アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

愛その他の悪霊について

2011-12-23 12:58:47 | 
『愛その他の悪霊について』 ガブリエル・ガルシア・マルケス   ☆☆☆☆☆

 再読。これもマルケスの傑作だ。暗い詩情をはらんだ愛の悲劇、とでもいう感じでこの美しさには酔える。

 ややこしい複合的な物語が多いマルケスにしてはわりとストレートなプロット展開である。文体は『百年の孤独』『族長の秋』ほど饒舌ではなく、『予告された殺人の記録』に近い。端正で分かりやすく、読みやすい。そして美しい。物語の舞台は抑圧が厳しい中世のラテンアメリカ。教会、そして異端審問所が絶大な力を持って人々を圧迫する、暗く陰鬱な時代だ。『薔薇の名前』に似た世界である。または『尼僧ヨアンナ』みたいでもある。

 カルタヘーナの侯爵の一人娘、十二歳になるシエルバ・マリアはある日市場で狂犬に噛まれる。やがて悪魔憑きの疑いがあるということで、修道院へ入れられる。悪意に満ちた修道院長、浮世離れした司教たちによって悪魔憑きと判断される。彼女の魂を救うためにカエターノ・デラウラ神父が派遣される。ところが彼は、果たしてシエルバ・マリアが悪魔憑きなのかどうか疑いを持つようになる。そして同時に、彼女の姿が頭から離れなくなっている自分に気づく……。

 というあらすじから分かるように、この物語は本質的には宗教的というより、ロマンティックな、そしてメランコリックなラヴ・ストーリーである。悪魔祓いのために呼ばれた実直なデラウラ神父は少女に魅せられ、彼女を愛するようになる。では少女も彼を愛するのか? それははっきりとは分からない。彼女はまだ子供であり、しかもアフリカの奴隷の風習を身に付けているためにその本心を見定めるのは容易ではない。しかし彼女も、少女らしい無邪気さをもってデラウラ神父の訪問を待ちわびるようになる。こうして奇妙な、禁断の愛が育っていく。デラウラ神父は彼女が修道院から解放され、自分も環俗して、二人が結ばれることを夢見るようになる。ところがもちろん、そうは問屋がおろさないのである。教会の暗い権威が二人の上にのしかかってくる。

 この本の帯にはこうある。愛は成就されず、成就されるのは愛でないものばかり。なかなかいいフレーズだ。

 もちろんラヴ・ストーリーであると同時に、この物語にはさまざまな多義性が与えられている。少女は両親の放任により奴隷たちのアフリカの風習と野生を身に付けて育つ。そして本当は狂犬病でも悪魔憑きでもないのに、よってたかって悪霊憑きにされてしまう。これは硬直したヨーロッパ文化が異文化を殺してしまう話でもある。

 メインの少女の話の他に侯爵とその妻ベルナルダ、精神病院にいる愛人の物語などもサブプロットとして埋め込まれていて、これも悪くない。いずれも哀しい顛末を迎える。そう、ここで成就されるのは愛でないものばかりなのである。「賢者」的なポジションで登場してくる無神論者の医者もなかなかいい味を出している。少女とデラウラ神父を救えるとしたらこの人物しかいないと思わせるが、教会が君臨する抑圧的な世界での彼の力は弱い。ほとんどないに等しい。

 中世の雰囲気とマジック・リアリズムによる御伽噺的ムードが混じりあい、濃厚なロマンの香りが広がる。『族長の秋』『百年の孤独』『予告された殺人の記録』などの最高傑作群には一歩及ばないかも知れないが、マルケスの根っこにあるロマンティシズムと物語文学的な魅力を確認できる良作だ。


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