人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

2016年 新春

2016-01-04 | 正月

 2016年1月4日年、晴天だ。予報では「今日は風もなく穏やかな一日でしょう」ということだったと思う。寒さが嫌いな自分にとってはありがたい日になりそう。

元旦早々、午前に長男一家(4人)プラス犬、1匹で訪問。慌ただしい時間を過ごし、4人は岐阜のご両親(妻)の家に向かう。
 昨年の異常気象?の続きで年が改まっても、あまり変化は現れない。エルニーニヨ現象だとか、南極の氷が溶けるとか、といった類のニュースを目にすることもあるが、それはそれとして、冬は寒いもの、雪国では相応の積雪があって当たり前のこと。当たり前のことが、当たり前でなくなれば、その先はよくないことになる。日本では昔の大飢饉の年の人々の暮らしが歴史に残っているが、現在と昔とは何もかも異なる。しかし、人類だけを見ても、いま、地球上のあちらこちらで、あってほしくない出来事が頻繁に起きている。
 日本国内だけ見ても、たとえば、戦国時代の弱肉強食の時を経て、先の戦争では、地球上、他に類を見ない原子爆弾を小さな島国である火山列島で浴びせられている(2回も)。こんなことは起きてはならないことではあるが、事実である以上もとに戻すことは不可能なことだ。

 兄たちは戦場に駆り出されたが、当時の私は国民学校低学年だったが故に違う人生を踏むことになった。
 いま、また戦争の足音が近くなっている気配が。資源に乏しい国のこと。ひとたび、贅の限りを尽くした民の心を引き締めるということは、不可能に近い。

 「時々思うことだが、現在の日本は、地球上で一番、贅沢をしている。」そして格差(生活の程度)。こんな時代はかつて存在しなかったし、これからもないだろう。
 そして間もなく、日本国も衰退し、やがて長い永い歴史の闇に消えていく運命にある。

 想えば、私はこの歴史の中で一時の平穏のなかで生きることができたことに感謝するべきであろう。