人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

よく降りました

2015-07-18 | 梅雨

 よく降りました。雨が、昨日も降りっぱなし。さすがに今日、午後に なって雨だけは止んだようです。人間は(特に日本人は)勝手なもので、降れば降ったで、もういい加減に晴れてほしいと思うし、2~3日も日照りが続けば夕立もほしくなる。そして、欲するものが簡単に手に入る時代でもある。
 だが、私は思うのだ。いまのようにダラダラした中高生が多くなったら、この先の日本はどうなるのか?。良くなる道理はない。いま既に日本は一つの山に例えてみれば、国としても急な下り坂に向かって急いでいると思う。これから責任を持って国をささえていく使命を与えられている中学生、高校生の登下校の様子を見ていてわかることだが、自宅の近くに中学の校門がある。外出先からの帰りを急いでいるとき、結構広い歩道を横にいっぱいになって広がってタラタラと歩いている。校門を出るまでは先生が、見張っているが、その目が届かない範囲まで来ると途端にタラタラになる。病気で体がつらいというわけでは無い。ただ、なんとなく、そういうものだと決めている感じだ。
 終戦直後を思い出してしまう。国民学校低学年だった自分を思い出すが、当時、高等科(いまの中1~2年生)へは行きたくても、親が行かせてくれない家が多かった。その数年前は学校にすらいけない子が大勢いたのだ。戦時中だ。人出はいくらあっても足りない時代。学校に行かせてもらえなくても、子守の仕事はできた。満州や、シンガポールからマレー半島などに国土を広げて行ったから。もちろん先生も正規の免許を持っていない。代用教員だ。自分の履物はすべて自分で作るしかない。それが出来なければ、裸足で学校へ行く。雪道でもだ。履物はおろか手ぬぐい一本欲しくても手に入らない。山村でも店はあったが、売るものが全くないのだ。(テレビドラマで世界に名を知られた「おしん」の世界だ)
 韓国は以前より、定められた年齢になると、一定期間、兵役につかねば ならない。(これは体に欠陥がない限り誰でも平等だ。有名な映画スター、歌手も)日本の学校ではそのようなことは一切教えない。(日教組の影響が大きかったからと思うが)いま14時40分。空が明るくなってきた。