ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

胡座の組み方は結跏趺坐が一番良いのですが

2012-01-21 10:04:18 | 座禅

 私は、座禅を初めたのが禅宗のほうからではなく、気功のほうの静功からの出発でした。 1時間部屋を真っ暗にして、座布団の上に普通の胡座を組んでの座り方でした。 早々に2ヶ月で静功の会は止め、自宅で毎日のように座っていました。

 当初は、夜に半身浴でお風呂に入り、その後そのまま布団の上で、薄い小さな座布団を敷いて、普通の胡座を組んで、隣室で家族がテレビを見て、その音が聴こえる中で、部屋を真っ暗にして、1時間座っていました。

 私自身は、吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へ吐く呼吸を、当初から行なっていた関係からか、体が先行して様々な微妙な変化が起こり、あとから本を読んで、こういうことだったのかなあと思うことが度々でした。

 10年近く経ってから、こんな素晴らしい座禅を、日常的に行なっているお寺はないかとネットで検索し、近くのお寺を見つけ、どのような和尚さんが行なっているのか、お顔を見に行き、そのまま月に1回参禅するようになりました。

 和尚さんから、何回目の時に、座り方は結跏趺坐か半跏趺坐にしなさいと注意されました。 私は右膝が悪いので、変則的な半跏趺坐で座ることにしました。 それ以来、座禅の雑念の時に、何故、結跏趺坐が良いのかを考えてみました。

 結論的に、足の裏を開放することにより、より身体と宇宙が一体になれる姿勢であると感じたのです。 足の裏は宇宙の気を吸います。 勿論、吸うだけではなく吐くこともありますが、主に足の裏は吸うほうが主です。

 何処かの和尚さんは、何故、結跏趺坐が良いのかの参禅者の質問に、逃げられないためという回答をしておりましたが、そのような消極的な理由ではありません。 

 私の友人の何人かは、普通の胡座も組めない方がおります。 股関節に問題があるようで、座布団を何枚も重ねなければ胡座を組めません。 どんな組み方であれ、自分が一番、楽になれる組み方で良いのです。 とにかく座ることから座禅がはじまるのですから。

座禅では肩の力を抜き筋力が働かない姿勢を保つ

2012-01-20 08:43:49 | 座禅

 座禅では、まず肩の力を抜いてリラックスすることから始めます。 長時間、胡座を組んで座禅をしますので、基本的には全身の力を抜きます。

 上半身は、頭のてっぺんが天から引っ張られる感じで維持します。 座布団の上に薄い座布団を、お尻に敷きます。 禅宗のHPを見ると、お尻と両膝の3点で維持するような記述がありますが、この座り方ですと、両膝に力がかかります。

 私はむしろ、上体は直下にあるお尻全体で、維持すべきものと感じています。 両膝は座った時に転倒しないように、軽く座布団に触れるだけの方がよいと思っています。 この座り方ですと、上体の荷重はお尻全体だけで受けるので、長時間座っても体のどこかに、筋力が働くことはありません。

私には、お釈迦さまが禅宗のような座り方をして、菩提樹の下で瞑想を行なったとは、到底、思えないのです。 全身の力が抜けてくると、自然と眼は半眼になるとも、思っているからですが。

丹田呼吸が胎息に繋がる呼吸法であれば良いのですが

2012-01-19 09:59:41 | 胎息

 丹田呼吸とは、一般的には下腹にある臍下丹田を意識した呼吸のことを云うようです。 私の考えている丹田呼吸とは、臍下丹田が呼吸することを云います。

 臍下丹田は、気のたまり場所であり、気を体中に循環させるポンプのような働きをする場所でもあります。 従って丹田で呼吸をするということは、空気を吸う呼吸ではなく、気を体外から吸い込み、それを体中に循環させるのです。

 一般的な丹田呼吸は、先ず下腹の丹田から吐くことから始まります。 吐くことから始めると、下腹も凹み胸も縮まります。 息を丹田に吸うときには、凹んだ下腹は元に戻り(又は更に膨らむ)、胸は元に戻り(又は更に膨らむ)ます。 このような呼吸に仕方は、生まれてきてから行なったことはないのです。

 私の丹田呼吸は、生来、意識してこなかった肺呼吸の要領で行います。 下腹の丹田は、多くの人は何処にあるかは分かりませんので(私自身も座禅を始めた当初はそうでしたが)、何となく下腹あたりにあると、漠然と分かっていれば良いのです。

