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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

二度と戦いのことを習わないでください

2016-08-16 16:36:59 | 日記
終戦記念日から一日たってしまいましたが、「戦争の作り方」のユーチューブを見ました。
戦争の作り方の絵本は知っていましたが、動画になって公開されていることは知りませんでした。 まさに今、戦争ができるよにしようとする動きがあります。しっかりと目を見開き、考えていないと71年前に起こったことが再来します。 いえ、今戦争が起きたら、核戦争になってしまうので、地球が破滅するでしょう 旧約聖書のミカ書4:3には「彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。」と書かれています。 この逆ことが起こらないように祈ります。 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村 ↑ここをクリックしてください。そうすると、より多くの方がこのブログを読んでくださるようになります。

おもちゃ王国へ行ってきました

2016-08-12 15:56:12 | 日記
息子一家と軽井沢おもちゃ王国に行ってきました。軽井沢といっても、群馬県嬬恋村にある子ども向けのアミューズメント施設です。

おもちゃ王国のすぐ近くにあるホテルに泊まりました。
涼しさを期待していましたが、日の当たるところはけっこう暑かったです。でも、日中に外で遊べるのですから、都心よりはずっと気温が低いと思います。


年の離れた兄弟、9歳のヒックンと2歳半のナルクン。ふたりとも楽しめるところと考えて場所を選びました。

主人とわたしはナルクンのおもりで、ヒックンはパパとママと一緒に行動しました。
ナルクンは、アンパンマンが大好きで、アンパンマンの部屋で大満足。ヒックンはフィールドアスレチックやニジマスつかみをして楽しみました。
 
ナルクンは、熱中しているときはおとなしいのですが、それが10分ももたなくて、すぐどこかへ行こうとします。

「さあ、いくよ」
と言って走り出してしまうのです。くつをぬいで入ったところにいても、はだしのまま外に出ようとします。

そして足が速く、主人もわたしも必死に走ってやっと追いつくという具合で、この3日間、どれだけ走ったことでしょう。手をつないで歩こうとすると、その手を振り払ってしまいます。仕方なく抱っこするといやがってあばれます。


ヒックンが2、3歳のころは、ひとりでどこかへ行ってしまうことがなかったので、驚いています。活動的なナルクンに振り回されていました。

それでも、眠くなるとくちびるをとがらせ、チュッチュッとおっぱいを飲んでいるような口をして眠ってしまいます。

よく食べ、よくしゃべり(何と言っているのかヒックンに通訳してもらわないと、半分ぐらいしかわからないのですが)、よく寝ます。

わたしたちのためにレンタカーを借りてくれ、二人で交代して運転してくれた息子夫婦に感謝です。

そして、事故や病気や怪我から守ってくださった神様に感謝しました。

いちばん上の写真は、ダイヤブロックで作られた動物です。


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山本周五郎と藤沢周平と母

2016-07-12 16:22:34 | 日記
PCの調子が悪いです。使っているとRuntime Error! が出ます。教会でPCに詳しい人に尋ねても、ネットで調べても解決法がわかりません。PCショップに持って行くと、修理でメーカー送りになるかもしれないので、持って行けません。
もうひとつのPCでメールのやりとりはできますが、そのPCではHPの更新ができません。PCの調子がよくなるようにお祈りください。

先日TVドラマ『ふつうが一番 ・藤沢周平 父の一言』を見ました
藤沢周平の娘さんが家族のことを書いたエッセーをドラマ化したものです。ドラマは、東山紀之演じる藤沢周平が小説家になることを夢見ながら、「食品加工新聞」の記者として勤めていたころの物語です。
ひとり娘の展子が生後8か月のとき妻に先立たれ、仕事、家事、育児と大変な中で交際をしていた和子と再婚します。夫婦愛、家族愛に触れて心が温かくなりました。


藤沢周平は、母が山本周五郎の次に好きだった作家です。母はホームの図書室で藤沢周平の本を借り、召される数日前まで読んでいました。
藤沢周平は山本周五郎を尊敬しており、ペンネームに周五郎の周をつけています。
山本周五郎は聖書を読み、教会に通っていたそうです。聖書のスピリットが作品にも表れています。
その山本周五郎を尊敬していた藤沢周平の作品をわたしは数冊しか読んでいませんでした。
母の好きだった作家の作品をこれから読もうと思います。

