人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

異常気象

2017-02-17 | 

 今日は、異常に暖かい日だ。
 真冬には、ずいぶん寒いと感じられた日が多かったように思うのだが。
午前に、地元「コミニュティセンター」で月一回行われる恒例の「いきいきハウス」が実施された。
 正午ごろからは雨になる。

 毎年思うことであるが、この時期、里山に棲んでいる野鳥たちにとっては、厳しい状況に置かれる。つまり日々の食糧にこまるのだ。
毎年のことではあるが、一月末から2月の上旬ごろにかけて里山の木の実がなくなるのだ。そして里山に続く集落や町並みにおいても同様だ。
 ある朝、狭い庭先などの赤い、あるいは黄色の実が一粒も無くなっていることに気付く。里山や周辺の木の実や草の実が野鳥の餌になるのだ。皮と種だけである。栄養はないだろうが仕方ない。
11月ごろに田圃を耕運機で掘り起こすことがあるけれども、そんな時こそ格好のチャンスだ。
 耕運機のすぐ後ろに付いて掘り起こされる土の中にいる、可能性の高い虫たちを喰うためだ。長い冬を生き抜くためだ。贅沢は言っていられない。
それでも、寒さと餓えのために、命を落とす野鳥も多いという。(推測では数10パーセント)
厳しいものだ。寒さと餓えに耐え忍んだものだけが、春を迎えることができるのだ。
 人間も同じだ。日本をはじめ一部の文明国の人のみが、この厳しさから解放されている。
 日本人も、いま、体を鍛えなくてはならない筈。でも現実は暖房の聞いた部屋でぬくぬくと寒さを避けている。

ところで、豪雪地帯に棲む野鳥たちは冬、何を喰って冬を越すのか?。
 木の芽だ。春、暖かくなるまで木の芽は小さく固い。春先、暖かい日差しを浴びて小さな木の芽が次第に大きくなる。同時に根元の雪が少しずつ溶け広がって、野兎などがそれを狙って、木の皮をかじって生きている。したがって柔らかい木の皮が被害にあうので、大切な木の場合は、藁の束を巻いて保護を施さなければならない。
 爛漫の春が待たれる。
 どのような大木であっても、幹の周囲のすべて皮をはぎとり、シカなどに喰われたら、必ず枯れる。つまり、大量の水分を吸収する
道が細くなってもかまわないが、幹の周囲をぐるりとシカの背が立つ範囲だけ喰われたら、水分を吸い上げるルートがなくなる。したがって、どんなに大木であっても、かならず枯れることになる。