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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

嬉しいつながり

2013-04-18 20:58:09 | 日記
昨日、一昨日は体調を崩して伏せっていましたが、今日はすっかりよくなりました。

先日、月島の高層マンションに住む親戚のTさんの家に招かれて、母と妹と東京駅で待ち合わせして行ってきました。

母と妹と三人で出かけるのは久しぶりです。新丸ビル5階のレストラン・イグレックで昼食をいただきました。妹が前もって予約を入れてくれたので、東京駅の駅舎が目の前に見える席でした。


ワンプレートランチを頼みました。白身魚とホタテのクリームパスタ。サラダも中に入っています。白くてフワフワしているいのはチーズです。あっさりしていてとてもおいしかったです。


昼食後、新しくなった東京駅を見て(これまで何回も東京駅は通っているのですが、駅舎を見学したのは初めてでした。)

八重洲口にまわってバスで月島へ。10分ほどで着きました。スーパー、薬局などが建ち並ぶ道を歩いて、Tさんの住むマンションに着きました。55階建てで、Tさんの家は36階です。リビングから見える景色に思わず歓声を上げました。



スカイツリーから葛西臨海公園の観覧車まで見えました。夜はデイズニーランドの花火が見えるそうです。



Tさんとわたしは、はとこの関係にあります。昔、父が叔父であるTさんのお父さんに可愛がっていただき、その関係で何十年も親しくさせていただいていました。わたしの父もTさんのご両親もすでに亡くなっていますが、このようにお付き合いが続いていることが嬉しいです。

かつてTさんご一家は秋田に住んでいました。わたしが中学生のとき、夏休みにぜひ泊まりにいらっしゃいとさそわれました。そして毎年行こうとするのですが、喘息で行けず、そのたびにTさんから「今年は残念だったけど、来年こそはぜひきてくださいね」と手紙が届きました。それが3通になった翌年の高2年の夏、ついに秋田へ行くことができ、温かく迎えられたことなどを思い出していました。
 
Tさんのお母さんはクリスチャンでした。(亡くなってからわかったのです。このことについてはブログ2006/12/12に書いています)Tさんはクリスチャンではありませんが、Tさんの妹さんはカトリックの洗礼を受けられたそうです。

わたしはTさんにクリスチャン・ペンクラブの証し新書をお土産に持っていきました。
4人で楽しく語り合って、あっという間に時間が過ぎていきました。楽しいひとときでした。



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もうすぐ一年生

2013-04-02 16:14:26 | 日記
写真はわたしの散歩コース、土浦市の桜川の桜です。昨日映しました。昨日は暖かでしたが、土曜、日曜は寒く、こんなにきれいに咲いているのにお花見している人の姿は見当たりませんでした。今日は雨が降ったので、散りはじめているかもしれません。

28日から31日まで長男の息子、ヒックンがひとりで泊まりに来ていました。28日はわたしが葬儀のため出かけていたのですが、その日から来て、おじいちゃんに映画に連れて行ってもらいました。

翌日は埼玉県大宮にある鉄道博物館へ連れて行きました。わたしは体力的に連日長時間の外出ができるかどうか自信がなかったのですが、ヒックンが楽しみにしているので、出かけました。土浦から大宮までは1時間半ほどです。
ヒックンは、たいてい車で出かけるので、久しぶりに電車に乗って大はしゃぎです。途中で少しあきましたが……。



鉄道博物館では。実際に使われていた汽車や電車が展示されていて、車両に乗ることもできたので大喜びです。昔のこだまをみて「新幹線よ」と言うと、「これは新幹線じゃない」と言います。新しい形の新幹線しか知らないのですね。
館内を走り回るので、主人とわたしは息を切らして追いかけました。


大きなジオラマがあって、次々と電車が東京駅から発車していく様子を見ることができました。最後に「はやぶさ」が走ったので、手をたたいて感激していました。
昼は中庭で椅子に座って駅弁を食べました。風もなく、暖かくていい日よりでした。

帰りの車中で寝たのは、わたしでした。ヒックンは寝ないで(最近は昼寝をしません)、ずっと静かにしていました。

31日はヒックンの6歳の誕生日でした。ママがケーキを買ってきてくれて、みんなでお祝いをしました。
まだまだ小さいと思っていましたが、もう小学生です。昨日から小学校内にある学童保育に通い始めました。

ママが来ると、ヒックンは3日前のこと、一昨日のこと、昨日のことを順に一生懸命話していました。
ママからキョウリュウジャーの下着をプレゼントされて、
「明日はこれを着て学校へ行くんだ♪」と言うのを聞いて、成長したなあと思いました。
少し前までは、過去、現在、未来が混ざっていたのです。

ヒックンが帰るとどっと疲れが出ましたが、すべてのことを守ってくださった神様に感謝!



