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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

明日も元気に生きられるという保障は?

2016-02-19 16:44:30 | 日記
今日は教会でTさんのお葬儀がありました。わたしはお手伝いの奉仕を申し出て、朝早くから教会に行きました。

教会では今年に入ってから葬儀が続き、一月から今回で5回目(6回目だったかも)です。それまでは高齢の方で、入院して危ないといわれていた方だったので、驚きは少なかったのですが、今回は突然でした。

しかも、よく知っている方です。まだ57歳で元気な方でした。去年の12月に桜川の土手ですれ違いました。「健康のためにウオーキングを始めたの」と笑顔でおっしゃっていました。1月末にはTさんの家で家庭集会が開かれています。

Tさんはお風呂掃除をしていて倒れ、病院に運ばれたのですが、意識を取り戻すこともなく召されたそうです。

3人のお子さんがいて、成人はされているけれど、長女は臨月で、初孫が生まれるのを楽しみにされていたそうです。
仲の良いご家族で家族旅行の写真が何枚も飾られていて、写真の彼女は幸せそうな笑顔をみせていました。

ご主人がいちばんショックを受けておられたようすで、泣きながら挨拶をする姿に涙が止まらなくなりました。
牧師先生の「Tさんは、いなくなったのではありません。天国に移っただけです。必ず再会できます」
という言葉が大きな慰めになりました。

クリスチャンのTさん本人にとっては、何の苦しみもなく突然天国に迎えられて、幸せな人生だったといえるのかもしれないと思いました。でも、遺された家族は突然引き離されて、悲しみのどん底に突き落とされたような思いでしょう。
どうか、ご遺族の方々に神様からの慰めがありますように。

誰だって、明日も元気で生きられるという保障はありません。いつ死が訪れても大丈夫なように備えなければと思いました。



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夢にまで見た棚田

2016-02-12 20:40:10 | 日記
前回書いた聖書の言葉は、クリスチャンの生き方を示しています。
成長すること、ひとりひとりがそれぞれの賜物に応じた働きをして、愛を持って互いに一致することが繰り返し書かれています。
一日に何度も暗唱したらほとんど覚えられました。


10日に一泊で都内から妹が来ました。
一昨日は風がとても冷たかったのですが、昨日は小春日和でした。

妹が車で来たので、つくば市の小田城跡に連れて行ってと頼みました。家から10キロほどの場所です。

何もないところだとは知っていました。でも、ずっと前から訪れたかったのです。それは、5年越しに書いている小説(児童文学)の舞台をつくば山が見え、棚田のある村にしていて、村から半日ほど歩いた場所に城があるという設定にしたからです。時代は戦国時代です。
ただし歴史小説ではないので、こだわらなくていいのですが、やはり作品の舞台となる所を実際に見て、歩いて、触って、風の音を聞いて、匂いを嗅いで感じたいと思いました。

わたしは、車の運転ができないし、主人は行ったことのない道を行くのはいやだと言うので、妹に頼んだのです。
妹は快く車を出してくれました。ナビに従ってその近くまでは行けたのですが、公園になっているという城跡が見つからなくて、何人もの方に尋ねてやっと行きつくことができました。


歴史資料館の建物だけは出来上がっていますが、資料がまだそろわないそうです。





小田城跡から見たつくば山(遠くの青っぽく見える二つ峰の山)

城があったところは整備されて公園になっています。

小田城よりもっと見たかったのは棚田です。棚田は土浦市の小町の館の近くにあることをあらかじめ調べていたので、次に小町の里を目指して出かけました。


小町の里は、小野小町が晩年住んだ場所だと聞いていましたが、京都の方にも小町が晩年住んだ館があるそうで、どちらが本当なのかわかりませんが、小町ゆかりの地と聞いてロマンを感じました。



小町の館で有名な手打ち蕎麦を食べました。

それから資料館など見に行ったら、なんと建物の左手に小さな棚田があったのです。感激でした!



