アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

世界終末戦争

2008-04-08 20:03:58 | 
『世界終末戦争』 マリオ・バルガス・リョサ   ☆☆☆☆☆

 リョサの大長編を再読。全700ページ、活字は上下二段組でぎっしり。読み応え抜群である。とにかく分厚くて持ち歩くのが大変、手も疲れる。けれども内容は案外読みやすくてスラスラ読める。読みやすさという意味では『緑の家』より上だと思う。話も異常に面白く、たっぷりのめり込める。この本は現在入手不能のようだが、こんなに波乱万丈の面白い物語なんだから、文庫5巻ぐらいに分けて読みやすくしたら絶対売れると思うんだけれどもどうだろう。

 物語は1890年代終わりのブラジル、カヌードスの反乱という実際にあった歴史的事件を描いている。ブラジルの奥地セルタンゥに、コンセリェイロと呼ばれる流浪の説教師が現れ、不思議な威厳と福音で貧しい人々の心を掴んでいく。彼に付き従う人々は数人から数十人、そして数百人へと膨れ上がっていく。彼らは誰よりも貧しくありながら、その表情は誰よりも幸福である。貧者ばかりでなく、誰からも愛されなかった身体障害者、残虐の限りをつくして生きてきた盗賊、犯罪者など、さまざまな人間達が集まってくる。やがて彼らはカヌードスという村に共同体を構え、神の教えだけに従って生きていこうとするが、共和国政府はこれを反乱とみなし、制圧のために軍を差し向ける。一方コンセリェイロは人々に税金を課す共和国をアンチ・クライストと呼び、こうしてブラジル軍と貧しいクリスチャン達の戦争が勃発したのだった。

 戦争の経緯は大体歴史に沿っているらしいが、驚くべきことにぼろをまとった貧者の集団であるカヌードスにブラジル軍は敗走するのである。最初は百人の兵隊、次に五百人の部隊がやられてしまう。そこで共和国政府は伝説的な名将モレイラ・セザル大佐率いる最強の精鋭部隊を送り込む。兵力は三千人。モレイラ・セザルは英雄であり、彼に失敗はあり得ない。ところがどっこい、カヌードスはなんと共和国の英雄モレイラ・セザルの精鋭部隊をも壊滅させてしまうのだ。カヌードスを外国勢力がバックアップしている、いや王党復古派の陰謀だ、などなどあらぬ噂が飛び交うようになり、戦争は長期化し、総力戦の様相を呈していく。

 序盤は、コンセリェイロのもとに徐々に人々が集まっていく過程が描かれる。コンセリェイロが実際に聖人だったか単なる狂人だったかは色んな見方があるよるようだが、この本の中ではかなり「聖人」寄りに描かれている。苛烈さと峻厳さを持った神秘的な人物だ。そのコンセリェイロに惹かれて集まってくる登場人物たちは、例えば敬虔な少年信者ベアチーニョ、人殺しの黒人奴隷ジョアン・グランジ、巨大な頭と四足歩行という不気味な姿ながら高い知性を持ったナトゥーバのレオン、残虐な盗賊の頭領ジョアン・サタン改めジョアン・アバージ、ジョアン・サタンと同じく盗賊のパジュウ、などなどであるが、これらのキャラクターがまたいちいち魅力的で、中でも伯父夫婦を嘘の密告で虐殺された少年ジョアンが「伯父を殺したのはお前達だ!」と村人達に宣告し、盗賊になり、頭脳と力でのし上がって頭領ジョアン・サタンとなり、復讐のために村に戻ってきて村人を皆殺しにするエピソードはすさまじい。その後ジョアン・サタンはコンセリェイロに出会い、名前を聞かれ「ジョアン・サタン」と答える。するとコンセリェイロは言う、「これからはジョアン・アバージ、すなわち神の子ジョアンと名乗るがよかろう、イエス様の使徒ということだ」。

 このジョアン・アバージや盗賊のパジュウ一味など、ゲリラ戦をはじめとする戦闘のプロがコンセリェイロ一派に参加していたことが、ブラジル軍を苦しめる大きな原因となったことは間違いないだろう。しかしあまりに信じがたい経過に、カヌードスを見守る人々もこれを単純な宗教戦争とは思わず、共和派や王党復古派などそれぞれの立場で政治的に事件にかかわっていこうとする。例えば左翼革命家ガリレオ・ガルはカヌードスを自由革命と捉え、信仰もないくせにカヌードスを支援し、一緒に戦おうとするし、モレイラ・セザル大佐は復古主義者と外国勢力を相手にしていると信じ込み、カヌードスの大地主であり王党復古派であるカンブラーヴァ男爵は自分達を潰すための陰謀だと考えて生き残りの策略をめぐらす。

 これらのキャラクター達が一人としてステレオタイプでなく、誰も彼もがそれぞれに魅力的であることが本書の素晴らしさの一つである。大地主の男爵など最初は鼻持ちならない奴かと思っていると、秩序を重んじ、住民たちのこともそれなりに考える賢明な領主だし、男爵と激しく対立する伝説的な軍人モレイラ・セザルもまた自分の信念のために戦っている。モレイラ・セザル大佐のもっとも感動的なエピソードは、彼がカヌードスの道端で飢えた貧民の母娘を見かけ、この母娘に対して国家の最高指導者に対してのみ披露される最敬礼を行うシーンである。こういった、カヌードスの外で展開されるサブプロットもそれぞれに面白い。本書はたくさんの物語が絡みあいながら進んでいくが、どのプロットに場面が切り替わっても面白いのである。なんという豊穣な物語だろうか。物語の名手バルガス・リョサの面目躍如だ。カヌードスの反乱という一大事件を背景にして無数の人間達が織り成す圧倒的なドラマの数々、一大叙事詩とはこういう小説のことを言う。
 
 終盤、ブラジル軍が総力を投入してからはさすがに奇跡は続かず、痛々しい展開になるが、最初から最後まで頼もしくクールなジョアン・アバージの最期が描かれていないのが個人的にはうれしい。パジュウは死んでしまったが、彼は生き延びたと信じたい。そして彼の横には妻が寄り添っていて欲しい。


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2 コメント

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通りすがりのものですが (淳水堂)
2010-08-17 21:49:20
はじめまして。
私もラテンアメリカ文学が好きで、たまたまこちらに辿り着きました。
世界週末戦争再読したくなってしまった。これは文庫5巻とかに分かれずあの分厚さが内容の迫力と相まっているとも思うのですが、いかんせん古本で10000円くらいなんですよね…。

「夜のみだらな鳥」の紹介文もすごいです。
あれをここまでまとめるとは。

またゆっくりこさせてくださいませ。
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はじめまして (ego_dance)
2010-08-18 12:23:58
こんにちは。『世界終末戦争』、時々無性に読み返したくなります。語り部リョサの集大成じゃないでしょうか。確かにこの分厚さも味のうちですね。それにしても今じゃ古本で一万円もしますか。大切にしましょう。
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