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移ろいゆくもの

2013-02-22 17:51:13 | 日記
昨日、久しぶりに駅前に出かけました。駅前ビルのギャラリーに友人の写真が展示されているというので見に行ったのです。

今月17日に駅前にあったイトーヨーカドーが閉店したことは知っていました。
でも、実際にシャッターが降りているのを見るとショックでした。いつも電車で出かけて戻ると必ず寄って夕飯の材料を買っていました。
子どもたちが小さいときは、よく連れて出かけました。

23年前、土浦に引っ越してきた当初、駅前は賑やかで、駅近くにヨーカドー、西友、そして丸井や小網屋もあったのです。みんな次々と閉店していきました。

ヨーカドーだけは残ると思っていたのに……。数年前にできた郊外型のショッピングセンターに人が流れ、売り上げが落ちてしまったようです。

ヨーカドーだけでなく、駅前の商店街はひっそりとして、シャッターの降りた店が増えてきました。
時代の流れだからしかたないといえばそれまでですが、なんだか寂しいです。

ヨーカドーの入っていたビルの5階で写真展が行われていました。エレベーターに乗ったら、ベビーカーを押した若いお母さんたちが乗ってきて「ヨーカドーなくなって困ったね。不便だね」と言っていました。

友人の写真を見て心があたたかくなりました。
どこにでもある風景、見たことのあるような建物が写っているのですが、そこにドラマを感じ、いろんな空想をして楽しめました。

たとえば猫が歩いている風景。同じような場面はこれからもあるのかもしれませんが、それと全く同じ瞬間は二度とありません。切り取られた時間の切り取られた風景です。

年々、時の流れは速く感じられ、今日が2月22日だと受け入れられないほどです。どんどん失われていく時間……。
でも、写真に撮っておくと、少なくともその時間は留まってくれます。そのときの気持ちも時間と共に流れ去っていきますが、文章に書き表すと確かに残ります。

はっとするほどきれいな夕焼けをみた時、孫と過ごした楽しい時間、食事をしながら主人や娘とたわいのない話をした時間、母と楽しくおしゃべりした時間。信仰の友と聖書を共に読み、篤く語り合った時間。

移ろってはいくけれど、その時間は宝物のように心にしまっておくことができます。
それでも、寂しいと感じるときがあります。

そんなときは、永遠に変わらない神様に目を向けます。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。(イザヤ40:8)」



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今日できなかったことが、明日はできるかもしれない。

2013-01-12 17:13:43 | 日記
少し前にやったことをすぐ忘れ、自分が言ったことも忘れ、探し物ばかりしているわたしです。一日中ほとんどぼおっとしているのですが、ぱっとひらめく瞬間があって、そのときは、自分の能力以上のことができてしまうのです。

HPを更新するソフト、FFFTP(この前は間違えてFFTTPと書いていました)の設定がウインドウズ7でできなくて悪戦苦闘していることを先日書きましたが、夕べふっとひらめいて、もういちど最初から設定をやり直してみました。

わたしのHP「生かされて・・・土筆文香」のサーバーbiglobeの設定はできたのに、JCPのロリポップに接続できないはずはないと思いました。それで、古いPCの設定画面のホストの設定名、ホストのアドレス、ユーザー名などを書き写し、間違えのないように注意深く入れてみたら、接続できたのです。感謝!!

以前も同じように入れていたはずなのに、何かが違っていたのだと思います。スペースが入ったり・(ドット)の位置が違うだけで接続できないのですから……。

この間はもう無理だと半分思っていたので、できませんでしたが、あきらめずに挑戦することは大切ですね。
それにしても、このひらめきは何だったのでしょう?

もういちどやってみなさいと背中を押された気がしたのです。それは、神様です。神様は、本当に必要なことを備えてくださいます。
古いPCは、ネットにつながないで文章を書くときに使用することにしました。

デボーションノートに書き記したことを紹介しますね。

今日できなかったことが、明日はできるかもしれない。
今日わからなかったことが、明日にはわかるかもしれない。
今まで知らなかったことを、明日新しく知るかもしれない。
今まで、数え切れないほどの失敗を重ねてきたけれど、明日は成功するかもしれない。
体力は日々衰えているけれど、心は日々新たにされている。死を迎えるまで、ずっと。


「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています(Ⅱコリント4:16)」


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明けましておめでとうございます

2013-01-03 17:28:24 | 日記
新年のごあいさつ申し上げます。今年もブログ「生かされて」をよろしくお願いいたします。

暮れから息子一家が泊まっていましたが、みんなで風邪をひいてしまいました。
ヒックンは微熱。息子は38℃の高熱。ほかに熱を出した人はいませんでしたが、咳と鼻水。わたしは喉が真っ赤に腫れてしまいました。でも、なんとか回復してきました。

使い捨てカイロをタオルに包んで首の後ろに当てると初期の風邪に効果があります。

一番早く回復したヒックンは、パパが熱を出したことを知って、「どうやって家に帰るの?パパ歩けないでしょ。誰が抱っこするの?」と心配していました。(無事帰って行きましたが……)