人のように見えるのは、案山子です。

ちょうど2週間前に棚田へ行った夢を見ていたのです。夢では棚田は田植えが済んだばかりで、青々とした苗が見えました。実際は、規模も小さく、とっくに稲刈りが終わっていて刈られたあとが残っているだけでしたが、十分でした。

車中では妹と母の話ばかりしていました。とくに母が土浦に越してきてから召されるまでの5か月間のことは、まだ思い出というより、生々しく現実のようにそこにあるのです。

妹の車に乗って母と旅行へいったり、買い物やレストランに行ったりしたのがついこの間のことなのですから、話はつきませんでした。
共通の体験をし、共通の思いを抱く妹がいることを嬉しく思いました。

母のことを思いきり話して、心の傷が癒されていくのを感じました。


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コンフィチュール作りました

2016-02-05 16:29:50 | 日記
りんごのコンフィチュール作りました。コンフィチュールとはジャムのことですが、フランス語で言うほうが、おしゃれな感じがしますね。

1/26のNHKあさいちで紹介されていました。琥珀色のリンゴに魅せられ、作ってみたいと思いました。材料を買いそろえたものの、三食を作るのに追われて、なかなか作れませんでした。

アップルパイはよく作るので、アップルパイの中身を作るのと手間は変わらないと思いましたが、灰汁をとりながらかきまぜ続けるのがちょっと大変でした。

テレビで『魔法のリンゴ』と言っていましたが、本当に魔法のようです。
煮詰まってきて、煮汁があと少しとなったとき火を止めて、さめてから容器に入れると、
トロトロになっていて、これがさっき切ったリンゴ? と思うほど色つやが変化しています。

そして、カルダモンと八角とシナモンのいい香りがします。これらの香辛料は、シナモン以外は家になかったので、ひとつぐらいなくてもいいかな……と思ったりしたのですが、買ってきて正解でした。

もちろん、味は最高! ヨーグルトに入れてもおいしく、あっという間に半分ぐらい食べてしまいました。

ブログでは味を紹介することはできません。においも届けられません。視覚と文字によって伝えています。

テレビでは視覚と聴覚で伝えます。視覚と聴覚だけで、味、触感、においを伝えるのはけっこう大変だと思います。

わたしは、小説を書いていますが、『五感に訴えるように』書きなさいと教えられました。

小説は映像がなくて文字だけです。なので、テレビで伝えるより難しいです。
けれども映像は、かえって想像力の足を引っ張ります。映像がついてしまうと、それ以外の光景を想像することが難しくなってしまうからです。
文字を読むだけで笑ったり、泣いたり、においや味やさわり心地を感じたりするような文章が書けたらと願っています。


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新年早々・・・・・・

2016-01-05 16:18:02 | 日記
みなさま明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年母が召されたので年賀状は出しませんでしたが、イエス・キリストにあって喪に服するということから解放されていますので、「おめでとう」と言っています。

昨年の暮れから娘夫婦、妹一家、息子一家が次々と来てにぎやかでした。おせち料理もたいして作らないと言いながら、ついはりきって何品も作りもてなしました。

数日前から風邪気味だったのですが、たくさんおしゃべりしているうちに声がかすれてきました。
これは大変と、31日は早めに休みました。(3年生のひっくんは12時まで起きていました)

年が明けて、声が全く出なくなりました。2日は主人の実家に行くことになっていたのですが、主人ひとりだけいってもらうことにしました。

2日の午前中に最後に来た息子一家が帰ったのですが、帰った後、どっと疲れが出て横になると7時間も寝てしまいました。
夕方の5時に起きて朝5時と勘違いして、あわてて教会へ行く支度をするところでした。

3日の日曜日は教会学校でわたしがメッセージ担当でした。

ルカの福音書2章からイエス様の少年時代を語るのです。随分前にお話の原稿を作り、PPTで画像準備をしていました。でも、前日夜から咳がひどく出始め(気管支が弱いので、咳が出ると止まらなくなるのです)、声は出ないし……どうしようかと思い、必死に祈りました。

その夜遅く、わたしが寝ている間に、娘が婿の実家から自宅に戻る途中でお土産を届けに家に寄ってくれました。食卓の机の上に咳止めのパウダーが置いてあり「お母さん、がんばりすぎです。あんなにたくさんの人が集まったんから、もっと買ってきたものとか並べると良いかと思われます。お大事にね!」というメモ書きがありました。
鼻の奥がジーンとしました。

朝になって、低い声ですが、声が出るようになっていました。お話の直前に娘からもらった咳止めを飲んでお話ししたら、咳は出ませんでした。

お話の前に司会の先生が、「文香さんは風邪をひいて小さい声しか出ません。みんな静かに聞いてください」と言ったら、誰一人おしゃべりする子どもがいなく、シーンとして聞いてくれました。