そんなことを考えていたら、一年前のことを思い出しました。6月末に土浦の病院を退院した母が、老人ホームで小康を得ていたときでした。
土日ごとに妹が都内から車を走らせて来て、母とわたしを車に乗せ、あちこち出かけました。
母は歩くのが困難になっていたので、車椅子に乗せ、イオンで買い物をしたり、レストランでランチしたりしました……。
夜は我が家に来て、夕食を共にし、我が家のお風呂に入ってからホームに戻りました。そのときは、浴槽に入るときと出るときにちょっと補助すればいいくらいでした。

つくばに住む息子の家にも連れて行けました。娘の婚約者も来てくれ、皆で歓談したのでした。
そんな母のようすを見ていると、「年は越せないでしょう」と言う医師の言葉を疑いたくなりました。
末期がんの痛みが出てきて、ホームで過ごせなくなることもあると聞いて、わたしひとりでつくば市のホスピスに話を聞きに行ったのも、去年の今頃でした。
 
9月のはじめには旅行に出かけました。9月中ごろまで母は元気だったのです。11月に予定している娘の結婚式に出るのを楽しみにしていました。でも、それはかないませんでした。

そして、不思議なことに末期がんの痛みが出なかったのです。最後まで自分で食事ができていました。ホスピスに行く必要がなく、ホームで苦痛なく召されたことは、母にとってもわたしにとっても幸いでした。

母が召されて、この秋(10月1日)で一年になります。



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子規庵に行ってきました

2016-06-11 19:47:10 | 日記
昨日、日本クリスチャン・ペンクラブの有志で正岡子規が晩年過ごした家、子規庵に行ってきました。

上野の隣の駅、鶯谷から歩いて5分の場所に子規庵がありました。


子規は明治27年にこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。

子規が亡くなった後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけたそうです。老朽化と大正12年の関東大震災の影響により昭和元年に解体され、旧材による重修工事が行われました。現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建されたそうです。
間取りは当時のままで、八畳間に座っていると、文豪たちが訪れ子規を囲んで文学談義をしている様子が見えるようでした。


子規は結核を患い7年の闘病生活の後、脊椎カリエスで34歳の若さで亡くなっています。
『脊椎カリエス』という難病は、病原菌により脊椎が破壊されて湾曲し痛み、半身不随や寝たきりになることもあるそうです。
また、破壊された骨が膿になり、その溜まった膿が出口を求めて皮膚に穴をあけ、体外に流れ出るという、想像を絶する悲惨さ、そして激痛を伴う病気です。

病と闘う日々を、子規はその独特な客観性で、文字にしていきます。
病の中にあって、子規の書いた原稿はずいぶんな量だったそうです。布団の脇に山積になっていたようで、親友の夏目漱石に「考えてから書きなさい」と言われたそうな……。


中は撮影禁止でしたが、庭から写真を撮ってもよいと言われました。これは、庭から写した写真です。
子規が病症の身を横たえた6畳間です。子規の使った机がは中程に切り込みが作られています。これは足を伸ばすことができず、ひざを立てたまま仕事をする為のものでしたが、病気が重くなって、間もなくこの机も使えなくなったそうです。             






庭は日当たりがよく、植物が勢いよく育っていましたが、当時の植物とはちょっと違ってしまっていると説明がありました。
庭からは上野の山を望むことができたそうです。


子規の歌
四年寝て一たびたてば木も草も皆眼の下に花咲きにけり

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり



「 糸瓜の咲て痰のつまりし仏かな 」「 をとゝひのへちまも水も取らざりき 」「 痰一斗糸瓜の水も間にあはず 」という三篇の辞世の句を遺して34歳の若さで亡くなりました。

病のなかにあっても文学の意欲を失わず、書くことに命を懸けた子規の情熱が伝わってきました。






お昼は笹乃雪で豆腐料理をいただきました。

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どんなにけなされても

2016-06-03 15:47:23 | 日記
先週、児童文学の集まりがありました。
わたしは、何度も書き直した長編を提出していました。書きはじめたころは原稿用紙20枚前後でした。そのとき合評していただき、そのあとで120枚になったので、児童文学者協会で行われた『がっぴょうけん』に提出し、日比谷まで行ってきました。

『がっぴょうけん』での評価は悪くはありませんでした。でも、長さが中途半端なのでもっと長くした方がいいと助言を受け、150枚の作品としてようやくできあがりました。

その作品を今回提出したのですが、ダメ押しされてしまいました。長くしたのは、カルピスを薄めたようなものだ。前の方がよかったと言われました。最初に提出してから5年の月日がたっています。なんとか形にならないかと思っていたところだったのに……。
ちょっとがっかりしましたが、ちっとも傷つかず、落ち込みもしないので我ながら不思議に思いました。