1日は、元旦礼拝に出席しました。ことしの年間聖句は「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。(ヨハネ8:31-32より)」です。

これはイエス様が語られた言葉なので、「わたし」とはイエス様のことを指しています。イエス様の言葉にとどまるとは、イエス様の言葉に賭けてその通りに生きること、イエス様の言葉にしっかりと根をおろし、その言葉を守っていくことだそうです。

友人から昨年、クリスマスプレゼントとしてデボーションノートをいただきました。デボーション(聖書を読み、祈る)は毎日していますが、書くことはしていませんでした。

そのときそのときで、聖書の言葉にはっとさせられること、心打たれることがあっても時間がたつと忘れてしまいます。毎日ひとことでもいいから書き記すようにしようと思います。そうしなさいと神様に言われたような気がします。

『イエス様の言葉にとどまる』ということにも繋がりますね。
三日坊主にならないようにしなければ……。



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一年を振り返って

2012-12-28 11:51:20 | 日記
おもちゃと着替え、こどもチャレンジなど、たくさんの荷物をかかえてヒックンがやってきました。今、主人と仮面ライダーの映画を観に出かけています。一年を振り返ってのブログを書くのは限られた時間です。


今年は大きな変化のあった年でした。主人が完全に仕事を退き、毎日家にいるようになりました。生涯学習センターで行われている講座に週3回通い始めましたが、2~3時間で帰ってきます。

今までは時間を自由に使い、昼食はひとりのことが多かったので、2時ごろ食べたり、好き勝手にしていました。主人がいるとそういうわけにはいきません。昼食のメニューを考えるのも一苦労だし、自分の時間が少なくなって、ストレスがたまるのではないかな……と思っていました。

ところが、全くと言っていいほどストレスはなく、掃除など家事を半分もやってくれるので大助かりです。わたしは洗濯と3度の食事を作り、後片付けをしていればいいのです。

暮れの大掃除は、8割ぐらいやってくれたので、わたしはお菓子作りばかりしていました。
主人は全く干渉せず、自分のやりたいことをやっているので、わたしが1日パソコンにかじりついていても何も言いません。

結婚した当初は、主人が無口でわたしのしていることに全く無関心なことを嘆いていましたが、今は無口、無関心、大歓迎です。
ただし、信仰のことには関心を持ってほしいなあと思いますが……。

一年間の出来事としては、キリスト教の月刊誌「百万人の福音」のペンライト賞に佳作入選したことが挙げられます。あかし文章を書き続ける励みになりました。

また、今年は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)の60周年の年で、記念感謝会の実行委員のひとりとして準備に関わらせていただきました。2月末からその準備が始められ、何度も御茶ノ水に足を運びました。そして、10月6日に行われた感謝会は、祝福あふれるものとなりました。

昨年から引き続いてお茶の水聖書学院(OBI)の卒業論文に取り組み、7月には埼玉の嵐山で行われたサマースクーリングに出席し、指導を受けました。そして、12月に卒業論文を仕上げ、無事提出することができました。来春は卒業です。

そうそう、主人が論文の下書きに目を通してくれました。今までわたしの書いたものはほとんど読んでくれなかったのに……。論文と言ったので珍しかったからでしょうか……まさに奇跡的なことでした。

2か月に一度、土浦で行われる児童文学者協会茨城支部の例会では、長編を書くかたわら、毎回短編を提出していました。そして10月には200枚の長編を書きあげました。

ネット読書会「カラマの会」ではドストエフスキーの「白痴」と「悪霊」を読みました。
ひとりでなら100%途中で放り出してしまうであろう本です。内容が十分に消化されませんでしたが、とにもかくにも読み終えたことでほっとしています。

教会では、一年間教会学校(CS)奉仕が守られました。クリスマス会前の2か月間は、朝8時半からの礼拝に出て、10時から12時半までのCS奉仕でした。朝早く起きて主人の朝食、昼食を作って出かけるのは大変でした。

素敵な出会いもありました。このブログを見てくださった方とお目にかかって友達になりました。神様が与えてくださった出会いです。

書き出してみると、たくさんのことをした一年間だったと思います。体調良好というわけでもなかったのですが……。病院通いをしつつ、3か月ごとの子宮癌検診も受けつつです。

今年を漢字一文字で書くと何でしょうか?と質問されて、わたしは「力」と答えました。

これだけのことができたのは、わたしの力ではありません。体も頭も弱いわたしが、できるはずがないことを成し得のたは、神様の力によると思ったからです。神様に「力を与えてください」と、必死に祈りながら行いました。

このことは、めぐみ教会の今年の年間聖句とリンクしていました。

年間聖句は「神の力は私の弱さの中に完全に現れる。私が弱い時こそ私は強いのです。(Ⅱコリント12:9-10より)」です。
神さまの力が完全に現れてくださった一年でした。心から感謝します!!