イエス様が傍らにいてくださったのがわかりました。


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どんな状態になっても

2015-12-29 15:49:28 | 日記
この一年ほど激しい変化のあった年はありませんでした。何の抵抗もできずに激流に流されながらも、行きつくところはイエス様が用意してくださっていると思っていたので、安心していられました。
激動は、母が胃癌と診断された去年から始まっていて、2014年を漢字一字で表すとしたら……「激」という文字を掲げています。
2015年は何の字にしましょう……。
どんな状態になっても祝福をいただけることを体験したので「祝」にします。

今日読んだ聖書に「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
また、あなたの頭の毛さえも、みな数えられています。
だから、恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。(マタイ10:29-31)」
と書かれていました。

いろいろなことで不安になるときがありますが、神様は一羽の雀のことさえ考えてくださっています。雀よりすぐれたわたしたちを見捨てたり見放したりするはずがありません。


目を上げると目の前の壁面に祝福の祈りが貼ってありました。紹介します。
       
     祝福の祈り

主があなたの前におられるように。
 あなたの正しい道を示すために。
主があなたのかたわらにおられるように。
 あなたを胸に抱き、守るために。
主があなたの後ろにおられるように
 あなたを悪人のたくらみから守るために。
主があなたの下におられるように
 あなたが倒れるとき助け、わなから救うために。
主があなたの中におられるように
 あなたが悲しむとき慰められるために。
主があなたを囲んでおられるように
 他の人々があなたを襲うとき、防ぐために。
主があなたの上におられるように
 あなたを祝福するために。
 いつくしみの神がこのように
 あなたを祝福なさるように。


ブログを読んでくださっているみなさまに、2016年もたくさんの祝福がありますように!

これから娘夫婦が来て、明日は妹一家、明後日は長男一家が入れ代わり立ち代わり来て、にぎやかな年末年始になりそうです。



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母のメモ書き

2015-12-24 17:56:55 | 日記
納骨の旅が終わってほっとしていると、常に母のことを考えている自分を発見しました。

料理をしていると、この味は母の好みだったと思い、ショッピングセンターに出かけると、母を車椅子に乗せて妹と買い物したことが思い出され、文章を書くと、書き上げたら母に読んでもらおう。何て言ってくれるかなと思って、読んでもらえないことに気づいたり……。
何をしても母と結びつけてしまいます。

もうすぐお正月だなあと思ったとき、去年までは実家に帰っていたのになぜ実家がなくなってしまったのかと思います。頭では分かっていても納得がいきません。

なぜそんなに母を慕うのか、自分でもわかりません。

母は江戸っ子気質で思ったことをズバズバ言う性格でした。ドジで失敗ばかりしているわたしを、「何やってんのよ!」と叱りつけることもありました。情けないことにわたしは50歳過ぎても、叱られて泣いていました。

母が召される一週間ぐらい前のこと、「苦しいから早く天国に連れて行ってとイエス様に頼んでいるのに連れて行ってくれない。イエス様はちゃんと来てくださるのかな」とつぶやいたことがありました。末期がんの痛みは出ませんでしたが、体のあちこちに水がたまって苦しかったようです。
ふと、本当に母はイエス様を信じて天国に行ったのだろうかと不安になりました。

そんなとき母のメモ帳が出てきました。
それは、東京の病院でバイパス手術を受けた後に書いたものでした。

手術直後はやはり相当辛かったようで、「助けてあなた。いたいよう、苦しいよう」書かれていました。『あなた』というのは、一瞬亡き父のことかと思いましたが、母は父のことを『あなた』とは呼んでいなかったことを思い出しました。

 
母は詩編23篇を暗記しており、そこに書かれている『あなた』が天地万物を造られた神様であることを知っていたのです。
前にも書きましたが、わたしには「ずっとイエス様に祈っていたの」と言い、「ほとんどイエス様を信じているけど、まだ洗礼は受けない。苦しい時の神頼みになるから」と付け加えたのでした。

そのときから母の心はイエス様に捕えられていたのです。疑いの気持ちを抱くほどに信じていたのです。
イエス様は確かに母を天国に連れて行ってくださったんだと思ったとたん、ほっと心が安らぎました。

これからは、天国で再会した時に、お母さんが天国に行ってからの出来事を話して聞かせるつもりで生きます。「何やってたのよ!」と叱られないように。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。(詩編23:4)



