アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

モナドの領域

2016-03-02 21:46:59 | 
『モナドの領域』 筒井康隆   ☆☆☆☆

 筒井康隆の新刊を読了。おそらくこれが最後の長編、と著者自身が言っているらしいが、寂しいことだ。そんなこと言わずにまだまだバリバリ書いて欲しいのだが、もう筒井康隆も80を越えたし、そういう心持ちになってくるものだろうなとは思う。マルケスもタブッキも亡くなってしまったし、こうして巨星たちが一つまた一つと地平線の向こうに姿を消し、または落日の最後の輝きを放ち始めるのである。

 さて、もしかしたら筒井康隆最後の長編『モナドの領域』、アマゾンのカスタマーレビューなど読むと評価が割れている。本人が「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」と言ったせいでハードルが上がっているのは間違いないのだが、確かに傑作だという意見と、筒井康隆にしては大した出来ではないという意見があるようだ。私は両方の意見が理解できる。確かにこれまでの筒井康隆の数々の傑作群、『脱走と追跡のサンバ』や『虚構船団』や『夢の木坂分岐点』や『朝のガスパール』や『ヘル』など超ド級の濃密な小説世界に驚嘆し、震撼してきた身としては、いやに淡白で、あっさりしているなと思わずにはいられない。が、それはそれでいいのである。若さと野心みなぎる時期に書いた作品と枯淡の境地に入って書いた作品の肌触りが違うのは当然だ。そうした熱さ、濃密さに欠けるかわりに、本書『モナドの領域』には若い頃の作品にはない肩の力が抜けた、超然とした、まるで仙人のように達観した境地が反映されている。この仙人はもはやあらゆる小説作法と実験的手法をきわめ尽くし、これ以上人を驚かす必要も、頑張って実験する必要もないのである。遊んでいるだけで書き手も快感だし、読者も快感だ。そこにはただ、知の快感があるのみ。快感は頑張って味わうものでもない。

 最初しばらくはどんな話なのかよく分からない。バラバラ殺人というミステリ的な導入部から入ったかと思うと、次はパン屋の話になる。が、とりあえず、学生が片手のパンを焼くあたりの話は凄まじく面白い。学生のバイトが動物パンにまじって人間の片腕そっくりのパンを焼き、その焼き方が天才的にうまく、評判になってバカ売れするという話なのだ。どことなく不気味であり、ちょっとシュールであり、ミステリアスでもあり、スリリングであり、徹底的にナンセンスである。なぜこうもスリリングなのか、不気味に思えるのかよく分からないのも凄い。その片腕パンは冒頭発見されたバラバラの片腕そっくり、という話になると明らかに不気味さが増すが、そこに一体どういうつながりがあるのかはまったく不明だし、依然としてナンセンス感濃厚なのである。やがてその学生が人間の片足そっくりのパンを焼くに至り、私は大爆笑した。いやーやっぱり筒井康隆は最高だ。発見した人物が近所中に響き渡る絶叫の悲鳴を上げるあたり初期のドタバタ・スタイルを彷彿とさせるし、ギャグの切れ味もいい。

 中盤からは毛色が変わり、GODと名乗る超越的存在が哲学的言説による世界の断片的解説を行う。ハイデガー、ライプニッツ、トマス・アクィナスなどの言説が自在に引用され、『文学部唯野教授』以降著者が関心を抱いてきた哲学の咀嚼とその玩弄という知的遊戯が披露される。これは筒井康隆が自分なりの哲学を構築してみせるといった重たいものではなく、やはり遊びとして読むのが正しいと思う。先の短篇集『世界はゴ冗談』で登場したパラフィクションも出てくる。
 
 そして最後に、詩情と幸福感が漂うラストシーンに至る。筒井康隆の長編でここまでしみじみ幸福感に溢れた結末は珍しいと思う。作中の発言によればGODは祝福しないそうだが、本書は間違いなく世界を祝福している。

 私が筒井康隆の最高傑作を片手の数ほど選ぶとして、本書がそこに入ってくるかどうかは分からない。が、小説の「破格」っぷりは間違いなく最上級である。小説なんてどんな風に書いてもいいんだよ、という著者の余裕の笑みが私には見える。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