数日後、2人のお仲間から電話がかかってきて、「あんなに言われて傷ついたでしょう。落ち込んでいないかと心配で……」と労わりの言葉をかけてくださいました。鈍いわたしは、そのとき初めてきつい言葉を言われていたんだと気づきました。でも、言われたとおりにすべてを書き直す必要はないのです。それよりも時間を割いて長編を読んでくださり、色々考えてくださったことがありがたいと思いました。

もうひとりは、「あなたがものすごく努力して書いたのにあんなこと言われて辛かったでしょう」と言ってくださいました。でも、辛くなかったのです。以前は努力して何かを勝ち取るという思いで必死に書いていましたが、それが変化しました。
できる限りの努力はするけれど、それにしがみつくのはやめよう。いつでも手離せるようになろうと思うようになりました。

以前ならこのようなことがあると、ひどく傷つきしばらく書けなくなっていたのに、今回は別のグループでの課題があったので、合評会の3日後には新しい童話を書き始めています。

創作について、わたしはふたつのことを願いました。(創作に限らずにいえることかもしれませんが……)

どんなにけなされても傷ついたり落ち込んだりしないように。人の言葉をしっかり聴いて冷静に受け止め、正しい指摘があれば書き直し、不適切であればすぐに書き換えず、なぜそのように思われたのか静かに考え、正しい知恵が与えられるように求める。

もうひとつの願いは、わたしの作品が、もしほめられたり、評価を得たら、そのときこそ謙遜に受け止めることができるように。決して自分の力で書いたのではなく、神様の力によって書けたことを忘れないように。

このふたつのうち、2番目の方が難しいと思います。褒められるとすぐに舞い上がってしまうわたしです。完全にへりくだることができたとき、作品が用いられるような気がします。
とにもかくにも今回の場合は、1番目の願いがかなえられました。そのことが嬉しかった合評会でした。


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旅日記(その5)

2016-05-26 16:03:10 | 日記
いよいよ旅の最終日になりましたが、実はこれからが旅のクライマックスです。
新潟では咲花温泉街の中にあるホテルに泊まりました。窓から阿賀野川が見えました。


翌朝14日に咲花駅からSLに乗りました。

SLは「ばんえつ物語」という名前です。「物語」とつくのが気に入りました。なぜこのような名前になったかと思って調べると、次のように書かれていました。

磐越西線を走るSLということから「ばんえつ」を、豊かな森と水に育まれた自然と人が触れ合うことで生まれる「物語」と組み合わせて「SLばんえつ物語」号と命名されました
始発は新潟駅です。

自然と人が触れ合うと、物語が生まれる……。確かにそうですね。SLに乗ったひとりひとりにそれぞれの物語があり、人生があります。
辛く悲しい中を通らされてきた人、まだ悲しみの中にいて、悲しみを忘れようと汽車に乗った人、汽車の旅を心から喜んでいる人……。


「ばんえつ物語号」が誕生したのは、昭和21年夏だそうです。
「貴婦人」と称されるこの蒸気機関車は、戦争の傷跡が残る国土を力強く走り抜け、昭和44年秋新津第一小学校にその身を横たえました。
「磐越西線SL定期運行推進協議会」が「SL C57-180号機」を再びこの美しい山河に走らせ、時代を超えた遺産としてよみがえらせたいと考えたそうです。

そして平成11年4月29日、SL「ばんえつ物語号」として貴婦人は力強く復活したと聞きました。そういえば、以前乗った山口号も「貴婦人」という名前だったような……。

わたしは、半年前に天国へ行った母のことを想っていました。ホテルに泊まると、ここに母を連れて来たかったと思い、美味しいご馳走を食べると、母にも食べさせたかった、美しい景色を見ると、母にも見せたかったと思うのです。
でも、引退した汽車が長い年月ののち、人々を乗せて走るようになったことを聞くと、勇気がわいてきます。主人もわたしも引退したようなものですが、ばんえつ物語号に「まだまだ」と言われているような気がしました。