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母の召天

2015-10-27 17:12:22 | 日記
1か月以上もご無沙汰してしまいました。ブログが更新されていないので、心配してくださった方もおり、感謝しています。
10月1日に母が亡くなりました。妹が海外出張中だったので、先に火葬をして、妹の帰国を待ちました。そして、21日に教会で葬儀が執り行われました。
以下は、教会の月報に書かせていただいた文章に少し付け加えたものです。
葬儀の花は妹が生けました。


         
                      母の受洗と召天

母は自分の力で道を切り開いていくタイプでした。あいまいなことが嫌いで、はっきり自分の意思を示す人でした。
わたしが、聖書の話をしようとすると、
「神様なんかいない。わたしは自分を信じる」
と言って耳を傾けないばかりか、食前の祈りをすると、わざと食器をカチャカチャさせ、先に食べ始めていました。

そんな母の態度が少しずつ変わり始めたのは9年前、父が召され一人暮らしをするようになってからです。
母は、口には出しませんでしたが、老後の不安は抱いていたようです。
父の死から2年後に土浦の老人ホーム見学に行きたいと言って、我が家から近いホームを2か所見学しました。でも、そのときは入所する気持ちはありませんでした。

わたしは実家に帰った折、声に出して食前の祈りをし続けていました。そのうち母も手を合わせるようになり。やがては、アーメンと言うようになりました。あかし文章やキリスト関連の本を持って行っては「読んでね」と実家に置いて行きました。
「重大な発表があります。わたし、胃癌になりました」という電話がかかってきたのは、昨年の9月でした。

驚いて駆け付けると、「病名がわかってよかった」とさわやかな顔をしていました。
手術がすんだとき「ずっとイエス様に祈っていたの。ほとんどイエス様を信じているけど、まだ洗礼は受けない。苦しい時の神頼みになるから」と言いました。

すでに母の心はイエス様に捕えられていたのです。
退院後元気になり、翌年の春に老人ホームに入ることを決心しました。60年も住んでいた家を処分することになり、片付けが始まりました。母は疲れが出たのか引っ越しの翌日に高熱を出してしまいました。病院へ行くと、胃癌ではなく肝膿瘍という病気で入院することになりました。

いのちが危なかったと主治医から聞かされ、ました。あのとき召されていたら、遺された家族の心は深く傷ついていたでしょう。
熱が下がったとき、母は「洗礼を受けたい」と言って、5月10日に病床洗礼を受けました。

2か月の入院でしたが、癒されてホームにもどることができました。それから3か月、2回も温泉旅行に行けました。
召される3週間ほど前から末期癌の症状が出てきました。足がむくみ、自分で寝返りさえも打てなくなり、呼吸が荒くなってきました。喘息で呼吸困難の壮絶な苦しみを知っているわたしは、見ているのが辛かったです。
それでも最後まで食事をとっていました。召される日の夜も夕飯を食べさせました。おかゆに海苔の佃煮がついていたので喜んでいました。ほんの少ししか食べませんでしたが、「夜中におなかすいたら、プリンを食べるの」と言っていました。

22時少し前、ホームから電話があり、駆け付けた時は呼吸が止まっていました。母はほっとしたような穏やかな顔をしていました。
イエス様が迎えに来てくださったのです。
今は新しい身体をいただいて、天国の花園を駆けまわっていることでしょう。



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母の容態

2015-09-24 20:21:45 | 日記
母はずっと調子が悪くて、足、腹、胸、そして手までむくんでしまいました。足は倍以上の太さになって、動かすのに一苦労です。動悸、息切れもして、ちょっと動いただけでうずくまってしまいます。ベッドからトイレに行くのに15分もかかっています。

とてもひとりでは部屋で暮らせないのですが、介護士さんたちが手伝ってくださり、できるだけホームの部屋で過ごせるように考えてくださっています。
食欲がなく、ひとりだとほとんど食べていないので、食事のころ、ホームに行くようにしています。今日はスイートポテトを作って持って行ったらおいしいと食べてくれました。

母が胃癌の手術を受けたのは1年前でした。そのとき、末期がんであること、手術は癌を切除するものではなく、食べられるようにするためのものであることを主治医から告げられました。手術は、癌のため胃の出口がふさがってしまったので、胃の上部と腸をつなぐバイパス手術でした。
その時点で、余命半年から1年と言われました。そして、1年経ってしまいました。

半年ほどはとても元気で、一人暮らしもできていました。土浦のホームに引っ越したときは、肝膿瘍になり緊急入院しました。
それから、奇跡的に元気になり、退院2日後からキッチンに立って料理をしていました。
温泉旅行に2回も行けました。

