『クライマーズ・ハイ』 横山秀夫 ☆☆☆☆☆
西海岸への出張に機中の読書用として持っていった。再読だが、やはり面白かった。映画の30倍面白い。
話は知っている人も多いだろうが、日航の御巣鷹山事故を題材に、群馬の新聞社で繰り広げられるドラマを描いている。つまり、取材し、報道する側のドラマである。作者は実際に事故当時新聞社で働いていたらしく、その時から「いつかこれで小説を書くぞ」とずっと温めていた題材であることが想像できる。まさに渾身の出来である。
小説はあらゆる人間ドラマがぶち込まれた全体小説の趣を呈しており、単純に事故の経緯と決着を追うストーリーではない。大体そんな簡単に決着がつく事故ではない。日航機の事故はむしろ触媒であり、その触媒に触れてあらわになる新聞社の体質、人間の卑小さあるいは尊厳、報道とは何か、新聞社の使命とは何か、人の絆とは何か、そして人間の生命の軽重とは何か、生命とは何か、など大き過ぎる問題にこの小説は真正面から向き合い、そして格闘し続ける。御巣鷹山の事故では一瞬にして五百数十人の命が失われ、単独機としては当時世界最大の事故だったという。こうした事件にかかわった時、人はあらゆる場面で己を試され篩にかけられる。これは多分、実際に事故にかかわった作者自身の実感だったのだろう。作者は、それらすべてをこの一作の中に封じ込める離れ業を見せた。
事故を報道していく中で、全権デスクに任命された悠木はさまざまな試練に、決断に、そして分岐点に直面する。「世界最大の事故」で後輩が活躍することを妬み、妨害する上司、想像を絶する現場に触れておかしくなる記者たち、事故原因に関する抜きネタ、人命の軽重に疑問を投げかける一通の投書……。全篇これクライマックスの嵐といってもおかしくない本書の中にあって、やはり事故原因の抜きネタを打てるか打たないか、つまり群馬の一地方紙が世界を駆け巡る特ダネをものにできるかできないかという未曾有のチャレンジを描いた章、そして悠木が一人の女子大生の投書を紙面に載せるべく記者生命を賭ける章が最高の盛り上がりを見せる。また控えめなエピソードながら個人的に印象深かったのは、北関(悠木の新聞社)を遺族の母子が訪れて新聞をもらう場面である。控えめといってもこれはとても重要なエピソードで、社内の軋轢に悩んでいた悠木が地方紙の使命に目覚め、その後の仕事のよりどころを得るという大きな意味を持っており、ここでの悠木の言動には涙を禁じえない。
とにかく、経験者にしか描けない、と思わせるディテールが圧倒的で、新聞社の中の組織の壁や自衛隊嫌い、中曽根派福田派といった社内の綱引きなどすさまじい迫真性で読ませる。その中で動き回る主人公・悠木の内面描写がまた素晴らしく、彼の思いは状況の変化とともに揺れに揺れるのだが、このリアルな揺らぎを作者の筆は的確に、ダイナミックに描いていく。
これだけでももうおなかいっぱいだが、ここにさらに、悠木の友人で元・山男、事故直前に倒れて植物人間になった安西、というキャラクターが加わる。映画ではなんだか中途半端な扱いになっていたこの安西が、小説では全篇に渡って悠木を呪縛し続ける。彼が残した「下りるために登るんさ」という言葉が彼の頭から離れない。そしてこの安西をキーパーソンにして、悠木の家庭内の問題(築くのに失敗した息子との絆)までこの小説は取り込んでいく。ちょっと欲張りすぎじゃないかとも思えるが、本書はこれにも成功しているのである。この小説では日航機事故ストーリーの額縁として現在の悠木の登山エピソードが使われているが、このエピソード中、安西の息子のセリフ「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」に涙しない読者はいないだろう。おまけに、大きいだけに収束に時間がかかる日航機事故を扱った物語の締めくくりとして、この登山エピソードが見事に機能している。これがなければ、ここまで気持ちのいい終わり方はできなかっただろう。
圧倒的な筆力と、おそらくはそれを上回る圧倒的な「思い」。読者はこれを読む時、間違いなくもう一つの人生を生きることになる。読書の至福ここにあり。
西海岸への出張に機中の読書用として持っていった。再読だが、やはり面白かった。映画の30倍面白い。
