人と自然

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大震災 これからの日本

2011-04-30 | 地域

これからの日本、

東日本大震災と原発事故により、私たちひとりひとりが自分の生き方について責任を持たなければならないと思う。生きるということ、人としての幸せとは何か、そして地域とは、絆とは。

戦中戦後を体験した大方の人たちにしてみれば、なにを今更、といわれるくらい当たり前のことである。幼かったとはいえ、私自身、昭和10年代前半生まれであるから、大震災と原発事故に直面した時、いままでの日本人の生き方は、「その根底の部分で覆る、覆らざるをえないな」と思った。

50年前であれば、大方の日本人は生涯口にすることができなかった美食、夜を徹しての光の点滅、個人至上主義、マナーの悪さ。等々、数えればきりがないが、「隣にどういう人が住んでいるかわからない」といったことに現わされる「人と地域との絆」の崩壊。

新しく何かに取り組もうとするとき、発想の転換がまず、求められるであろうと思う。

 国は大切である、崩壊したら困るとの観点に立てば、ひとまず経済至上主義を少し脇において、隣人、地域との絆について、考えてみるべきとだし、「親と子」についても考えるべきときに来ているとも思う。

 高齢化が一層進み、一方で少子化に歯止めがかからない。10年、20年後を思うとぞっとする。やがて人口は激減する。

 以前であれば、どこの町や村、集落にでも必ずいた世話好きな人たち、ときに「世話やきばっぱ」などと呼ばれていた地方もあったかと思うけれども、そういう人たちによって、地域がしっかりと守られてきていたことも事実とだ。年頃の娘さんがいれば、どうにかしてその人に相応しい婿候補を探し出す。適齢期の青年がいれば、そのお嫁さんにどうかという娘さん、御両親に打診してみる。そして、しかるべき時に、しかるべき人に使者として立ってもらうといった、自分は表に出なくても社会の潤滑油としての役割を正しく認識し、実行に移されてきていたと思う。いま、未婚の男女があまりにも多い。従って少子化に歯止めが効かない。

 機械でも一定の「あそび」の部分が必要だし、潤滑油も必要だ。まして人間社会のように複雑な構造(精神的な部分も含め)の中には、「世話やきばっぱ」のような人が、地域の絆がどうしても必要である。いまこそ「全国の世話やきばっぱよ、立ち上がってほしい」と思う。     

そして若者に覇気がない。若者らしい元気を爆発させてほしい。いつの時代でも変革は若者たちによってなされている、若者たちの力と人口の半分を占める女性たちの細やかな配慮により、日本は立派な国に近づくと思う。