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我が家のクリスマス

2012-12-25 20:53:16 | 日記
昨日はヒックンとヒックンママも招いて、家族でクリスマスのお祝いをしました。相変わらず仕事の忙しい息子は来ることができませんでしたが……。

息子夫婦から思いもかけずクリスマスプレゼントをいただきました。
マッサージクッションです。マッサージチェアーは知っていますが、クッションがあるとは知りませんでした。首や腰に当ててスイッチを押すと、心地よいもみ具合です。10分も当てていると肩こりがすっと楽になりました。寝ころびながらでもマッサージできるところが気に入りました。

クリスマスカードには「おとうさん、おかあさんへ。いつも とても 感謝しています。心をこめて」と書かれていたので、ジーンときました。

ヒックンは1日早くサンタさんが来てくれたとのことで、ごきげんでした。どんなおもちゃをもらったか一生懸命説明してくれました。

子どもの成長は早いです。好みも変わります。いままで、ママの好きなピンクが大好きで、タオルも歯磨きコップもピンクのものを使っていました。でも、最近は「ピンクは女の子が好きな色だよ」と言って青いものを使っています。

時計がよめるようになって、パソコンでゲームするときも何時までと約束できるようになりました。

野菜は何でも食べますが、少し前までほとんど肉を食べませんでした。でも、最近はよく食べるようになって、ローストチキンを焼いたら、大喜びでかぶりついていました。


来春は1年生です。

28日からヒックン泊まりがけでくるので、その間は時間のかかる内容のブログ記事は書けないと思います。
「奇跡について」の続きはまだあるのですが、来年になってから書きますね。



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検査のたびに死を想う

2012-12-07 21:22:56 | 日記
昨日子宮体癌の検査結果を聞きに婦人科に行ってきました。ずっと調子が悪く、痛みもあったので診察を受けると、子宮体癌の可能性があると言われました。また、ポリープができていたので切除してもらいました。

その後、体調は良くなったのですが、不安が影のように付きまとっていました。すべて神様に委ねているとはいえ、また癌で手術を受けるようになったら大変だなあと、いろいろ考えてしまいました。

検査結果は良好でした。ポリープも悪いものではありませんでした。医師の一言を聞くまで、よほど緊張していたのでしょう。医師の言葉を聞いたら、体の力が抜けたようになってしまいました。

でも、現在の状態は癌になるリスクが大きいので、しばらくは3か月に一度検査をしましょうと言われました。

中村勘三郎さんが亡くなられたというニュースが流れました。
初期の食道癌だから、手術を受ければすぐ元気になれると誰もが思っていたのに……。50代の若さであっという間に召されてしまうとは……同年代の者としてショックでした。

「神様も仏様もいないと思う」と弔問に訪れた大村崑さん言っていましたが、将来のある人が亡くなると、神も仏もいないことになるのでしょうか?

癌でなくても交通事故で一瞬のうちに命を落としてしまう人がいます。少し前までにこやかにおしゃべりしていた人が突然死んでしまったら、どれだけショックなことでしょう。それは誰も予想ができないことで、同じ事故にあっても、ひとりは助かってひとりは亡くなるのはどういうことなのか……その理由のわかる人はいません。

旧約聖書詩編121:7には
「主はすべてのわざわいから、あなたを守り、あなたの命を守られる。」と書かれています。
まだ死なないと思っていた人が死んでしまった場合、この言葉は嘘になるのでしょうか。

人は誰でも死がいつ訪れるかわかりません。突然の死、早すぎる死に遭遇すると驚き、恐れます。でも、神様の側からみるとそれは必然の事です。

もし今大地震が起きて天井が落ち、わたしが死んでしまったとしても、それは理不尽なことではありません。
「わざわいから守られなかったし、命も守られなかったじゃないか」と言う人がいるかもしれません。

死んだわたしが遺された人に語りかけることができたらこう言います。
「そのときは一瞬恐ろしかったけど、気が付いたらイエス様といっしょに天国へ来ていたの。聖書の言葉は本当だったわ。わたしは、わざわいから守られ、いのちも守られたの。このいのちは、イエス様が下さった新しいいのちなのよ!」

3か月に一度の検査のたびに死を想うことになるでしょう。それは、わたしにとって神様によって生かされていることを実感する貴重な機会です。

明日は、乳癌の手術記念日。9年たちました。


今日の夕方、この文章の下書きを書いてPCを閉じ、夕飯の支度をしようとしたとき、久々に大きな地震が起きました。パソコンからUSBを抜き取って、それを握って机の下にもぐりました。地震のことを書いた直後だったので、ほんとうに天井が落ちて来るのかとビクビクしていました。何も落ちてこなかったのでほっとしましたが……。
何が起きるかわかりませんね。