今日ホームの担当医に往診していただきました。
今回の具合の悪さは、やはり癌によるものだと医師に言われました。
覚悟していたはずですが、まだ受け入れられません。
もういちど元気になって欲しいという願いをこめてオイルで足マッサージをしてきました。

足マッサージするとき、歌をうたうことにしています。「いつくしみふかき」と聖書の詩編23篇の歌です。母が、苦しいとき、助けてくださるお方の存在を身近に感じることができますように。

詩編23編を紹介します

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。



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果たすことができた約束

2015-09-09 20:25:19 | 日記
*文末に追記あります

6日午後から母を連れて袋田温泉に一泊してきました。

先月は五浦温泉に行きました。毎月行っているようですが……。今回は母が、約束を果たすため、どうしても行きたいと言ったので計画したのでした。

母が三鷹から引っ越す数日前、親戚のKさんと食事に行きました。そのとき、少し体調を崩していたのでやめるように言いましたが、大丈夫だからと言って出かけました。

食事が済んだとき、寒気がすると言って震え出したそうです。Kさんは驚いてタクシーを呼び、家まで送り届けてくださいました。その夜、母は熱を出し、引っ越しの日まで熱が上がったり下がったりしていました。

引っ越して間もなく入院したことを知ったKさんは、自分のせいで母の具合が悪くなったと思い、心配して何度も電話をくださいました。
そのとき母は、退院して元気になったら、一緒に茨城の温泉に行きましょうと約束したのです。

母は、もっとよくなってからと思ったようですが、これ以上よくはならないかもしれないと考え、この時期にKさんと旅行に出かけることにしました。
母は最近食欲がなく、前回の旅行時より弱っているので心配でしたが、神様に守られてよい旅ができました。

旅のメンバーは、Kさん、母、妹、姪、わたしの5人です。袋田温泉は県内では有名ですが、わたしは初めてでした。


天気が悪いので案じていましたが、降ったりやんだりで、ほとんど傘をささずにすみました。今日になって思うと、もう2、3日遅れて出かけたら、大雨で大変だったことでしょう。


車椅子で移動できるバリアフリーのホテルは、快適でした。
母は、こちらが心配になるほどよく食べました。お風呂は手すりがついていました。ゆっくりつかって大喜びです。


2日目は袋田の滝を見に行きました。
姪が車椅子を押しています。



坂道をのぼってトンネルの中を通りました。トンネルの上部にあるイルミネーションがきれいでした。第一展望台に出ると、目の前に荘厳な滝が……。水しぶきがとんできます。2階まで登れるエレベーターがあって、車いすで滝の上部まで行けました。





竜神橋は見ただけで、渡りませんでした。バンジージャンプしている人がいました。びっくりです。


一時間半ぐらいかかって夕方無事ホームに帰りつきました。

今回は約束を果たせてよかったのですが、果たすことができない約束のほうが多いような気がします。

予期せぬ出来事が起きたり、病気になったり、約束そのものを忘れてしまったり……人間には限界があります。

でも、神様がしてくださった約束は、必ず果たされます。

追記:10日20時43分。
今日、茨城県に大雨特別警報が出ましたが、わたしの住む土浦市は大丈夫です。
小学校も休校になっていません。
多くの方が心配してくださいました。ありがとうございました。


日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。わたしの作品も掲載しています。ご覧ください。



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誕生日

2015-08-15 17:13:21 | 日記
8月7日は母の86歳の誕生日でした。
妹の運転でつくばに母の好物のピザを食べに行って、我が家でケーキを食べました。バースデーケーキはあらかじめ予約していました。ケーキのスポンジと生クリームがあまり好きではないので、シフォンケーキにチョコレートとフルーツで飾りつけしていただきました。母は美味しいと言ってよろこんでくれました。

ケーキを食べた後、それぞれが用意したささやかなプレゼントを渡しました。姪はキーホルダー、娘はマグカップ、妹と私は買い物バッグです。
これまでは、母の誕生日は特別なことをしていませんでした。妹と私はお盆には実家に行っていたため、母の誕生日に集まることもなかったのです。なので、母のためにバースデーケーキを頼んだのは初めてです。