終点まで3時間近く乗りました。各駅停車です。5分以上停車するときは、汽車から降りてあたりの景色をながめたり、写真を撮ったりしました。


途中で給水したり、オイルをつけたりする様子をみることができました。
車窓からSLに向かい手を振る人がたくさんいたことになぜか胸が篤くなりました。


車内でお弁当を買って食べました。雪だるま弁当です。とてもおいしかったです。

とうとう終点近くになりました。どこへ着いたと思われますか?
なんと福島県の会津でした。


会津駅からバスに乗り鶴ヶ城に向かいました。鶴ヶ城の最上階までいくことができて、大満足でした。その日のうちに土浦へ帰ることができて感謝しました。

2泊3日という短い期間に実にたくさんの場所へいくことができました。3日間とも快晴だったこと、体調も整えられたことが、何よりでした。
娘が嫁ぎ、二人暮らしになってから初めての旅行でした。
旅日記、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

おわり


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旅日記(その4)

2016-05-24 16:12:49 | 日記
真夏のように暑くなりました。今日は結婚記念日。35周年です。

旅日記の続きです。

佐渡の宿でゆっくり温泉につかり、翌日はまたホイルジェットに乗って新潟に戻りました。
新潟では「福島潟」を訪れました。福島潟に行きたいと言ったのはわたしです。主人に「新潟で半日過ごすから、好きな観光地を選んで」と言われ、旅行情報誌を見て選びました。ほんとうは、星峠の棚田がよかったのですが、距離がありすぎてやめました。

JR新潟駅から白新線に乗り、約20分で豊栄駅につきます。駅からはタクシーで5分ほどでした。

福島潟は、新潟砂丘により阿賀野川などの河川の流れがさえぎられ、さらに砂丘列の内陸側に徐々に土砂が堆積しできた湖だそうです。
一帯が大きな湿地帯になっていて、昔のままの自然がのこされています。

新潟県なのに福島とは? 名前の由来については、昔、お福さんという庄屋の娘が、かなわぬ恋の末に潟に身を投げたことから、お福さんの潟と呼ぶようになり、そこから福島潟になったという説があると聞きました。
「21世紀に残したい日本の自然100選」に指定されているそうです。



ビュー福島潟です。らせん状になっていて、最上階に展望台がありました。



ビュー福島潟展望台から見た福島潟。

ビュー福島潟でお昼を食べてから福島潟を歩きました。
ひっきりなしに鳴く鳥の声が聞こえ、のどかでした。菜の花は終わり、菖蒲はこれから、というところでした。



福島潟の萱葺き屋根の休憩所です。無料で自由に出入りできます。

主人は「何もないところでつまらなかった」と言いました。「何もないところがよかったと思うよ」とわたし。
何事にも価値観や感じ方が異なるわたしたちです。主人は無口なので、何を考えているのかわからない部分もありますが、35年もたつとお互いに影響を及ぼしあっているような気がします。

そんな主人にどうしてわたしが信仰を持つようになったかを話しました。実は、この旅で信仰の話をたくさんするつもりでしたが、それだけしか話せませんでした。

昔は聞く耳を持たなかった主人でしたが、ちゃんと聞いてくれたことが嬉しかったです。
旅が終わってもまだ時間はあるのですから、あらゆる機会をとらえてあかししていこうと思ったのです。

                      つづく



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旅日記(その3)

2016-05-20 20:08:10 | 日記
上の写真は、マチュピチュ? それともラピュタの天空の城?

正解は佐渡金山浮遊選鉱場跡です。高いところから見下ろすスポットは、知る人が少ないそうで、貴重な写真が撮れました。
この巨大施設は、かつては金の選鉱・精錬をしていた施設です。

1938年に、国を挙げての金の大増産が始まると、この北沢地区に月間7万トンの鉱石処理が可能な「東洋一の浮遊選鉱場」が当時最先端の西洋技術を導入されて作られたそうです。



この写真は、反対方向から写したものです。
第二次世界大戦中に完成しましたが、佐渡の金の採掘量が減り、その数年後には主要生産物が金から銅に切り替わったため、1952年に閉鎖されました。
それかから長い年月の間に苔むし、ツタが絡み、緑に覆われ、古代遺跡のようになりました。
今は栄えている場所もいずれはこのようになるときがくるのだなと思いました。

聖書の言葉「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ:40-8)を思い出しました。


山を真っ二つに切った割った採掘跡「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」江戸時代に金を求めて人力で掘られた採掘跡です。1日に7センチしか掘れなかったそうです。これだけ掘るのに何日かかったのでしょう……。



江戸時代の金の採掘のようすが再現されている金山史跡を見学しました。
炭鉱夫のように日の光が差さないところで働かされた人たちの苦しみが伝わってくるようでした。
      
                          つづく



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旅日記(その2)