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消えた母との確執

2012-12-04 21:00:58 | 日記
昨日から母が来ていました。毎年、わたしのPCで年賀状を作るため12月初めに来ています。10月に左腕を骨折したので、今年は無理かもしれないかと思っていました。
でも、「行くからね」と言って三鷹から電車で3時間かけて来てくれました。腕はだいぶよくなっていました。今は週2回リハビリに通っています。

今年は1泊なので、着いてすぐ年賀状の図案選びをしてもらいました。
5分もしないうちに「これに決めた」と言うので、「もう少しほかも見てからにすれば」と言っても「これでいい」との一点張り。
母は昔から決断力があり、決めてから迷ったり後悔したりしないのです。

わたしは母と正反対の性格で、決断力が鈍く、迷いに迷った末決めても、あとから後悔するタイプです。
むかしは、人前ではっきりと意見を言って、リーダーシップを発揮している母を見ていると自分が情けなくなってしまうことがありました。自分と母を比較して劣等感を感じていたのです。

言葉で母に傷つけられたことをいつまでも覚えていて、母のせいで意気地なしになったのだと思っていました。
長い間、母との間で確執があったのですが、いつの間にかすっかり消えていることに気づきました。

ずっと母のことを嫌っていたのに、今は母をいとおしく思えるようになり、母のいいところを尊敬できるようになっているのです。なぜそうなったのでしょう……。祈っていたのです。神様が祈りをかなえてくださったとしか思えません。

母にはことあるごとにイエス様のことを伝えていますが、まだ受け入れていません。でも、少しずつ態度が変化しています。

この間、実家に帰ったとき、高校生の姪が来ていました。夕方、姪を迎えに義弟が来たので母と姪、義弟とわたしの4人で夕食を共にすることになりました。妹は大阪出張です。

母とわたしだけのときは、食事のたびにいつもわたしがお祈りをしていました。数年前までは、母はわたしが祈っている最中に「いただきます」と言って食べ始めたりしていました。

最近は、待っていてくれるようになったのですが、まだ「アーメン」とは言いません。
その日は姪と義弟が食べ始めたとき、「お祈りしないとだめなのよ」と、母が言ったのです。
わたしは一瞬耳を疑いました。

母を見ると、手を合わせてわたしが祈るのを待っています。わたしが祈り始めると義弟はちょっとびっくりしたようでしたが、姪は一緒に祈って「アーメン」と言ってくれました。(かつて姪が我が家に来たとき、よく教会に連れて行っていました)

昨日のうちに年賀状印刷ができたので、今日は主人の運転でイオンに行き、買い物をしました。昨年もイオンに行ったのですが、母が気に入った店の場所を覚えていたのには驚きです。(何度も行っているわたしは覚えてないのに……)買い物してお釣りを計算するのもわたしより速くて正確です。何事も母にはかないませんが……そんな母を誇らしく思います。

母が「アーメン」と言ってくれる日が早く来ますように。



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レビ記の体験記

2012-11-30 20:25:15 | 日記
始めてから15年ぐらいになるでしょうか、教会の小グループで聖書輪読会を行っています。数人が集まって、最初は毎週水曜日に行っていました。(いまは月に1度)1回で聖書1章を1節ずつ順番に読み、感想を言い合っています。小さな集まりですが、継続していることが不思議なぐらいです。これまでに新約聖書2回通読しました。旧約聖書に入ってもうじき3年になろうとしています。

いま、レビ記を読み始めたところです。レビ記は規則ばかり書かれているので、果たしてどういう意味があるのか……と考えてしまう箇所です。でも、一見無味乾燥な文章のなかに神様の愛が隠されていることに気づかされます。

1章には、動物のいけにえをささげる方法が書かれ、2章には穀物のささげものをささげるやり方が書かれています。
「これを、実践してみない?」メンバーのひとりが言いました。
(えっ、動物の皮を剥いで切り分けるの?)と一瞬思いましたが、そうではなくて、穀物のささげものを聖書に書いてある通りにやってみようということでした。

レビ記2:2には、
「人が主に穀物のささげ物をささげるときは、ささげ物は小麦粉でなければならない。その上に油をそそぎ、その上に乳香を添え」と書かれています。小麦粉はひとつまみです。その他は量が書かれていないので適当にするしかありません。

乳香はネットでも販売されていますが、友人が持っていたので、それを使わせていただくことにしました。乳香とは、樹木に傷をつけて分泌された樹脂が空気に触れて乳白色に固まったものです。


一昨日、水曜礼拝の後、お弁当を持ってメンバーのひとりの家に向かいました。
まずは5人で昼食を共にして楽しく語らい、聖書を読んでから外に出て実験開始です。




ひとつまみの小麦粉をアルミホイルの上に載せ、乳香を入れ、オリーブオイルを数滴たらしました。



アルコールランプで熱すると……しばらくは何の変化もありませんでしたが、やがてブクブク泡立ってきて、煙が出てきました。
においをかぐと、何と表現したらよいか……・博物館のにおいのような……防腐剤のにおいのような……うっとりするようなにおいではないけれど、神聖なにおいでした。