 体操の時に行う深呼吸の要領で、大きく吸ってゆっくり吐きます。 息を吸うときには、胸は膨らみ下腹は凹みます。 息を吐く時には胸も下腹も、元に戻ります。 ただし、息を吐く時には、出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中に吐きます。 体の中の下腹にあると思われる丹田に向けて吐くのです。

 丹田は何処にあるかは誰もが分かりませんので、具体的に力を入れるものではありません。 ただ意識をするだけで良いのです。 

 私自身は、生まれて初めて座禅を行ってから、たまたま1ヶ月半で、自発動という体の中の気が充実して起こる現象を通して、下腹の臍下丹田が活性化し、心臓のように動き出した体験があります。

 従って、下腹の丹田がどこにあるかは、よく分かっておりますが、丹田が活性化して動き出さない限り、一般的は分からないものです。 丹田は意識するだけで良く、決して力を入れるところではありません(あちこちの記述されている文章がありますので)。

 私の呼吸法は、無我夢中で行なってきた我流の逆腹式呼吸ですが、上記のような呼吸を継続的に続けることによって、気を感じるようになり、丹田も動くようになり、究極的な気の呼吸である胎息も感得しました。

 私は、特別な人間ではなく、誰でもがそうなれるような呼吸法を行なってきただけです。 ほかの方よりも、ちょっぴり熱心だっただけなのです。 お母さんのお腹の中にいた胎児が行なっていたと思われる胎息から、生まれでた当初に行う腹式呼吸を通して、肺呼吸に至る過程を、逆戻り下だけのことです。

 本来の呼吸を取り戻しただけなのです。 ものの本で一般的な丹田呼吸法の記述をみると、胎息に至る過程の記述がありません。 私には一般的な丹田呼吸の呼吸の行い方が、ちょっと違うのではないかと、思われて仕方がないのです。

お釈迦さまのように蓮の花の上で胡座を組んだイメージを行う

2012-01-17 05:03:48 | 座禅

 座禅を始めた当初、蓮の花の上で胡座を組んで、座禅を行なっているイメージを、吐く息を出来るだけ長く吐きながら、しておりました。

 泥の中から綺麗な大きな花が咲く蓮は、特別な意味があるのか、体に微妙な変化をもたらしました。

 私はお経の本を読みませんので、よくは分かりませんが、経文の中にも、その意味についての記述があるということを、聞いたことがあります。

 蓮の花のイメージの場合は、そのまま、ずーっと座っているイメージです。 観音さまなどが、蓮の花の上で立っている像は、よく見かけますが、ここでは胡座を組んで座り続けます。

穏やかな光を浴び・包まれ・そして光と一体になる

2012-01-16 07:08:02 | 座禅

 座禅を始めた当初、吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息を体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中しながらも、光のイメージをしていました。

 水平線から上がる太陽を思い浮かべます。 暖かな穏やかな朝日です。 そんな光をイメージしながら、その穏やかな光を全身に浴びます。 とても良い気持ちになります。

 更に光の中に自分自身が包まれ、光の放射を浴びます。 とても良い気持ちになります。 今度は、包まれた光と一体になり、自らも光り輝きます。

 私は、光のイメージをしながら座禅を行なった時に、体に微妙な変化を感じました。 光とは特別なものだと、改めて感じたのです。

 このイメージを吐く息を出来るだけ長く吐きながら、繰り返し繰り返し行います。

無限で広大な宇宙に自分ひとり・無に近づく

2012-01-15 12:37:48 | 座禅

 座禅を始めた10数年前に私は、無限で広大な宇宙に自分ひとりというイメージを、長く吐く呼吸をしながら行いました。 無限に広がる宇宙を意識しながら、最終的には、そこに自分一人がいる。 限りなくゼロ・無に近いという意味合いを持ちます。

 普段、テレビや新聞報道などで見る、人口衛星やシャトルから見える地球をイメージします。 青く広がる海と茶色く見える大地、そして白く見える雲。 とても大きく見えます。

 大きく見えた地球から遠ざかって行きます。 だいぶ離れて、バレーボールの球ぐらいの大きさになりました。 更に離れて、ソフトボールぐらいの大きさになりました。 更に離れて、ピンポン球ぐらいに見えます。 更に離れて、もう点でしか見えません。 更に離れていくと、もう何も見えなくなりました。 気がつくと、広大に広がる宇宙に、ぽつんと自分一人しかいません。 長く吐く呼吸を行いながら、上記のようなイメージをします。

