アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ありきたりの狂気の物語

2012-04-20 23:59:17 | 
『ありきたりの狂気の物語』 チャールズ・ブコウスキー   ☆☆☆☆★

 ブコウスキーは続けて何冊か読むと飽きてくるが、久しぶりに読むと必ず面白い。とにかくすべてが破天荒で、この突き抜けっぷりはやはり才能だろう。『町でいちばんの美女』という短編集も出ていて、冒頭に収録されている表題作が破天荒かつ哀切なので、初めてブコウスキーを読む人にはこっちの方がお薦めだ。本書は基本的な肌触りは一緒だが、ムチャクチャ度は『町でいちばんの美女』より増している。

 たとえば最初の「狂った生きもの」はこんな話。失業者でホームレスで酔いどれの「私」がたまたま水をもらいに行ったサンフランシスコのある家に、かつて精神病院に入っていたという女が住んでいる。女の誘いで「私」はその家で暮らし始める。家には色んな動物がいる。オランウータン、虎、オウム、猿、きつね、ピューマ、蛇、などなどだ。女は毎晩動物たちとセックスをする。「私」もやがて動物たちと一緒に女に「飼われ」るようになり、女とセックスをする。女は妊娠する。やがて女と「私」に敵意を持つ町の人々によって動物はすべて虐殺される。ひとしきり悲しみにくれたあと女と「私」は結婚し、女は出産する。私は病院で、自分の子供でありかつまた虎や狼や蛇や熊の子供でもあるその赤ん坊を抱く。その時、水素爆弾がサンフランシスコに落ちる。終わり。

 むちゃくちゃであり、破れかぶれである。しかしこの、常に予想の斜め上を行く破壊力満点の物語は異様な爽快さで読者を翻弄する。読者はこれらの物語によって、感性の境界線がぐいぐい押し広げられるのを感じるだろう。それにただ話の筋が破天荒なだけでなく、場面場面に何か切実な感覚がみなぎっていて、それが私たちの心の奥底にある真実のか細い琴線に触れてくるのである。たとえばホームレスで酔いどれの「私」は、飢え死の魅力になんとなくとりつかれている。女が住む家を見た時、何か「しっくりいくものがあったので」ベルを鳴らす。そして病院で大勢の赤ん坊達を見た時、そのほとんどが寂しく、おびえて、人生の大半を無駄に送ると感じ、そしてまたその子供達がやがて憎しみをおぼえ、阿呆になったり弱虫になったり人殺しになったりすると感じて、たとえようもない悲しみに襲われる。

 ワイルドであっても決して鈍感ではない。こうしたヒリヒリする感覚がブコウスキーの短編にはいつも溢れている。

 それからまたブコウスキーは私小説的な題材を書くことも多く、本書には大学に招かれて朗読した話なども出てくる。そういう時の「私」はブコウスキーという名前だったりチナスキーという名前だったりするが、いずれにしろやはり飲んだくれでとてもいい加減なダメ男である。朗読前に大学のトイレで吐いたりする。「服役の思い出」なんて短編もあって色んな囚人の話が紹介されるが、これも実際の体験なのかどうかはよく分からない。他にも競馬や、泥棒や、最底辺に生きる人々の話がたくさん出てくる。レイプの話まである。

 ブコウスキーの文体は簡潔でぶっきらぼうで生々しいが、しかしきわめて詩的である。そしていつも真実の感情が溢れている。飾り気とか虚栄、虚飾というものがまったくない。これは何も怖いものがない人間が書く小説だ。すべての虚飾を剥ぎ取ってしまえば人間とはここまで自由になれるし、また小説はここまで面白くなるのである。しかしそれができるのは、一握りの天才だけだ。ブコウスキーの小説を久しぶりに読むと、いつもそんなことを考えてしまう。



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