ケーキを食べながら、母の思い出話を聞きました。
母はこれまで死ぬかもしれないと思ったことが何度かあったそうです。4~5歳の時、姉を追って走って行き、どぶに頭から落ちてしまったそうです。お姉さんは驚いてスカートをひっぱって引き上げようとしますが、上がりません。幸い頭は水につかっていなかったので息はできましたが、ミミズが髪の毛にからまって揺れていたのを覚えていると言います。お姉さんは、友だちに母親を呼んでくるように伝えますが、その友達が、すごくのんびりしていて、お母さんが助けに来るまで随分時間がかかったそうです。それでも、お姉さんと友達のおかげで命拾いしました。

2度目は戦争のときです。今年、戦後70年になるので、母は終戦の年は16歳だったのです。
女学校にいるとき軍事工場で働いていていました。工場へ向かうとき、すぐそばに爆弾が落ちて、もうだめだと思ったそうです。でも、それは不発弾でした。もしそれが爆発したら命はなかったでしょう。

空襲で家も焼けてしまったそうで、大変なところを通ってきたのだなあと思いました。
もし、戦争で命を落としていたら、妹やわたしは生まれなかったわけです。

今年の5月に入院したときは、生死が危うかったことを後から知らされましたが、それが3回目か、もっと危機的状況があったのかわかりません。
いずれにしても神様が、母の人生を守り、ここまで導いてくださったことを思い、祈りを捧げました。

日本クリスチャン・ペンクラブのHP更新しました。ここをクリックしてごらんください。


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こんな日がくるとは・・・・・・

2015-08-06 12:15:15 | 日記
8月2日の日曜日、第一礼拝に出てから母を連れて北茨城の五浦へ旅行にいってきました。
妹の運転で、娘と姪も同行して女ばかり5人の旅です。

車椅子の旅行は初めてなので、緊張しました。ホテルにはあらかじめ電話で部屋がバリアフリーであることと、ベッドがあることを確かめていました。
母は少しなら歩けるのですが、足の力が弱いので、立ち上がったり、寝た姿勢からひとりで起き上がることができません。
部屋には椅子があり、ベッドもあったので困ったことはありませんでした。お風呂には手すりがなかったのですが、妹や私と一緒に入ったので大丈夫でした。


ホテルからは五浦海岸の六角堂が見えました。上部中央より左にある朱塗りの建物が六角堂。


六角堂は、明治時代に岡倉天心が思索の場所として自ら設計したものだそうです。
2011年の東日本大震災で津波により消失しましたが、翌年再建されました。

3日にひとりで見学に行こうとしたのですが、休館だったので入れませんでした。

母は食事を楽しみ、温泉につかって嬉しそうでした。


二日目は大洗水族館に行きました。






水族館は、さすが車いすを優先してくれたので随分助かりました。イルカショーもいい席で見ることができました。

こんな日がくるなんて、一か月半前には考えられないことでした。病院のベッドで何本もの管をつけて、絶飲絶食だったのですから。34キロまで体重が落ちていました。
退院後、食欲が回復して今は44キロになりました。

温泉効果か足の腫れがだいぶおさまってきました。

このような旅行をさせていただいて、主に感謝します。



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母が退院しました

2015-07-04 17:18:48 | 日記
ご無沙汰しています。先月30日、約2か月ぶりに母は退院しました。
一時は命が危なかったのです。危機を脱してからも高熱を出したり、激しい腹痛があったりで大変でした。消化器に穴が開いていることを知らされたときは、ショックでした。もう二度と口から食べることができないかもしれないのです。「生きていたくない」と母は言いました。
点滴だけで栄養を入れるのは限界があるそうです。鼻からチューブで栄養を摂ると、回復が早く、消化器に空いた穴がふさがるかもしれないのですが、どうしますか?と医師が問いました。
「ふさがるかもしれない……」ということは、「ふさがらないかもしれない」ということなんだ……。そう思うと、居てもたってもいられない気持ちになりました。


そのとき、聖書の詩編103篇の言葉を読みました。「父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる(詩103:13)」  
デボーションの本には下記のように書かれていました。

あなたが人生の旅の途上で、不安だったり焦っていたりするとき、もう一度、神の愛の物語に耳を傾けましょう。神はそれをお望みです。あなたの天の父はいつも近くにいて、みことばであなたを励まそうとしておられるからです。

(父なる神様は、この小さき者の祈りをすでに聞いてくださっている。母の苦しみを見、願いをきいて下さる。きっと良くしてくださる。たとえ穴がふさがらなくても最善を成してくださる。)そう思うと安らぎが与えられました。

