていただろうかと思い返しました。こんなに忍耐強くなかったのです。
「早くして。できないならお母さんがするから」
と言って取り上げてしまっていたような気がします。

そして褒めることより、けなすことが多く、しかってばかりいました。心に余裕がなかったのです。
子どもは、褒められて成長すると聞きました。動作の遅い子に「いつも遅いんだから、だめな子」と言うのではなく、「ゆっくりだけど、ていねいにするから偉いね」など肯定的な言葉で褒めることが大切だと……。

ヒックンは優しい子に育っています。
わたしが疲れて横になっていると、「だいじょうぶ? 何でもひとりでやるからだよ。ゆっくり休みな」と言って毛布をかけてくれました。
ホロリとさせられました。

日曜日の午前中は、わたしだけ教会へいきました。おじいちゃんとヒックンは留守番。みんなで教会へいけたらどんなにいいでしょう……。願いはまだかないませんがきっといつか……と思っています。

教会から帰ってきて3人で散歩に行くと、ピンクの花びらが落ちていました。ヒックンはそれを拾って大事そうにズボンのポケットに入れました。
「どうするの?」と聞くと「ママにあげるの。ママ、ピンク大好きだから」

今回は「ママはまだ?」と一度も言わず、夜もぐずらなかったのですが、いつもママのことを想っているんだなあと微笑ましくなりました。

夕方、ママがようやく帰ってきました。チャイムが鳴ったとき、「隠れてママを驚かせるんだ」と言っていましたが、ママの声を聞くとたまらなくなってとび出して行きました。

久しぶりにママに抱かれて、幸せいっぱいの顔をしていました。

「お世話になりまった」(さしすせそがまだうまく発音できません)と言って帰っていきました。ほっとしたと同時にどっと疲れが出ましたが……。3日間守られたことを感謝しました。




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選択に迷うとき

2012-02-09 17:02:25 | 日記
追記あり。(20時45分記)

先日郵便局で定期預金をしたら、「プレゼントがあります。どれかひとつ選んでください」
と言われました。

差し出された物はマジッククロス、プラスチックまな板、ごみ袋でした。どれも100円で買えるものですが、まな板がいちばん高価に見えました。でもまな板は2つあるし、使わない物をもらっても仕方ないので、マジッククロスにしました。選んでからごみ袋にすればよかった……と後悔しました。

でも、後日やっぱりマジッククロスでよかったと思ったのです。マジッククロスは吸水性がよく、結露ふきに重宝しています。


これぐらいの選択では、もし誤ったとしても、たいして困りませんね。
でも、人生の中では、進学か就職か、A校に行くかB校か、家族で引っ越しか単身赴任かなど……重大な決断を迫られることがあります。

わたしは決断力が鈍い方なので、すごく迷います。もちろん、祈って決めるわけですが、決めた後、別の道に進んだ方がよかったのではないか……と思い悩んだりします。
はじめにもどって選び直せる場合はいいのですが、選んで一歩を歩み出したらもう後戻りできないことが多いです。後戻りできないとわかっていて「別の方を選んでいれば今ごろ……」と考えてしまうことがありました。
また、誤った選択をするのを恐れるあまり、決断ができないこともありました。

以前教会で、『これが導きなのだと信じて進んでも、間違った選択をしてしまうことがあります。でも、そのとき神さまは、間違えに気づいたその時点から良い方向へと導いて下さいます。間違えてやってしまったことを消すことはできませんが、間違えたらそれで終わりなのではなく、そのことも用いて神さまは良い方へ導いて下さるのです』と聞きました。神さまは、人の間違った選択をも良きことと変えて下さるのですね。

この話を聞いて、たとえ間違ってもだいじょうぶなんだと思えるようになり、気が楽になりました。選択は一回限りではないのです。誤った道は行き止まりではなく、また選択肢が示されるのです。
人生は選択の連続であると言われていますが、本当ですね。み心にかなった正しい選択ができるようにと祈りつつ……。