子どものころギリシャ正教会に通っていた友人が「ギリシャ正教会で礼拝のときにたく香のにおいと同じ」と言っていました。
「これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」と聖書に書かれています。

「神様は、このにおいがお好きなんだろうか?」
「もしかしたら、動物を捧げるときにたくさんの血が流れ、血の匂いがしているので、それを消す意味もあるのかもしれないね」
と話しました。


乳香だけガスコンロで熱すると、火がつきました。小麦粉と油と一緒に熱した方がたくさん香りが出た気がします。

旧約聖書の時代は、人が罪を犯した時、その人の罪が赦されるためにその人の代わりに動物を身代わりに殺していました。その動物は傷のない雄でなければならないと書かれています。のちにイエス・キリストが来られて、イエス様ご自身がいけにえとなって殺されます。レビ記に書かれていることは、このことを示しているのです。

神様は罪に対して厳しいお方です。旧約の神様が厳しい神様で、新約の神様がやさしい神様なのではありません。神様は新約においても厳しさには変わりありません。

新約において、神様は人類の犯した(これから犯す)罪の罰をすべてイエス様に下したのです。だから、わたしたちは罪を犯しても罰せられないですむようになったのです。
罪を犯したとき、キリストの十字架以前は、神様にいけにえをささげ、なだめのかおりのささげ物をささげなければなりませんでした。十字架以降はささげものは必要なくなりました。ただキリストを見上げて悔い改めるだけでいいのです。

「新約の時代に生まれてよかったね」
と皆で言いました。

小麦粉はイエス・キリストを表すと聞きましたが、だんだん焦げていく小麦粉を見ていたら、十字架上のイエス様の姿がオーバーラップして涙が出そうになりました。



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アルタバンのように

2012-11-16 20:02:10 | 日記

クリスマスに向けて3本の脚本を書いて、OBIの卒業研究レポートの仕上げをし、パネルシアターの色づけ、手紙書きなど短期間に夢中でやりました。こんなに無理したら、具合が悪くなるという心の声も無視してやっていたら、一昨日はとうとうダウン。2日間眠り病にかかったように(必要最低限の家事だけして)夜も昼も寝てばかりいました。
今日、ようやく元気を取り戻しましたが、冬眠から覚めたばかりのクマのように頭がぼんやりしています。


今日はレストランで部屋を貸し切っての家庭集会でした。年に一度、恒例のように11月にこのお店で家庭集会を開いていますが、今回は初めて離れの建物を貸していただきました。


軽井沢のようなロケーションの山小屋風のレストランはすてきで、ランチもおいしかったです。
学びの前に来月の家庭集会クリスマス会で行う朗読劇の練習をしました。今年のクリスマスは「星」がテーマです。星と聞いたとき、思い浮かんだのは3人の博士でした。


クリスマスにイエス様の誕生を祝って東方から3人の博士が来訪したことは、多くの人が知っていますね。
東方とはどこの国なのか。 なぜ救い主誕生のことを知っていたのか。なぜ救い主を拝むために危険を伴う旅までしたのか。東方から来た博士は3人だったのか?
色々な疑問がわいてきます。博士の人数については聖書に書かれていません。
ただ、乳香、黄金、没薬という3つの贈り物がささげられたので、3人と思われているようです。
博士たちは、星の道筋を調べる占星術師だったようです。ちょうど救い主、イエス・キリストが生まれたころ、新しい星が出現しました。けれども、新しい星の出現がなぜ救い主誕生と結びついたのでしょう。ユダヤ人ではない博士たちが、救い主のことをどうして知っていたのでしょう。

東方というのはペルシャだという説があります。かつてイスラエルがバビロンに滅ぼされ、捕囚としてバビロンの地に連れてこられました。ユダヤ人たちはそこに住みつきました。何年もたって、バビロンがペルシャに滅ぼされ、ユダヤ人は国に帰還したのですが、帰還せずにそのまま住み着いたユダヤ人もいたようです。

ユダヤ人たちは巻物の聖書持っていました。旧約聖書です。そこには救い主誕生の預言が書かれています。
帰還したユダヤ人が置いて行ったのか、書き写したものかはわかりませんが、博士たちはそれを読んでいたと考えられます。なぜなら、星を見ただけで、救い主が誕生したことを確信し、全財産をはたいて命の危険を顧みずに旅に出たのですから。

さて、救い主を拝みに行こうとした博士は、3人ではなくて4人だったと考えた人がいます。4人目の博士の名はアルタバンです。

初めてアルタバンの話を聞いたとき、わたしは心がズキンとしました。アルタバンは救い主への贈り物として3つの宝物を持って旅に出ますが、病気の旅人や、母親と赤ん坊、奴隷として売られていく娘を助けるため宝物をあげてしまいます。何もかも失ったと思ったアルタバンでしたが、イエスさまはアルタバンがしたことは皆、わたし自身にしたことと同じだ言って賞賛してくれます。

