アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

災厄の町

2015-02-16 21:49:20 | 
『災厄の町』 エラリイ・クイーン   ☆☆☆☆

 クイーン『災厄の町』の新訳板がハヤカワから出たことを知って購入。それにしてもクイーンの傑作の一つであり、国名シリーズ以後の作風を決定づけたという意味でもきわめて重要な本作が、これまで日本で入手困難だったというのが信じられない。しばらく前に購入しようとして昔読んだハヤカワ版が絶版であることを知り、愕然とした記憶がある。日本の出版界は一体何をしているのか。

 それから訳者あとがきによれば、本書はクイーンが自己の最高傑作と位置づけている作品でもある。本書の舞台となった架空の町ライツヴィルはこの後の作品にもたびたび出てきて「ライツヴィルもの」というシリーズに発展したし、また登場人物の消息が別の「ライツヴィルもの」の作品で語られたりと、このライツヴィルという町にクイーンが強い思い入れを持っていたことは間違いない。同時に、本書は国名シリーズでパズラー小説をきわめたクイーンが人間ドラマに開眼した記念碑的作品であり、ミステリとしての精緻さでは到底国名シリーズには及ばない本書をクイーンが自己の最高の作品と呼ぶのも、ひとえにその自負によるものと思われる。

 この物語は悲劇である。クイーン・ファンにとって悲劇といえばドルリー・レーンの「悲劇」シリーズだが、まさに『Yの悲劇』にも通じる、重たく哀しみを湛えた人間ドラマが展開する。その重たさがほとんど息苦しいほどだった『Yの悲劇』にはさすがに及ばないにしても、それに近いクイーン独特の重たさ、やりきれなさがやはり本書の特徴だ。また架空の田舎町ライツヴィルが舞台ということもあり、エラリイ以外の常連、たとえばリチャード・クイーン警視、ヴェリー部長刑事、ジューナなどがほとんど登場しない。エラリイは見知らぬ土地で孤軍奮闘することになる。

 このような設定は国名シリーズでもなかったわけじゃない(『エジプト十字架』『スペイン岬』など)が、今回決定的に違うのは、エラリイが捜査する側でなく捜査される側に身を置いていることだ。従来は、たとえ他の土地の事件でもエラリイが親しく交流するのは現地の捜査官たちであって、捜査される側の事件の関係者たちとはむしろ距離を置いていた。物語が一個の「論理的問題」であるパズラー小説においては、事件の関係者たちはいわば単なる駒であり、エラリイも駒として彼らを見る傾向にあった。が、今回は違う。エラリイは悲劇が起きるライト家の人々と親しく交わり、ライト家の一員として遇され、彼自身も常にライト家の一員として行動する。捜査官たちと捜査会議に参加する代わりに、ライト家の家族会議に参加し、ライト家の悩みを共有するのである。

 これは非常に重要なポイントで、そのせいで物語の構造が根本から変化している。つまり、まず殺人が起きるまでの物語が長い。いかにして人間関係の葛藤が殺人にまで至るのか、という部分が物語の根幹なのである。またエラリイは殺人が起きてからおもむろに登場するのではなく、最初からライト家の友人として物語の中に組み込まれる。そして当然ながら、警察が捜査する過程、つまり尋問や取調べ云々の描写が少ない。エラリイがそこに属していないからだ。その代わり、捜査される側のライト家の物語、人々の行動や感情に終始スポットライトが当たっている。

 その結果、本書は捜査官の物語ではなくライト家の物語となり、クイーン作品としてはかなり変化に富んだストーリーとなった。それからエラリイによって謎解きがなされ、事件の真相と真犯人が明るみに出る際の衝撃、これが本書のクライマックスであり醍醐味だが、謎解きと人間ドラマの相乗効果で独特の暗い感動を呼ぶ結末になっている。初期の「国名シリーズ」のように犯人が単なる記号でしかなく、パズルを解いた快感だけが残る小説とは大きく異なる。エラリイが真犯人が誰かを告げた時、登場人物の一人が口にする「そんなはずはない、ああ、そんなはずはないわ」というセリフ、そこに込められた苦悩と哀しみ、これこそが本書におけるエラリイ・クイーンの達成といっていいだろう。

 そしてこのような物語においては、ゲーム的な「読者への挑戦」はかえって不適切であり、従って省略されている。これ以降、クイーンの物語に「読者への挑戦」が挿入されることは、基本的にはなくなる。

 そういう「人間ドラマ」という意味ではなかなか読み応えがある本書だが、ミステリとしては実は欠点が多い。まず、エラリイがまったく生彩を欠いていることが一つ。事件の発端から関係者たちのごく近くにいながら、またこれほど単純な事件でありながら、最後の最後になるまでまったくその推理力を発揮できていない。これが「国名シリーズ」の名探偵エラリイ・クイーンと同一人物とは、とても思えないほどだ。本書のエラリイはエラリイ・クイーンではなくむしろ、ライト家の一友人という別キャラだと思った方がいいかも知れない。

 それからもう一つは、肝心の犯行のある部分があまりにも都合良過ぎる点。このシンプルな事件で読者をミスリードするにはああするしかなかったのだろうが、あまりに偶然の要素が強すぎる。そういうわけで、本書は人間ドラマとしてはなかなか読ませるが、ミステリ、特に初期クイーンのような精緻なパズルと推理を期待する向きには物足りないだろう。

 ところで本書は野村芳太郎監督が『配達されない三通の手紙』として、舞台を日本に置き換えて映画化しているが、今回原作を読み返してみて思った以上に原作に忠実に作ってあることが分かった。原作では純然たる悪役であるローズマリー役の松坂慶子にまで女の悲哀を見出しているところが、いかにも野村監督らしい。

 


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2 コメント

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クイーンの変化 (無銘)
2015-02-17 22:18:28
Yの悲劇に似た作品だと感じました。
Yよりも、ミステリ(論理)部分は弱いなと思いましたが、その分人間にフラッシュが当てられているように感じます。
完成度としてはYの方が高く、面白いと思いますが、国名シリーズとは違い、天才エラリーから打って変わって人間エラリーの葛藤が描かれていて、ミステリ(エンタメ)よりも、純文学味溢れる作品ですね。
シムノンやディヴァインに近いです。
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Unknown (ego_dance)
2015-02-19 10:19:26
シムノンやディヴァインはほとんど読んだことがないのですが、こんな感じなら好きになれそうです。読んでみます。
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