『ヘル』 筒井康隆 ☆☆☆☆☆
『夢の木坂分岐点』で筒井世界の豊穣に酔った私は、そのまま酩酊を維持するべく『ヘル』再読へ突入。これも間違いなく筒井文学の精華の一つである。『夢の木坂分岐点』がきちんと手順を踏んで無意識世界へ降りていく「治療」だったとすれば、本書は最初から最後まで放縦な虚構の悦楽に打ち震える「祝祭」である。もはやすべては融通無碍。死と生、過去と未来、夢と現実が自在に混ぜ合わされ、読者は作者とともにそれらの間を自由に行き来する。境界線は消え失せる。繰り出されるエピソードも家族や仕事への思いなどの純文学的なものよりむしろ中間小説的な柔らかいものとなり、たとえばヤクザの拷問、不倫愛、飛行機のハイジャック、テレビ界の有象無象などの妄想的なエピソードが連発される。
筒井康隆は夢というものにきわめて真剣に取り組み、おそらくはその文学化の方法論を緻密に研究し尽くした稀なる小説家であり、その成果は『夜のコント・冬のコント』『家族場面』などの短編集、そして長編『パプリカ』などで読むことができるが、本書『ヘル』はその夢話法の集大成といっていいと思う。私達になじみ深いあの夢の感覚、回想の感覚、白昼夢の感覚、そしておそらくは(信じがたいことに)死後の感覚が、全篇に充溢しているのである。ただシュールレアリスティックな幻覚的なエピソードというだけでなく、それらは常に、私たちが通常夢の中でしか味わえないようなやましさ、なつかしさ、物悲しさなどを伴って現れる。これが紙上で見る夢でなくて何だろうか。
構成も非常に緩やかで、もちろんそれらは裏で緻密に計算されているに違いないのだが、読者はまったくそんなことを気にする必要はなく、ただただ作品世界に身をまかせて漂っていけば良い。小説の主人公が誰かも判然とせず、エピソードの時系列もランダムで、繰り返し、予告、ループなどが頻繁に用いられる。本書で用いられている仕掛けはただ一つ、死後の人間が一時的に留まっていられるらしい「ヘル」という場所の設定のみ。死んで「ヘル」にやってきた人間は空間や時間を越え、夢を通して自在に生者の世界と交流できる。
それから特筆すべきは、エンタメ作家としても凄腕である筒井康隆の読ませる技術である。先に書いた通りシュールなエピソードの連発にもかかわらず、読み物としても面白い。面白く読めるようにさまざまなエンタメ技法が駆使されているのだ。ヤクザの拷問や舞台下で行方不明になる歌舞伎役者のエピソードでは初期からの得意技であるドタバタや残酷描写の手法、不倫や凍死する夫婦のエピソードでは叙情的な手法、不倫相手の復讐やハイジャックではサスペンス・スリラー的手法、など自由自在だ。『聖痕』の帯に「頽廃的なまでの小説的技巧の粋を尽くして」と宣伝文句があったが、その表現はこの『ヘル』にこそふさわしい。
どこから始まってどこで終わってもいいような小説だけれども、最後はテンションを上げるためかドタバタ的な場面が多発され、死者たちが「ヘル」から更に別の場所へ移動していくところで終わる。この最後の場面が、それまでの物語でさほど主要な位置にいなかった人物の話で終わるというのも、本書の性格をよく表している。「ヘル」の物語に終わりはないのだ。たとえ小説は終わっても、この物語は無限に続いていく。読者はそれを感じることができる。
筒井康隆の最良の作品のひとつ。
『夢の木坂分岐点』で筒井世界の豊穣に酔った私は、そのまま酩酊を維持するべく『ヘル』再読へ突入。これも間違いなく筒井文学の精華の一つである。『夢の木坂分岐点』がきちんと手順を踏んで無意識世界へ降りていく「治療」だったとすれば、本書は最初から最後まで放縦な虚構の悦楽に打ち震える「祝祭」である。もはやすべては融通無碍。死と生、過去と未来、夢と現実が自在に混ぜ合わされ、読者は作者とともにそれらの間を自由に行き来する。境界線は消え失せる。繰り出されるエピソードも家族や仕事への思いなどの純文学的なものよりむしろ中間小説的な柔らかいものとなり、たとえばヤクザの拷問、不倫愛、飛行機のハイジャック、テレビ界の有象無象などの妄想的なエピソードが連発される。
筒井康隆は夢というものにきわめて真剣に取り組み、おそらくはその文学化の方法論を緻密に研究し尽くした稀なる小説家であり、その成果は『夜のコント・冬のコント』『家族場面』などの短編集、そして長編『パプリカ』などで読むことができるが、本書『ヘル』はその夢話法の集大成といっていいと思う。私達になじみ深いあの夢の感覚、回想の感覚、白昼夢の感覚、そしておそらくは(信じがたいことに)死後の感覚が、全篇に充溢しているのである。ただシュールレアリスティックな幻覚的なエピソードというだけでなく、それらは常に、私たちが通常夢の中でしか味わえないようなやましさ、なつかしさ、物悲しさなどを伴って現れる。これが紙上で見る夢でなくて何だろうか。
構成も非常に緩やかで、もちろんそれらは裏で緻密に計算されているに違いないのだが、読者はまったくそんなことを気にする必要はなく、ただただ作品世界に身をまかせて漂っていけば良い。小説の主人公が誰かも判然とせず、エピソードの時系列もランダムで、繰り返し、予告、ループなどが頻繁に用いられる。本書で用いられている仕掛けはただ一つ、死後の人間が一時的に留まっていられるらしい「ヘル」という場所の設定のみ。死んで「ヘル」にやってきた人間は空間や時間を越え、夢を通して自在に生者の世界と交流できる。
それから特筆すべきは、エンタメ作家としても凄腕である筒井康隆の読ませる技術である。先に書いた通りシュールなエピソードの連発にもかかわらず、読み物としても面白い。面白く読めるようにさまざまなエンタメ技法が駆使されているのだ。ヤクザの拷問や舞台下で行方不明になる歌舞伎役者のエピソードでは初期からの得意技であるドタバタや残酷描写の手法、不倫や凍死する夫婦のエピソードでは叙情的な手法、不倫相手の復讐やハイジャックではサスペンス・スリラー的手法、など自由自在だ。『聖痕』の帯に「頽廃的なまでの小説的技巧の粋を尽くして」と宣伝文句があったが、その表現はこの『ヘル』にこそふさわしい。
どこから始まってどこで終わってもいいような小説だけれども、最後はテンションを上げるためかドタバタ的な場面が多発され、死者たちが「ヘル」から更に別の場所へ移動していくところで終わる。この最後の場面が、それまでの物語でさほど主要な位置にいなかった人物の話で終わるというのも、本書の性格をよく表している。「ヘル」の物語に終わりはないのだ。たとえ小説は終わっても、この物語は無限に続いていく。読者はそれを感じることができる。
筒井康隆の最良の作品のひとつ。
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