アルタバンのような生き方はできないけれど、そのように生きたいとあこがれています。
「まことにあなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)
このようなストーリーを朗読劇にしたいと思って脚本を書いたのでした。
来月13日の家庭集会クリスマス会が終わったら、ブログでも紹介させていただきますね。


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かけがえのない贈り物

2012-11-05 20:20:18 | 日記
3日の夜、実家から帰ってきました。
母が左腕を骨折してから3週間経ちました。最初、2週間でギブスが外れると言われていたのですが、2回目の診察の時、骨のつきが悪いので、手術しなければならないかもしれないと言われ、心配していました。

3回目の診察で、「手術は必要ありません。このまま順調にいけば8日にはギブスがはずれるでしょう」と言われたそうで、ほっとしました。
紫色になっていた指先も、もとの色に戻りつつあります。指先が使えるようになったので、家事もだいぶ楽になったと言っていました。
それでもお風呂掃除や布団干しなどはできませんし、洗濯物を干すのも一苦労です。

3日は、父の七回忌が行われました。命日は10月18日なのですが、妹の仕事の都合で11月3日に行うことを以前から決めていました。
父の遺骨は分骨して教会の納骨堂にもあるので、7回忌の代わりに教会で記念会をと願いましたが、母の希望でお寺で仏式ですることになりました。

一周忌、三回忌のときも、悲しくてたまらなかったのに、6年経った今は悲しいという気持ちより、なつかしいという気持ちに変えられているのが不思議です。

「出かける時はガス、電気、戸締りOKと口に出して言って、指さし確認するんだ」など日頃父の言っていたことを思い出します。

わたしは、ひとつでもいいから聖書の言葉をいつも口に出して言ってみようかなと思いました。そうすれば、主人や子どもたちの心に刷り込まれて、天国へ行った後、生かされるかもしれないですね。(主人より先に召されると決めこんでいるわたしです)


教会ではちょうど昨日、召天者記念礼拝が行われました。牧師先生のメッセージの中で印象に残ったことを記します。

愛する者との思い出は、神から与えられたかけがえのない贈り物です。
わたしたちは、死を迎えるその時までは健康でありたい、自由でいたい、尊厳を保っていたいと思います。でも、体力、気力、記憶、成し遂げた実績などを少しずつ失っていきます。
それは、神様からゆだねられたものをひとつづつお返ししていくことです。

「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1:21)」

天には神の家があります。愛する者は、神の家に住んでいます。わたしたちも明日そこへ行くかもしれません。
人生のエンディングは自分では選べません。今日という日、今というときを精一杯生きていくことが大切です。


今というときを大切にして、わたしも精一杯生きたいです。



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心の宝を携えて

2012-10-28 20:31:08 | 日記
義母は一昨日帰って行きました。義母と共に過ごした1週間は、楽しいときでした。

義母はいつも自分のことより他の人のことを考えて気遣ってくれるので、一緒にいると嬉しいなと感じられる温かい人です。

つくば山温泉へ行く日はあいにく天気が悪く、天気予報では雷、豪雨、竜巻の恐れがあるとくり返し言っているので、だんだん不安になってきました。

つくばで竜巻が発生したのは、この春のことです。車でも倒されてしまう程の竜巻に出会ったら、大変なことになります。豪雨も怖いです。つくば山温泉は山の中にあるので、曲がりくねった山道を走るのです。強い雨が降るとスリップして危険です。

午前中は雨が降っていなかったのですが、チエックインが3時以降なのであまり早く出かけても行く所もありません。つくば山温泉までは車で50分ほどです。
予定通り午後2時に出発することにしました。小雨でしたが風は弱く、なんとか大丈夫そうです。

旅館の近くまできて、カーナビの案内通りに走って行ったら、細い路地に入り込んでしまいました。そこには旅館はなく、戻るのが大変でした。でも、雨はずっと小雨のままで、無事着いてほっとしました。

義母は温泉につかって、孫に背中を流してもらって喜んでいました。

翌日は、秋晴れの良い天気。筑波山のロープウェイは去年乗ったので、今年はフラワーパークの方へ行きました。







秋バラとダリア祭りをやっていて、何十種類もの花が植えられていました。その美しさにみとれました。神様はわたしたちを楽しませるためにこのような花々を造って下さったのだなあと感謝しました。

義母は歩くのが大変なので、車椅子を借りようかと尋ねると、「車椅子に乗るほどの年寄りではない」と言って拒みました。シルバーカーを持ってきていたので、それを押しながら休み休みゆっくり歩いてまわることができました。

「こんなおばあさんの使うようなものを使いたくないんだけど……」と言いながらシルバーカーを押す義母でした。

でも、わかるような気がします。歳を重ねて老人になっても、心の中まで老いてしまう必要はありません。
大人になっても子どもの心を持っている人は、80歳になっても心は若いままでいるような気がします。
ふと、心の年が外見に現れたらおもしろいなと思いました。

