アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ゼロヴィル

2016-06-15 22:31:16 | 
『ゼロヴィル』 スティーヴ・エリクソン   ☆☆☆☆☆

 エリクソンの新刊を読了。見事に面白かった。今回は映画がテーマである。テーマというか、映画がオブセッションであり映画に憑かれた書物、といった方がいいだろう。ハリウッドを舞台にした、映画マニアの青年がエディターそしてディレクターとなって映画を作る物語というだけでなく、当然ながらありとあらゆる実在の映画が引き合いに出され引用される小説である。いってみれば古今東西の映画という映画をるつぼの中で混ぜ合わせ、その上澄みを掬い取ってエリクソンの白熱する想像力と掛け合わせたカクテルの如き小説、それが本書『ゼロヴィル』である。

 全編断章形式で書かれているのが特徴で、一つ一つの断章がとても短いためにイメージのフラッシュバックを思わせ、そのことも映画についての小説である本書に似合っている。またブツ切れになった強烈なイメージが断続的にちらつくというこの手法はバロウズ的であり、特に序盤の、バイオレントでスラップスティックなおかしさを漂わせたいくつかのエピソードはバロウズの『ゴースト』や『内なる猫』の一部を強く連想させる。スキンヘッドに『陽のあたる場所』のモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーのタトゥーを入れた主人公ヴィカーがロスに到着し、「いかすな、それ。おれの一番好きな映画だよ」と話しかけてきたはいいがモンゴメリー・クリフトとジェームズ・ディーンを間違えていたヒッピーの頭にトレーを叩きつける冒頭のエピソードから、読者はたちまちこの小説に引き込まれてしまうだろう。私はいきなり笑ってしまいました。

 そしてヴィカーは色々とトラブルをまき散らしながらも住居を得、職を得てハリウッドで働き始める。そしてセット作りの腕、編集の腕を買われてドイツのプロジェクトで働き、やがてカンヌに呼ばれる。監督不在の映画を巧みに編集したことで有名になった彼はついに監督を任されることになり…という風に話は進んでいくが、こんなストーリーの合間に無数の映画への言及がある。やはりスティーヴ・エリクソンは無類の映画マニアだったかと腑に落ちる思いだ。言及される映画は『街角 桃色の店』『自転車泥棒』のようなモノクロのクラシックから『めまい』『サムライ』『風とともに去りぬ』『サウンド・オブ・ミュージック』『007』『悪魔のシスター』『ローズマリーの赤ちゃん』『2001年宇宙の旅』『ブレードランナー』そして『欲望のあいまいな対象』『地獄の黙示録』『軽蔑』まで、監督名で言えばグリフィス、ロッセリーニからカサヴェテス、ゴダールまで、無節操なまでに多種多様である。日本の映画も増村保造『盲獣』や鈴木清順『殺しの烙印』などへの言及があり、私は未見だが、いかにもエリクソン好みの強烈かつ異様な映画のようだ。

 しかしながら、本書の中で別格ともいうべき重要な意味を与えられている映画はもちろんヴィカーの頭に彫りつけられている『陽のあたる場所』、そしてグリフィス『裁かるゝジャンヌ』である。寡聞にして知らなかったが、『裁かるゝジャンヌ』は主演女優がこれ一作にしか出ておらずしかもジャンヌ・ダルクが憑依したとしか思えないすさまじい演技を見せた映画で、フィルム自体も(ジャンヌと同じく)焼失してしまったが後日ヨーロッパのとある精神病院に残っていたプリントが発見された、という数奇な運命を辿っている。この『裁かるゝジャンヌ』は繰り返し言及されるだけでなく、ヴィカーがプリントを発見するというストーリーにも絡んでくる。本書の重要なモチーフの一つである。

 『陽のあたる場所』はもちろんヴィカー最愛の映画で、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーは「映画史上もっとも美しい二人の人間」と定義されているのだけれども、終盤にモンゴメリー・クリフトの亡霊が現れるなど、やはりストーリーにも関係してくる。

 まさにヌクヌクとした映画自閉症的世界が繰り広げられるわけだが、ストーリーの方もヴィカーが独自のシュールレアリスティックな編集理論、映画理論を編み出してそれに沿った映画作りを実現していくメインプロットとともに、ヴィカーが夢の中で繰り返し見る古代の生贄儀式のようなシーンの謎、そしてそれがあらゆる映画のフィルムに一コマずつ挿入されているという謎、そしてヴィカーが映画のプリントを収集してそれらを一コマずつ取り出して繋げていくという夢幻的なプロットが進行する。ヴィカーが同居する少女が、家に貯蔵されたフィルムの影響でその内容(つまり映画)を毎晩夢に見て精神的にまいってしまう、というのもいかにもエリクソンらしい妄想的エピソードだ。

 そして先述の通りストーリーの終盤にはヴィカーの前にモンゴメリー・クリフトの亡霊が出現し、あらゆる映画の中に一コマずつ埋め込まれた映画がついに形をなすことによって、世界がぐるりと反転して終わる。本書もやはりエリクソンらしい、壮大なエンディングだった。自閉症的映画マニアの脳内妄想をすべてさらけ出したようなオブセッションぶりと、稀代の幻視者としてのヴィジョンが結合してめくるめく宇宙を形作る、『フリッカー、あるいは映画の魔』にも匹敵する映画文学の傑作である。



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4 コメント

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Unknown (サム)
2016-06-18 00:20:33
エリクソンの翻訳は出なくなってたので、もう終わった作家扱いなのかと思ってたんですが、最近になって急に連発で出ましたね。「xのアーチ」も文庫化されましたし。「ゼロヴィル」は洋書コーナーで立ち読みをしたことがあったんですが、邦訳が出るのを待って良かったです。「真夜中に海が〜」を原書で読んだんですが結構難しい単語を使ってて苦労しました・・・
Unknown (ego_dance)
2016-06-20 11:13:37
エリクソンがまた盛り上がっているようで嬉しい限りです。本書も、ますます好きなことを好きなように書くようになってきた感じがして好感を持ちました。

ところでこれを読むと『裁かるゝジャンヌ』を観たくなるのですが、ちょっと観るのがきつい映画のようなので、躊躇してます。
裁かるゝジャンヌ (SIGERU)
2016-06-20 21:16:38
「裁かるゝジャンヌ」。懐かしいタイトルを眼にしたので、思わずコメントさせていただきました。名画座がまだ全盛だったころ、歌舞伎町のど真ん中にあった「新宿アートビレッジ」で観ました。名匠カール・ドライヤー監督。主演のファルコネッティが断髪のジャンヌを演じたのですが、クライマックスはクローズアップショットの連続という革新的な映像に引き込まれた覚えがあります。物語よりは映像美の作品でしょうか。比較的短い映画ですし、アントナン・アルトーが出演しているというだけでも、一見の価値はあるかと思います。
Unknown (ego_dance)
2016-06-27 10:55:42
やはり観た方がよさそうだと思い、Criterion版の「裁かるゝジャンヌ」を取り寄せ中です。映像美に期待します。

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