2016-05-18 21:33:28 | 日記

尖閣湾へ連れて行っていただきました。

尖閣湾とは、姫津から北狄まで約3㎞の海岸に広がる5つの小湾の総称。ノルウェーの「ハルダンゲル・フィヨルド」の峡尖美に似ていることから、尖閣湾と名付けられたそうです。30m級の尖塔状の断崖が連なっています。


海に白い泡のようなものが浮いていました。波の花というものだそうです。砕けた波が泡となって舞飛び、その泡が再び海岸の岩や枯木の枝に舞い降りて海岸一帯を覆い、花が咲いたようにみえます。
こんなにたくさん見えるのは珍しいとタクシーの運転手さんが言っておられました。

日本海は波が荒いので、このような現象が起こるのですね。
岩も荒波と風に削られて痛みを伴って美しく刻みつけられます。創造主である神様の芸術作品です。
わたちたちも荒波に傷つけられたり、冷たい風に吹かれたりして苦しむことがありますが、それがいつか波の花のように、あるいは彫刻を施された岩のように美しいものとして残るのではないでしょうか。


尖閣揚島遊園には、船底にガラスがはめ込まれたグラスボートが遊覧していました。少し波が高く、ボートは大きく揺れています。
わたしは乗り物酔いしやすいので、どうしようかと迷いましたが、思い切って乗りました。
船からの景色は素晴らしいものでした。船底のガラスを見ると、魚が泳いでいるのが見えました。気分は悪くなりませんでしたが、大きく揺れるので座席にしがみついていました。
                           つづく




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旅日記(その1)

2016-05-17 15:09:05 | 日記
主人と12日から2泊3日でSLの旅に行ってきました。新潟、佐渡、咲花から会津へと短期間で長距離移動しました。

今回は、風邪がぬけきらず、体調があまり良くなかったので気が進まなかったのですが、
佐渡へ行ったら、風邪も治りすっかり元気になりました。

天気は絶好調でしたが、最初からつまずきました。余裕を見て早めに常磐線に乗ったのですが、もうすぐ上野というところで、電気系統の故障があって、電車が止まってしまったのです。品川乗り入れの電車が上野までになった影響で、「電車が込み入っているのでお待ちください」というアナウンスが繰り返し流れ、なかなか動きません。

新幹線の時間が迫ってきます。いつも落ち着いている主人もあせっています。予定の新幹線に乗れないと、予約していた佐渡行の船、ジェットホイルに乗り遅れ、佐渡で14時から頼んでいる観光タクシーもキャンセルしなければならないからです。
わたしは、きっと大丈夫という気がしていたので、祈りながら待っていました。
15分ぐらいして、やっと電車が動き出しました。

ようやく上野駅です。走れば間に合うかもしれないと言って、ふたりで必死に走りました。わたしはキャリーカートを引いていたので、エスカレーターを走り降りることはできませんでした。

それでも、ホームに着いたときちょうど新幹線が入ってきて、なんとか間に合ったのでした。


ジェットホイルはほとんど揺れず、快適でした。時速80キロで走り約1時間で佐渡に着きました。

佐渡に上陸すると、観光タクシーの運転手さんが待ってくれていました。
時間の都合でトキの森公園と金山の2か所を案内していただくことになっていたのですが、「今日は、めったにない、いい天気だから、尖閣湾の方へ行ってみませんか?と運転手さんが言ってくれました。「トキの森公園と金山の見学時間を少し短くすれば、代金そのままで珍しい景色も見せてあげましょう」と言われ、喜んで申し出を受け取りました。


トキの森公園ではトキの親鳥と雛を見ることができました。野生のトキのつがいから、40年ぶりにひなが誕生したそうです。
残念ながらトキの雛の写真が撮れませんでした。フラッシュをたかないでくださいと言われ、カメラで発光禁止の設定がわからなかったからです。カメラを落として壊し、新しいのを買ったばかりだったので使い方がいまひとつわからなくて……残念でした。



この写真はトキの森公園入口の看板です。


いちばん上の写真は、TVの『ナニコレ珍百景』で取り上げられたことで有名になった景色です。岩と岩の間にくさび型の大きな石が挟まっています。その昔「佐渡弁慶」と呼ばれる力持ちが鬼との力比べの際に投げたといわれている岩だそうです。
                          つづく



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連休

2016-05-07 11:21:43 | 日記
久しぶりにブログを書きます。
連休は千客万来。まず、29日に妹。1日は長男一家。3日から長女夫妻が来てくれました。