話は知っている人も多いだろうが、日航の御巣鷹山事故を題材に、群馬の新聞社で繰り広げられるドラマを描いている。つまり、取材し、報道する側のドラマである。作者は実際に事故当時新聞社で働いていたらしく、その時から「いつかこれで小説を書くぞ」とずっと温めていた題材であることが想像できる。まさに渾身の出来である。
小説はあらゆる人間ドラマがぶち込まれた全体小説の趣を呈しており、単純に事故の経緯と決着を追うストーリーではない。大体そんな簡単に決着がつく事故ではない。日航機の事故はむしろ触媒であり、その触媒に触れてあらわになる新聞社の体質、人間の卑小さあるいは尊厳、報道とは何か、新聞社の使命とは何か、人の絆とは何か、そして人間の生命の軽重とは何か、生命とは何か、など大き過ぎる問題にこの小説は真正面から向き合い、そして格闘し続ける。御巣鷹山の事故では一瞬にして五百数十人の命が失われ、単独機としては当時世界最大の事故だったという。こうした事件にかかわった時、人はあらゆる場面で己を試され篩にかけられる。これは多分、実際に事故にかかわった作者自身の実感だったのだろう。作者は、それらすべてをこの一作の中に封じ込める離れ業を見せた。
事故を報道していく中で、全権デスクに任命された悠木はさまざまな試練に、決断に、そして分岐点に直面する。「世界最大の事故」で後輩が活躍することを妬み、妨害する上司、想像を絶する現場に触れておかしくなる記者たち、事故原因に関する抜きネタ、人命の軽重に疑問を投げかける一通の投書……。全篇これクライマックスの嵐といってもおかしくない本書の中にあって、やはり事故原因の抜きネタを打てるか打たないか、つまり群馬の一地方紙が世界を駆け巡る特ダネをものにできるかできないかという未曾有のチャレンジを描いた章、そして悠木が一人の女子大生の投書を紙面に載せるべく記者生命を賭ける章が最高の盛り上がりを見せる。また控えめなエピソードながら個人的に印象深かったのは、北関(悠木の新聞社)を遺族の母子が訪れて新聞をもらう場面である。控えめといってもこれはとても重要なエピソードで、社内の軋轢に悩んでいた悠木が地方紙の使命に目覚め、その後の仕事のよりどころを得るという大きな意味を持っており、ここでの悠木の言動には涙を禁じえない。
とにかく、経験者にしか描けない、と思わせるディテールが圧倒的で、新聞社の中の組織の壁や自衛隊嫌い、中曽根派福田派といった社内の綱引きなどすさまじい迫真性で読ませる。その中で動き回る主人公・悠木の内面描写がまた素晴らしく、彼の思いは状況の変化とともに揺れに揺れるのだが、このリアルな揺らぎを作者の筆は的確に、ダイナミックに描いていく。
これだけでももうおなかいっぱいだが、ここにさらに、悠木の友人で元・山男、事故直前に倒れて植物人間になった安西、というキャラクターが加わる。映画ではなんだか中途半端な扱いになっていたこの安西が、小説では全篇に渡って悠木を呪縛し続ける。彼が残した「下りるために登るんさ」という言葉が彼の頭から離れない。そしてこの安西をキーパーソンにして、悠木の家庭内の問題(築くのに失敗した息子との絆)までこの小説は取り込んでいく。ちょっと欲張りすぎじゃないかとも思えるが、本書はこれにも成功しているのである。この小説では日航機事故ストーリーの額縁として現在の悠木の登山エピソードが使われているが、このエピソード中、安西の息子のセリフ「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」に涙しない読者はいないだろう。おまけに、大きいだけに収束に時間がかかる日航機事故を扱った物語の締めくくりとして、この登山エピソードが見事に機能している。これがなければ、ここまで気持ちのいい終わり方はできなかっただろう。
圧倒的な筆力と、おそらくはそれを上回る圧倒的な「思い」。読者はこれを読む時、間違いなくもう一つの人生を生きることになる。読書の至福ここにあり。
映画の中の男たちのやり取りの中で、説明しきれない部分が丁寧に書かれていて、映画をフラッシュバックさせながら読んで、面白い!と思ったことを思い出しました。
check double check という主人公のポリシーについては、映画の中だけみたいだったようですけど。
個人的には、映画版よりNHKドラマの方が好きでした。
それから私も最近、NHKドラマの方も観てみました。こっちの方が原作に忠実ですね。