鼻からの経管栄養を摂ることを受け入れましたが、それは簡単ではありませんでした。チューブを入れる処置はかなり苦しかったと母は言いましたが、医師は「平気そうでしたよ」と言いました。がまんしていたようです。

栄養をゆっくり入れないとあとで苦しくなるので、2時間半かかって点滴のようにして入れてもらいました。その間はベッドに座っていなければなりません、それが一日3回。よく耐えたと思います。

一週間の後、鼻の管が抜け、口から食べることになりました。これでまた炎症を起こしたらまた逆戻りです。
母がゼリー状の食事をとるのを、わたしは恐る恐る見ていました。翌日、になっても痛みが起きないのでよかったと思った矢先、37.5℃の発熱。平熱が35℃ぐらいなので心配しました。でも半日で熱が下がって、ほっとしました。3日たっても異常がなく、血液検査の結果も良好だったので、退院の許可が下りました。

長い長い2か月でした。その間、誰も見舞わない日は一日もなく、ほとんど娘が午前中、わたしが午後に見舞っていました。
土日は妹と姪が都内から3時間かけて来てくれました。

退院できる日が来るのだろうかと思ったときもありましたが、神様が祈りをきいてくださいました。
ひとつひとつの出来事の背後に神様がおられたことをはっきりと感じました。ひとつひとつが奇跡の連続でした。何より、入院中に母が救いを受け入れ、洗礼を受けたことが奇跡――神の為される業でした。

お祈りしてくださった方々、ありがとうございました。心から感謝いたします。

今、母はホームで穏やかに過ごしています。生活に慣れるまで妹と娘、わたしが交代で泊まりこんでいます。今日はこれからお弁当をとって、ホームで退院祝いをします。母はもう普通食が食べられるのです。




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リフレッシュ

2015-06-24 18:12:52 | 日記
月曜日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のメンバーで下妻に行ってきました。母が入院して以来、遠出はしていませんでした。毎日午前中に夕飯を作って、3時ごろから病院へ行っていました。自分の時間もほとんど持てず、心身ともに疲れを覚えていたころ、下妻でワンデイ研修を行うというので、ぜひ参加したいと思いました。

病院へは妹と娘が行ってくれるというので、リフレッシュさせていただきました。

下妻は土浦より北に位置し、電車でならつくばエクスプレスで守谷までいき、関東鉄道に乗り換えます。
なぜ下妻かというと、ペンクラブの会員であるY先生が建てられた教会、下妻シャローム教会があるからです。
バスと電車を乗り継いで行くつもりでしたが、同じ教会でJCPのメンバーでもある友人が車に乗せて連れて行ってくれました。

教会へ行く前に大宝八幡宮に立ち寄りました。大宝八幡宮ではアジサイ展をやっていました。











つややかな色のアジサイたちが迎えてくれました。
見たこともないようなアジサイもあって、言葉も出ないほどに花の美しさに見とれていました。







主婦であったY先生は、キリストを伝えたいという一心で50歳を過ぎてから神学校に入って牧師になられたそうです。先生の信仰と熱意には圧倒されます。
困難な道もどんどんご自分の力で切り開いていかれたのだろうと思っていましたが、お話を聞くと、決してそうではないことがわかりました。

モーセが神様からイスラエルの民を救い出すリーダーとして召されたとき、「わたしは何者でしょう」と、ためらいました。
「わたしは口が重く、舌が重いのです(出エジプト記4:10)」

Y先生もモーセのように自分では何もできないと思われたそうです。でも「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」という聖書の言葉を信じ、神が共にいてくださることを確信したそうです。神様は自分を低くするもののうえに御力を示してくださいます。
ひたすら栄光を神にお返しするという謙遜な姿勢に頭が下がりました。


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3歩進んで2歩下がる

2015-05-21 12:45:43 | 日記
自分の時間がほとんど持てなくなったため、ブログ更新もなかなかできません。

母の容態は、一進一退だと思っていましたが、少しずつよくなっているような気がします。

母が、妹からのメールに「具合は3歩進んで2歩下がるです」と返信していました。メールを出す元気が出てきたことが嬉しいです。3歩進んで2歩下がるなら1歩ずつよくなっていることですね。
ときどき熱が出ますし管に繋がれているので、退院までの道のりは遠いでしょう。
 