今回は招くだけではありませんでした。主人と長女の新居に初めて行ったのです。11月に結婚した長女の家に3月から行こうとしていたのですが、なかなか都合が合わず、5月3日にやっと実現しました。

長男の子、ヒックンも行きたいと言って、前々日から家に泊まっていました。2時間半の電車の旅です。乗り物好きなヒックンも途中で退屈したようですが、娘婿のYお兄ちゃんに遊んでもらえることが楽しみでたまらなかったようです。

着いたらもうお昼になっていたので、回転寿司屋さんへ。混んでいたのですが、席を予約していたので待たされずにすんでよかったです。ヒックンは回転寿司屋さんへよく行くようで、慣れていて、おじいちゃんより取り方が上手でした。

長女の家は2LDKのマンションです。まわりは公園が多く、駅からも近く買い物も便利で住みやすそうでした。婿殿が3~4日出張するとき、こちらに帰っておいでとさそっても来なかった訳がわかりました。

ヒックンはテレビゲームのポケモン対戦で遊んでもらって大喜びでした。帰りは車に乗せてもらって皆で土浦へ向かいました。首都高の渋滞を覚悟していたのですが、渋滞はなく、予定通り2時間で到着しました。

4日はヒックンママがナルクンを連れてきて大賑わい。
皆が帰った後、ダウンしてしまいました。(そういえば、お正月のあともダウンしたのでした)

病院からの薬を飲み、ひたすら横になっていたら治ってきました。

今日これから子ども家庭集会の奉仕で出かけます。昨日は行けるかどうかちょっと心配でしたが、ぎりぎりのところで癒していただきました。



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海鳥たちの闘いと創作の闘い

2016-04-26 15:58:34 | 日記
桜川の土手の桜は、すっかり初夏の装いです。歩いていると何種類もの鳥たちの鳴き声が聞こえてきます。わたしが聞き分けられるのは、ヒヨドリとカラス、ダイサギ、アオサギ、キジぐらいでしょうか。最近みかけませんが、土手にはキジの夫婦も住んでいます。

鳥を主人公にして童話を書きました。かつてアオサギを主人公に書きましたが、今回は海鳥のカツオドリとグンカンドリです。世界で最速の鳥についてネットで調べているうちにグンカンドリが浮上してきました。

グンカンドリは実際に見たことはないのですが、とてもおもしろい特徴を持っています。まず、横取り名人です。カツオドリなどがとった魚を襲って横取りします。呑み込んだ魚を吐き出させることもあるそうで、ひどいことをするなあと思いましたが、水鳥なのに水面に降りると溺れてしまうのだそうです。それで水面すれすれに泳いでいる魚しかとることができないのです。それでは餌が足りないので、生きるために横取りしていたのです。


カツオドリを襲うグンカンドリ



赤いのど袋をパンパンに膨らませて求愛行動をします。

グンカンドリのことは2014年11/18ブログにも書きました。

一方カツオドリは、群れで行動することが多く、海に勢いよく潜っては魚をとるそうです。鼻を閉じて10メートル以上も潜ることがあるそうです。でも、せっかくとった魚を横取りされたらどんな気持ちだろうと思いました。

カツオドリの寿命は17年ぐらいですが、何度も勢いよく飛び込むので目に傷がつき、やがては失明して死んでしまうと聞いて心が痛みました。生きるために餌をとる。餌をとることによって死に近づくのです。でも、カツオドリは悩んだりしないのでしょうね。

ガラパゴス諸島にいるというアオアシカツオドリの姿をみると、かわいくて釘づけになってしまいます。

青色のペンキで塗ったような足を交互に上げてダンスをし、求愛行動するそうです。

アオアシカツオドリのいるガラパゴス諸島にいつか行ってみたいです。
 
童話を書いていると闘いがあります。童話だけでなく何を書くにしても闘いがありますが、特に創作童話や小説を書いているときはひどいです。こんなばからしいこと書いて……。誰が喜んで読むだろうか……。ナンセンスだ……。という声が耳の奥から聞こえてくるのです。

そんな声と闘いながら必死に書いて、気が付くと2時間ぐらいたっていて、ひどい疲労感に襲われます。以前、TVで作家さんが、「いのちを削って書いている」と言われていましたが、まさにその通りです。