明日からヒックンママが友達の結婚式に出席するため泊まりがけで出かけるので、ヒックンを3日間預かります。明日は、ゴーカイジャーの映画に連れて行く予定です。
 

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ぜひご覧ください。


追記
ブックマークに入れてある友人のブログ、メメントドミニ9日の記事(神のナビゲーター)に共通の思いが書かれていました。

『進むべき道が判らない時や、心に小さなざわめきを感じる時はじっと待つようにしている。そして、神は私に何を求めておられるのかを考えながら動かずに待つのである。』の一文に教えられました。
ぜひご覧ください。



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創作の原点

2012-01-30 16:45:43 | 日記
27日(金)児童文学者協会茨城支部の集まりに参加し、夕方から都内の実家に向かいました。実家に一泊して翌日は御茶ノ水の日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の例会へ出席しました。

無事自宅に帰った時はほっとしました。
というのは、金曜日の昼に地震があったからです。ビルの5階にいたので、けっこう揺れを感じました。合評の最中でしたが、緊急地震速報が出て一時中断しました。館内放送も流れましたが、たいしたことないとわかったのでよかったです。

またその日、地震とは関係なく、常磐線が人身事故で一時間も止まったというニュースが入りました。
東京へ行く日にこのようなことがあると、恐れます。人一倍体が弱いので、電車に閉じ込められたり、避難所で一晩過ごさなくてはならなくなったら、きっと具合が悪くなるでしょう。

でも、聖書の言葉「恐れるな、わたしはあなたとともにいる。 たじろぐな、わたしがあなたの神だから。( イザヤ41:10)」を思い出し、勇気を出して出かけました。


土曜日の朝も地震がありました。「遠き国や」(聖歌397番)の「揺れ動く地に立ちて」の歌詞を思い出しました。

こんなにビクビクしていて情けない……と思いましたが、昨日、「恐れるな」という言葉が聖書に365回も書かれていることを聞いて、それなら毎日恐れてもいいのだと慰められました。

児童文学者協会の例会は、作品提出者が少なかったので、わたしの12枚ほどの童話をていねいに一時間もかけて合評していただきました。

「文香さんの作品は、いつも胸にちくっとくるものがあるね」と言われました。『ちくっと』が、皮肉という意味ではなく、自分の罪に気づいて心をさされるという意味だといいな……と思いました。

たくさんの意見が出ましたが、肝心な一行が足りなくて、余計なことを書きすぎていることに気づかされました。忌憚のない意見を聞けて大変貴重な時間でした。うーん、これから書き直さなければ……。

また、24日のブログに書いたこと、(かつて大阪児童文化の会でお世話になったKさんと35年ぶりにつながったこと)を皆に話し、感動を分かち合いました。

35年前の「ぶらんこ」に掲載されている自分の作品を読んだとき、確かに拙い文章だけど、素直だということに気づきました。20歳のころのわたしは、ひねくれていた部分もあったはずですが、今よりは素直だったのかもしれません。そして、伝えたいこともなかったかわりにこだわりがありませんでした。

今は伝えたいことがありすぎて、一つの作品にあれもこれもと盛り込むので、肝心なことが伝わらなくなっていたのでしょう。

それで、今月も終わり近くになって考えた今年の抱負を紹介します。(書くことに関することばかりですが……)以下はJCPでお話しさせていただいたことです。

①素直な気持ちになって書くこと。
②伝えたいことがたくさんあっても、短編ならその中の一つを入れるだけにとどめること。
③童話と小説はファンタジーで書くというこだわりがありましたが、それを捨てるということ。


JCPで「書くことは、特別な人に与えられた特別の業ではない。本能とも呼ばれる精神活動である」と聞いて、創作の原点を教えられました。



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35年ぶりにつながって

2012-01-24 12:52:10 | 日記

土浦で初雪が降りました。先日、都内で雪が積もったとき、土浦では雪になりませんでした。
今日、主人は車でなく、バスで仕事に出かけました。
お天気にはなりましたが、気温が低いので道路がまだ凍っています。スリップ事故など起きないように祈っています。