 最後には、耳がキーンとかシーンとかしてきます。 水の中で潜水して泳いだときと同じ感じかたです。 このイメージを繰り返し繰り返し行います。

長く吐く呼吸を通して宇宙を感じ宇宙と一体になる

2012-01-14 09:44:30 | 座禅

 吐く息を出来るだけ長く吐き、吐く息をイメージで体の中へ吐く呼吸を通して、宇宙を感じるようになります。 吐く息を体の中へ吐くことによって、体の中にある経絡(気の通り道)を刺激し、気の調節の弁であるツボ(鍼や灸のツボ)の調子がよくなります。

 1時間の座禅を通して、静かな状態をつくり、ツボの殆どが開いたままの状態になります。 その時に宇宙と自分が一体になります。 

 これは、ひたすら吐く息を長く呼吸を行うことよって、自然と感得できるようになります。

ひと浮かぶ雑念を静かな中で考える・雑念も悪くはない

2012-01-13 08:34:56 | 座禅

 禅宗の座禅では、よく雑念が沸いたら払いなさいという言葉を聞きます。 長く吐く呼吸に意識を集中していますと、雑念はなかなかわかないものですが、それでも、ふと日常的な問題解決しなければならないようなことが、頭をよぎります。

 そんなときに、私は雑念を払うこともなく、そのことを考えてきました。 ただひたすら胡座を組んで、吐く息に意識を集中している中での雑念は、不思議なことに、このように考えたらどうですかと、宇宙の叡智のサジェスチョンが得られるのです。

 私は、そのような雑念の時のサジェスチョンの積み重ねを通して、ものの考え方、価値観が形成されていくような気が致します。

 従って、単純に、意識が集中した時の、ふと浮かぶ雑念は、振り払う必要はないと感じております。

無心・無欲の胎児に還るー長く吐く呼吸を通して

2012-01-12 07:04:25 | 座禅

 禅宗の呼吸法は、はじめに下腹にある臍下丹田から、全てを吐き出すことから始まる空の概念を持つ呼吸です。 禅宗の呼吸法の根本理念は、空の概念を持ちながら、最終的には無心・無欲になることです。

 私は、我流で無我夢中で行なってきた逆腹式呼吸を通して、普通の肺呼吸から気の呼吸―胎息に到達しました。 胎息は胎児がお母さんのお腹の中にいた時に行なっていた呼吸法です。 

 胎児は、お母さんのお腹の中に居た時には、無心・無欲であったはずです。 お母さんのお腹からうまれでてから、様々な体験を通し、その無心・無欲の心が刺激を受け、傷つけられて無心の状態を、維持することは出来なくなったのです。

 実は、出来るだけ長く吐く呼吸を通して、イメージで体の中へ吐く呼吸を通して(逆腹式呼吸)、絶えず脳を刺激し、胸の中心にあるとされる心を刺激します。 セクシャルなエクスタシーを遥かに超える崇高な至福感を、私たちに与えてくれるのです。 

 毎日、行う1時間の座禅を通して、自分でも知らず知らずの内に、脳と心をエクササイズし、清め純粋なものにしてくれるのだと感じています。 このことは、自分自身が座禅を通して、感得していくものだとも思っています。 誰かに教わるものでもなく、本で読んで理解するものでもありません。

定の世界に踏み入れる・究極的な静かへ

2012-01-11 07:24:47 | 座禅

 出来るだけ長く息を吐き、体の中へイメージで吐く呼吸を、はじめは吐く息音が、自分自身で体感するために聴こえるように吐きます。 その呼吸に慣れるに従い、今度は出来るだけ静かに、殆んど息音が聴こえないように吐きます。

 ゆっくりと息を吐くことを、毎日ひたすら1時間続けることにより、ある時点で気がついて見ると、息をしているかどうか分からなくなってきます。 これが、定(体の隅々までが動かない状態)の世界に結びついてきます。

 私は、自分から何かを求めて、座禅を行なったことはありません(友人の病気の回復を願ったことはありますが)。 ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐きながら、胡座を組んで1時間(時として3時間)の座禅を行なってきただけです。 

 静かに暗闇の中で座禅を行なっていますと、様々な微妙な変化を、場合により劇的な変化をもたらします。 自然の動きに委ね、その変化を楽しみ、その変化も特別なものではなく、もともと私たち自身が生来もっていたものであると考えれば、素直に受け入れられるのです。

 究極的な静かな状態が、定となるのです。 その定(じょう)の状態も楽しむのです。