23日にクリスチャン・ペンクラブの童話エッセーの会があって、その童話を持って行きました。珍しいことに「よく書けている」と言われて、闘いに勝って書き上げられてよかったと、書き上げる力を与えてくださった神様に感謝しました。


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7人の息子にまさる

2016-04-01 20:00:54 | 日記
桜川の桜が咲き始めました。
土手を歩いてきましたが、風が冷たく、背中がゾクゾクしてきたので、急いで帰ってきました。

健康診断の結果でコレステロール値(LDL)が高いので、食べ物に気を付け、毎日6千歩以上は歩くことを続けています。肉の脂身は取り除き、揚げ物はほとんど食べないようにしているのにコレステロール値が上がったので、ちょっとショックでした。体脂肪率は20~21なのになぜコレステロール値が高いのでしょう……。
甘いものの食べ過ぎかもしれません。

先日、孫たちの誕生会をしました。ヒックンは3月31日で9歳になりました。弟のナルクンは同月28日生まれで、2歳になりました。
年の離れた兄弟ですが、やっと一緒に遊べるようになって、ママも少しはほっとできる時間ができたようです。

みんなでお花見がてら桜川の土手まで歩いて行きました。
そのときは、桜はまだほんの少ししか咲いていませんでしたが、子どもたちにとって、桜はあまり関係ないようです。
ヒックンは自転車を持ってきていたので、河川敷で乗りました。ナルクンは、嬉しそうに手提げバックを持って走り回っていました。
思えばナルクンは去年のいまごろ、まだ歩けなかったのです。ヒックンはずいぶん背が伸びて、一年生の時に買った自転車が、サドルをいっぱいに上げても小さいという感じです。

桜を見ると母を想います。数年前、桜が満開のとき、桜川の土手で写真を撮りました。母はポーズをとって、枝の間から顔を出していました。
井の頭公園へ母とお花見にいったことは数えきれないほどありました。
「お母さんは、来年の桜は見られないでしょうね。」と、昨年の秋に医師から言われたときは、その言葉を受け入れることができませんでした。妹は、お母さんに福島の桜を見せに行くと言っていました。かないませんでしたが……。

何でも話していた母がいなくなってしまい、娘は嫁いで遠くに行ってしまいました。(主人や息子はいるけれど)寂しいなぁーと思ったとき、「あなたを愛し、7人の息子にまさるあなたの嫁」がいるではないかと書かれている旧約聖書ルツ記の言葉を思い出して、嫁の存在を嬉しく思いました。

その言葉は、夫と2人の息子を亡くしたナオミに向けて言われた言葉です。

ルツは異邦人でナオミの嫁です。ナオミ一家はユダの地に飢饉が訪れたとき、異国のモアブの地へ行って10年過ごします。ふたりの息子はそれぞれモアブ人の妻を得ますが、ナオミの夫と息子たちが次々と亡くなってしまいます。

ナオミは嫁のルツとオルパに、実家に帰るようにすすめましたが、ルツだけは帰らず、ユダの国、ベツレヘムに戻るナオミについてきます。

そのルツが神様の計らいによってナオミの親類に当たるボアズと再婚し、生まれた子どもをナオミが抱いたとき、人々はルツのことを「あなたを愛し、7人の息子にまさるあなたの嫁」と言うのです。(7は完全数です)

ナオミは嘆きながら故郷に戻ってきましたが、ルツの存在を忘れていたのです。
でも、ルツによって幸いがもたらされました。生まれた子の孫がダビデで、イエス・キリストの家系になります。


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予測できない出来事

2016-03-10 17:22:59 | 日記
昨日は日本児童文学者協会茨城支部の例会でした。今は休会中で、かつては茨城支部でご一緒させていただいていたKさんが久しぶりに参加されました。

Kさんは本(児童書)を出版されて、ひとりひとりに配ってくださいました。
久しぶりにお目にかかって、出版に至るまでの話や近況を聞くことができ、楽しい時間を過ごせました。

Kさんを迎えるためにケーキを予約し、花束を頼みました。例会は10時から始まるので、9時40分に花屋さんに確認し、45分にケーキを取に行き、10時に会場につく予定をたてていました。ところがハプニングが起きました。

花屋に向かう途中、会場の予約が午後しかとれていないと先に会場についた仲間のひとりから電話があり、真っ青になりました。

午前午後と続けて部屋を予約したはずなのに、午後だけということはありえないのに……。いよいよ認知症が始まったのかもしれない……と思いながら、まず会場へ急ぎました。会場に着いてよく調べてもらったら、向こうのミスで、午前午後予約が入っていました。