母が入院している病院は、11年前わたしが乳がんで入院していた病院で、家から自転車で20分ほどの場所にあります。天気が続いているので助かります。

毎日午前中は娘が見舞い、午後3時ごろからわたしが見舞っています。毎回、聖書の言葉を携えて行きます。
今日の聖書のことばは「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(詩編30:5)です。
どんなにつらくて涙を流す夜があっても、必ず朝が来ます。その朝は喜びの朝なのです。

写真は実家から持ってきた植木鉢です。水やりするためにホームから我が家のバルコニーに移しました。生き生きしています。またホームに持って行って、母が育てることができますように。


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苦しみの中で与えられた奇跡

2015-05-11 20:13:05 | 日記
長い間、ご無沙汰してしまいました。
5月4日に母が東京から土浦へ引っ越してきました。
家を処分してしまうので、1か月足らずの間に妹とわたしが交代で実家に泊まりこんで片付けました。
片づけるとき、最初はひとつひとつ感慨にふけっていましたが、間に合わなくなってきたので、機械的に仕分けしてごみ袋と段ボール箱に入れていきました。もちろん、いる物といらない物を母に聞きながらしていたのですが、そのうち母の体調が悪くなってきて、最後の方はこちらで判断するしかありませんでした。

引っ越しの1週間前、母が熱を出しました。そのときは1日で快復し、以前から約束していた友人たちとの2泊3日の旅行に出かけました。
元気に帰ってきてほっとした矢先、また熱を出してしまいました。38℃台の熱が数日続きました。病院へ連れて行こうとしましたが、引っ越してからでいいと言ってききません。

引っ越しの前々日は、微熱のある中、近所にあいさつまわりをしました。わたしも同行しました。母がこの半年で17キロもやせてしまったので、母の姿を見てもわからなかった方が多かったです。涙ながらのあいさつにもらい泣きしてしまいました。
引っ越しの日は、主人と娘とわたしの3人が土浦のホームで掃除などして待機していました。予定より少し遅れましたが、荷物が届き、そのあとで妹夫婦が母を連れて車できました。

そのときも母は微熱があったので、ホームのゲストルームで片付けが済むまで休ませていただきました。
夜は、老人ホームの新居でお祝いの食事をし、その夜は妹が泊まり、翌日は私が泊まりました。
私が泊まった夜に母が高熱を出しました。お腹も痛いと言うので、翌日ホームの車で救急外来へ連れて行ってもらいました。肺炎かどうかはっきりしないけれど、その可能性があると言われ、抗生剤と解熱鎮痛剤をいただいて帰りました。

翌日、また高熱が出て、薬を飲んでも熱が下がらないため再び救急外来へ。連休最後の日で、外来はとても混んでいました。待つ間、ベッドで寝かせてもらえたことは幸いでした。
4時間待たされて、熱の原因がわからないので入院してくださいと言われました。
3時過ぎに病院へ行って、入院手続きをしたのが夜10時半。家に帰ったら11時過ぎていました。

 入院初日は、肝膿瘍ができているので、ドレナージの施術をしていただき(このときも4時間待ち)ました。母は待たされすぎたので我慢の限界にきて、起き上がって点滴をはずそうとしたので、なだめるのが大変でした。
 ドレナージがリスクのある施術だと聞いて、教会へ伝えてお祈りをお願いして待ちました。施術は成功したようです。膿がたくさん出ました。
昨日から膿の色が薄くなってきて、熱も下がり、呼吸も落ち着いてきました。

このような中で素晴らしいことが起こりました。母が「洗礼を受けたい」と言い出したのです。
7日に牧師先生がお見舞いに来てくださったとき、「今日洗礼を受けるのですか?」と母が聞きました。
10日の午後、入院している教会員のために出張聖餐式を行いに病院を訪れるというので、そのときに洗礼を授けていただくことになりました。
                    
神様は苦しみの中で、あふれるほどの恵みを与えてくださいました。先週の日曜は、わたしのブログを読んでくださり、ブログを通して友となった方が洗礼を受けました。
その1週間後に母が洗礼を受けることになるとは……。

2人の牧師先生と教会の長老さんが病室に来てくださり、母のベッドを取り囲んで祈ってくださいました。信仰告白のあと、洗礼が授けられました。母は牧師先生の質問にはっきり「はい」と返事をしました。素直に心を開いて、イエス様を心に迎え入れたのです。

神様は、立ち会った妹と姪の心にも働きかけてくださいました。
神様のなさることはなんと素晴らしいのでしょう! 心から主をほめたたえます!


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