アブソリュート・エゴ・レビュー

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街角 桃色の店

2013-01-29 23:44:29 | 映画
『街角 桃色の店』 エルンスト・ルビッチ監督   ☆☆☆☆☆

 ルビッチ監督のロマンティック・コメディを日本版DVDで再見。モノクロ映画。これも傑作である。重厚な映画や衝撃的な映画など、いい映画といっても色んなタイプがあるが、これはしみじみ幸福な気持ちにさせてくれる映画の典型だろう。それもただガハハと笑って楽しく終わる映画ではなく、心の奥が暖かくなると同時に奇妙に泣きたくなるような、切なさまじりの幸福感を感じさせてくれる映画である。主演はジェームズ・スチュワートで、非常に若い。ちなみにこれはトム・ハンクスとメグ・ライアンが出た『You Got Mail』のオリジナルらしい。『You Got Mail』は未見である。

 舞台はハンガリーのブダペスト、ある雑貨店のクリスマス前の数日間の物語(そう、これはクリスマス映画でもあるのです)。クラリク(ジェームズ・スチュワート)はマトチェック商会のマネージャーで、ある日仕事を探して訪ねてきたクララを断ろうとする。ところがマトチェック氏が彼女を雇ってしまったため、その後クラリクとクララはどうもうまくいかない。一方、クラリクは顔を知らない女性の文通相手がいた。彼は初めてその女性と会うことになるのだが…。

 もう分かりきっているので書くが、顔を見たことない憧れの文通相手が実はいつも喧嘩ばかりしている職場の同僚だった、というパターンである。ロマコメの基本形だ。従ってプロットだけ見ればありがちな予定調和と思われるかも知れないが、この映画が傑作である理由は他にある。

 先に切なさまじりの幸福感と書いたが、この独特の甘美な雰囲気はルビッチの映画に対する姿勢から来ていると思う。彼はただ笑わせるためのコメディを作ろうとしていないし、登場人物を脚本の都合だけで動かすこともしない。たとえば、物語の途中でマトチェック氏の妻の不倫が発覚する。彼は従業員の前で、妻への思いを口にする。自分は20年間、妻をずっと誇りに思い続けてきた、しかし妻は、私と一緒に老いることを拒んだ…。おおげさなセリフではないけれども、この時のマトチェック氏の悲しみは真実味に溢れていて、コメディの一場面という以上の引っかかりを観客の中に残す。

 それからまた、マトチェック氏が誤解からクラリクを解雇する場面。この場面の生々しさはどんなシリアスなドラマにもひけをとらない。まさかマトチェック氏からそんなことを言われようと思わないクラリクは、衝撃で言葉を失う。異様に長い間が訪れる。マトチェック氏も、コメディらしからぬリアリズムによって、むしろ遠慮がちな話ぶりをする。さらにその直後、クラリクの同僚のピロヴィッチが上司であるマトチェック氏に意見しようとする。これまでの場面ではピロヴィッチの小心さが強調されていたので、この行為は観客を驚かせる。マトチェック氏はピロヴィッチを黙らせるために「君は仕事を続けたいのか」と脅さねばならない。ピロヴィッチにとって、クラリクの解雇はそれほどの衝撃だったのだ。

 こういうディテールから分かるように、本作はただ笑わせるためコメディではない。コメディにありがちな類型的な演技はむしろ控えめで、登場人物の心情の細やかな表現が優先されている。

 終盤近くのクリスマス・イブの場面での、店を閉めて帰ろうとするマトチェック氏とピロヴィッチの会話も心に残る。マトチェック氏が「今夜は家に客を呼んでいるのかね?」と聞くと、ピロヴィッチは嬉しそうに答える。「いいえ、妻と子供だけです。他には何もいりません」マトチェックは笑顔で別れを告げるが、この時彼は確かにピロヴィッチを羨んでいる。妻に裏切られた彼にはもう家族がいないからだ。その表現は微妙で、かすかな仄めかし程度だ。しかし、だからこそマトチェック氏の笑顔は私達の心に残る。コメディ特有のオーバーな感情表現は、慎重に避けられている。

 一方、コメディ・リリーフとしてギャグを連発するのは走り使いのペピである。彼はどの場面でもおかしいが、特にマトチェック夫人に電話ごしにタンカをきる場面が最高だ。その他、マトチェック氏が病院に担ぎ込まれた時クラリクが容態を尋ねると自分のことを答えるというような、字幕だけ読んでいると見過ごしてしまう細かいギャグもある。

 繊細な心情表現に留まらず、ルビッチ独特の脚本の細やかさは色々なところで発揮されていて、それはたとえばクラリクとクララの口げんかの面白さであったり、オルゴール付き葉巻入れなど小道具の扱いの巧みさであったり、あるいはラストシーンの、最後の最後まで引っ張ったあとにクラリクが(自分が文通相手であったことを)告白する場面の美しさだったりする。こういう時のルビッチ監督の脚本は、まさに絹のハンカチのような滑らかさで私たちを魅了する。

 もちろん、クラリクを演じた若きジェームス・スチュワートの清潔感と繊細さが、この映画の甘美な雰囲気に大きく貢献していることは言うまでもない。クララ役のマーガレット・サラバンは、最初見た時はロマコメのヒロインにしては地味だと思ったが、喋る時の生き生きした表情のせいでだんだんチャーミングに思えてくる。何といっても、クラリクを面と向かってけなす時のうれしそうな表情が最高である。

 今となっては古典的なプロットであり設定であるけれども、だからと言ってこの映画を侮ってはいけない。この映画の美しさはディテールとニュアンス、そして登場人物たちの豊穣なケミストリーの中にある。



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