「来年も行きましょうね」と言った時、ふと、2年後、3年後……5年後も行けるのかなと思いました。5年後、義母は90歳です。
寂しいと思いました。素晴らしい時があっても、時はとどまることなく流れていくからです。

いえ、それでいいのです。素晴らしいと思える瞬間を心の宝としてたくさん蓄えておきましょう。やがてわたしも年をとって天国に行くときが来るでしょう。そのときはたくさんの宝を携えて行きたいです。


インターネットが一日半つながりませんでした。その間に大事なメールがきているのではないかと心配になりました。つながるのが当たり前と思っていたので、つながらないとこんなにも落ち着かなくなるものか…と自分ながらに驚いています。(娘に言うと、ネット中毒になっているからだと言われてしまいました)なんとか回復したのでほっとしました。



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四世代共に

2012-10-21 16:43:09 | 日記
一昨日から85歳の義母と共に過ごしています。
昨日は孫のヒックン(5歳)がきて、義母を喜ばせてくれました。ヒックンは、大おばあちゃんからラジコンカーを買ってもらったので大喜びです。
ハンドルを回して充電できるようになっていて、電池がいらないラジコンカーとして新しく売り出されたおもちゃです。
ヒックンは、ハンドルを回すのがおもしろくて、充電ばかりしていました。

「こんなおもちゃがあるのね。知らなかった」とわたしが言うと、「ぼくは知ってたよ。パソコンで見てたから」と言うので、びっくりしました。(おもちゃ屋さんのサイトの新製品情報をチエックしているようです。)

ヒックンの声は(耳が痛くなるほど)大きいので、耳の遠い義母にもよく聞こえるようです。ヒックンは、大おばあちゃんに遊んでもらって大喜びです。

わたしが「買い物に行ってくる」と言うと、「いいよ。ぼくはおばあちゃんと遊んで待ってるから」と言いました。いつもなら、「一緒に行く」と言うのに……。
夕方からパパとママも来て、7人で夕食。笑い声が満ち溢れていました。

そして、夜。妹から無事帰国したとの電話がかかってきました。明日にでも母のところへ行ってくれるというので感謝しました。母の希望で、骨折のことは義母には知らせていません。



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予期せぬ出来事

2012-10-18 12:56:41 | 日記
一週間に一度は実家に電話していますが、先日夜、実家に電話をかけるといつになく母の声が沈んでいました。「何かあったの?」 と聞くと、左腕を骨折したとのこと。それも3日も前にです。

ころんでしりもちをつきそうになったので、思わず左手をついたら、みるみるうちに腫れてきたそうです。すぐに病院へ行ってレントゲンを撮ると骨折していて、全治一か月と言われたそうです。ギブスをつけて、手をつっているので不自由だけど、足じゃないので歩けるから大丈夫と言います。
実家から車で30分のところに住んでいる妹は海外出張中です。翌日実家に向かいました。


83歳になる母は、想像していたよりずっと元気だったのでほっとしました。
「わたしって偉いのよ。手が腫れてきたとき、とっさに指輪をはずしたの。もしはずさないでいたら、大変なことになっていたわ」
と言います。ギブスをしている手を見ると、どの指も腫れて紫色になっています。

「うん、偉かったね。わたしだったら動転してそこまで気がまわらなかったかも……。それでも痛かったでしょう」
と言うと、最初の2,3日は痛んで眠れなかったそうです。
どうしてすぐ知らせてくれなかったのかと思いましたが……。以前足を捻挫した時は治ってから知らせてくれたのでした。

痛みが治まると買い物に出かけたり、簡単なおかずを作ったりしていたそうで、わたしが行くと大根の煮つけを食べさせてくれました。
「どうやって大根の皮をむいたの?」驚いて尋ねると、
「まな板に載せて輪切りにしてからまわりをトントンと切るようにして皮をむいたの」
と答えました。
「不自由になると、いろんな工夫して何とかやっていけるものよ」
茶筒を開けるのに足で押さえたとか、雑巾絞りはできないので、古布を濡らしてまとめて脱水機に入れ、雑巾として使ったとか。
せんべいの袋を器用に口でくわえて開けているのを見て、たくましいなあと思いました。

近所の方や友達が買い物をしたり、お弁当を持ってきたりしてくれたそうです。
洗髪と入浴は友達に頼めないから、お願いねと言われ、手伝ってきました。
それからロールキャベツをたくさん作って、数回分に分け冷凍しました。

夜は母と一緒にいいことを数え上げました。

夏の暑い時期じゃなくてよかった。
足や腰の骨折じゃなくてよかった。
複雑骨折じゃなくてよかった。
利き手じゃなくてよかった。
もうすぐY子(妹)が海外から帰ってくる時期でよかった。

どんなときでも神様が一緒にいてくださることを話して、祈りました。

明日は家庭集会。そして夕方から義母が来て1週間共に過ごします。


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