出来るだけ長く息を吐き、体の中へイメージで吐く呼吸を、はじめは吐く息音が、自分自身で体感するために聴こえるように吐きます。 その呼吸に慣れるに従い、今度は出来るだけ静かに、殆んど息音が聴こえないように吐きます。
ゆっくりと息を吐くことを、毎日ひたすら1時間続けることにより、ある時点で気がついて見ると、息をしているかどうか分からなくなってきます。 これが、定(体の隅々までが動かない状態)の世界に結びついてきます。
私は、自分から何かを求めて、座禅を行なったことはありません(友人の病気の回復を願ったことはありますが)。 ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐きながら、胡座を組んで1時間(時として3時間)の座禅を行なってきただけです。
静かに暗闇の中で座禅を行なっていますと、様々な微妙な変化を、場合により劇的な変化をもたらします。 自然の動きに委ね、その変化を楽しみ、その変化も特別なものではなく、もともと私たち自身が生来もっていたものであると考えれば、素直に受け入れられるのです。
究極的な静かな状態が、定となるのです。 その定(じょう)の状態も楽しむのです。