ほっとしたのもつかの間、ケーキ屋と花屋に走って行き、10時過ぎにはなんとか会場に戻ることができました。

今日もまた、予測できないことが起こりパニックになりかけました。
わたしは日本クリスチャン・ペンクラブのHPを作製しています。今日は月に一度の更新日です。何日もかかって記事を作り、USBに保存していました。
当日はFFFTPを起動し、アップロードするだけなので、トラブルがなければ5分で終わります。(5分で終わったことは年に数回でしたが……)

今日はFFFTPを起動すると、ダイアログボックスが現れ、パスワードが違っていますと書かれているのです。
何度パスワードを入れても「違います」と出て、使えません。

数日前にサーバーが移転する作業をやっていて、移転は終わったというメールが届きました。こちらでする作業についてたくさん書かれていましたが、よくわからないので、何もしていませんでした。そのせいだと思いました。

電話でサポートをやっていますと、メールには書かれていましたが、電話番号が書かれていません。
娘は嫁いでしまい、遠方なのですぐには来てくれそうもありません。今度、家に来るのは5月の連休と言っていたので、それまで更新できないなんて……とあせりました。例会案内などを載せているので、困るのです。

あせっていろいろな操作をしかけてから、はっとして手を止めました。かえって変な設定をしてしまい、修復不可能になる恐れがあると思ったからです。
いちどPCを閉じて、静かに祈りました。

「HPの更新ができません。いつもと同じやり方をしているのに、どうしてもわからないのです。わたしの手には負えません。助けてください。主よ、どうか知恵と力を与えてください」
祈ってからふっと、パスワードを変えたことを思い出しました。

「長い間パスワードを変えていないと危険です」という警告が出たので、変えていたのです。
覚書を見ると、そのパスワードは記録されていました。
急いでFFFTPを起動し、新しいパスワードを入力すると、いつもの画面が現れました。

原因は、笑ってしまうような単純なことでした。
誰も助けてくれないと思って、パニックになりかけましたが、助ける方がおられることを忘れていたのです。

聖書の言葉
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。(詩編121:5)

日本クリスチャン・ペンクラブのHP、ここをクリックしてごらんください。


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愛の根拠

2016-03-07 17:21:38 | 日記

土曜日に主人と水戸の偕楽園に行ってきました。

茨城県土浦市に住んで25年になりますが、これまで偕楽園へ行ったことが一度もありませんでした。毎年行きたいと思いつつ時期を逃していたのです。

土浦から水戸までは電車で40分ほどです。

水戸駅からバスが出ていますが、土日は偕楽園駅に電車が停まるので、土曜日に行くことにしました。

偕楽園駅では赤い着物を着た梅大使さんが迎えてくれました。






梅は満開まであと一歩という感じでしたが、みごとでした。雲っていたのでけっこう寒く、厚着して行ってよかったです。





偕楽園から歩いて10分ぐらいのところに歴史館があるので、そこへも行きました。

歴史館では大きな収穫がありました。戦国時代の人々の暮らしがわかって、嬉しくなりました。当時の屋根瓦を触れたり、刀の重さを実感できたり……。おもしろかったです。

日曜日の礼拝では、『神がこれほどまでに』という題でメッセージが語られました。
Ⅰヨハネ4:11には「愛する者たち、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです」と書かれています。それは、ヨハネがその時代の人々に書いた手紙ですが、現代のわたしたちに向けてのメッセージでもあるそうです。

「互いに愛し合うべきです」と言われても、愛せる人と愛せない人がいて、嫌いな人や自分に意地悪する人は愛せないと思う人が多いことでしょう。わたしもそうでした。親切にしてくれる人、やさしい人を愛するのはたやすいことですが、自分を憎んでいる人を愛するなんて不可能だと思いました。
でも、『愛し合うべきです。』と言うには、根拠があります。

愛されたから、愛しなさい。
赦されたから、赦しなさい。

この愛するとは男女の愛ではありません。アガペーの愛です。大切にするということです。


神さまが、そのひとり子のいのちを与えるほどにわたしやあなたを愛してくださいました。このことが、愛の根拠です。相手がどんな人であっても根拠があれば愛せるのですね。

わたしはあの人が愛せない。
神さまが、わたしのことを大切にしているのに
神さまは、あの人のことも大切にしている
あの人のためにも死んでくださった
わたしも大切にしたい、愛したい
神さまがこれほどまでも愛しているあの人のことを



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