人と自然

人は自然の一部である
水と緑によって癒される

平和を護るということ

2015-01-29 | 平和

 遂にやってきました。その日が。日本人が、人質になってしまった。日本の平和は是非もなく、荒らされた。どこの国においても、その歴史上、ずっと昔から、部族の争い事もなく、平和で推移してきたということはないと思う。一国内だけでも、領土や利権がもとで、大昔から、争い事が続いている。急進的な超過激派はどこにでもいるもの。獲るものと獲られるものとの争いだ。これは野生動物の社会でも変わらない。そういう観点から見れば、総理大臣の「積極的平和主義」というのも、「その理念は」他の国があるから、うやむやになってしまう。日本は先の敗戦があったから、いまは他の国に比して、多数決の原理とでもいいますか、選挙があるだけ、良いほうだと誰もが思っている。70年もの間、戦争をしてこなかったから。(これはすごいこと)国民の日常生活になると、資源の乏しい国の口惜しさ。なんともなりません。一部の儲けるものは、加速度的に儲け、そうでない一般の人たちは日常が厳しくなる。「知恵、才覚、能力でのし上がってきて、どこが悪い。税金もたっぷり、多額納税者だ。」と言われたら、「ごもっとも」です。ところで、この冬は久しぶりに、冬らしい冬になりました。老いの身には応えます。私の生まれ育った地域では現在の積雪量で4メートルを超えているようです。「住めば都で」子供のころに馴れているので、こんなものか、といった感じだ。今日ネットで見たら、小正月の行事で毎年行われている、「婿投げ」「顔に墨塗り」がアップされていた。「新婚の婿殿を高台の提から投げ飛ばしてしまうといったもの」どんど焼きで正月行事で使ったもの、書初め等を雪に立てた数メートルの木に藁と一緒に巻き付け、法螺貝を鳴らす合図に点火する。その火で餅を焼いたり、残りの灰墨を誰彼に関係なく塗りつぶす。後は温泉にて洗い流す。これがメディア流れる。
でも、私が子供時代は、それぞれの家で「どんど焼き」が行われた。直径10センチほどのブナの木を切って雪に立てた。法螺貝は鳴らしたが、顔に灰墨は塗らなかった。その場所は春、一番に雪が消える。黒い灰が陽光を浴びて消えるのだ。そして、その田圃が苗代になる。大雪の年であっても稲の苗だけは、早く育つ。田植えが遅れずに行われる。