わたしは中学1年の夏から24歳まで約12年間、神戸に住んでいました。
短大のとき「子ども世界」という童話雑誌に投稿した小さな作品が入選して掲載されたことがありました。それをきっかけに大阪児童文化の会へ行くようになりました。
児童文化の会の本部は埼玉県浦和にありますが、関西では大阪で例会が行われていることを知り、ひとりで出かけていきました。

千二公民館というところで行われていました。初めて訪れたとき、千里山の駅から公民館までの道がわからなくて迷いに迷った末、タクシーで行った覚えがあります。
そこでは合評会が行われていたので、わたしも何度か作品を持っていきました。厳しいことを言われた覚えはありません。きっと新人で若かったから、やさしくしてくださったのでしょう。

リーダーのKさんにとてもよくしていただいたことを覚えています。文章の書き方のイロハすらわかっていなかったわたしを指導して下さり、作品を同人誌「ぶらんこ」に載せていただきました。(「ぶらんこ」7号~10号にわたしの作品が掲載されています。当時の「ぶらんこ」が手元にあることが不思議です。)


今から考えると、貴重でとても有意義な時間でした。大阪児童文化の会がわたしの創作の原点になるのだなあと思います。

卒業して幼稚園に勤めたのは、子どもたちと触れ合うことで活き活きとした作品が書けるようになりたいという動機からでした。
ところが、幼稚園に勤めてからはだんだん会から足が遠のいていきました。あまりにも忙しすぎて、童話が書けなかったのです。そして休日は疲れ果て、神戸から大阪に行く気力さえなくなってしまいました。
何の挨拶もせずにやめてしまい、その3年後、連絡もせずに関東に引っ越したのでした。

それからしばらく童話を書くことをやめてしまいました。やめたというより、書けなかったのですが……。

再び童話を書き始めたのは、10年以上たってからでした。そのときは、クリスチャンになっていましたから、子どもたちに神様の愛を伝えたいと思い、ひたすら書いていました。
その後20年近くも書いていますが、当時の「ぶらんこ」に載せていただいた作品を見ると、あまり成長していないような気がします。

私の作品を初めて掲載させていただいた「ぶらんこ」は7号。そして、今は47号が出ており、わたしがやめてからもずっと続けて発行されていたことに感動を覚えます。

先日、Kさんと35年ぶりに連絡を取ることができました。どうして連絡が取れたかというと、去年の暮れにわたしのホームページをみた元大阪児童文化の会の会員、Tさんからメールが届きました。

「児童文化の会」で検索して、わたしのブログがヒットしたのだそうです。『同じころに会にいた人のようだけど、誰なんだろう?』 と思われたそうで、メールを下さいました。

わたしが旧姓を名乗ると、早速Kさんに伝えてくださいました。
Kさんはわたしのことを覚えていて下さいました。TさんがKさんの住所を教えて下さったので、わたしは手紙を書いて「リピート・シンドローム」をお送りしました。すると、昨日、Kさんからお手紙と新しい「ぶらんこ」が送られてきました。

Kさんは、わたしが児童文学者協会に入ってずっと書き続けていることをたいそう喜んで下さいました。「関西に来られたらぜひ知らせて下さい。家に泊まって下さい」と書かれていたのでびっくりしました。35年も音信不通だった人にそのように言ってくださるなんて・・・懐の大きい方だなあと思いました。

35年前のわたしは、とても無口で自分を語ることができませんでした。児童文化の例会でも、ほとんど発言をしなかったと思います。短い期間しか在籍しなかったので、わたしのことはとっくに忘れられていると思っていました。ところが、覚えていて下さり、なつかしんでくださったことを知って、感激しました。

神さまは、すばらしい人と出会いを備えていて下さり、35年の時を経てまたつながるようにして下さったのですね。つなげて下さったTさんにも感謝します。



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