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『イン・ザ・フレッシュ』 ロジャー・ウォーターズ ☆☆☆☆☆
元ピンク・フロイドの頭脳、ロジャー・ウォーターズのライヴ。もともとCDで持っていて愛聴していたが、このたびめでたくDVDも購入した。実はピンク・フロイドの『Pulse』と一緒に買って見比べるという贅沢をしたのである。
音だけ聴くのと映像を見るのとではやはり印象が違う。ピンク・フロイドのステージはとにかく豪華絢爛で、スペクタクルとしてのクオリティにはすさまじいものがある。音だけ聴くよりずっと感動する。一方、ロジャー・ウォーターズのステージはそれと比べればずっと地味だが、音の充実度は決して負けていないどころか、個人的には『Pulse』より上だと思う。
これは最初にCDで聴いた時にも思ったことで、実は私は最初に『Pulse』を聴いた時軽い失望を覚えた。『狂気』のフル演奏が売り物だった『Pulse』が出た時は期待で胸が膨らんだが、実際に聴いてみると、決して悪くはないものの微妙に大味だと思ったのである。大体のところは同じなんだけれども、肝心なところで味が薄まっていて、ちょっと気が抜けたビールのような感じがあった。しかしまあ、あの緻密なフロイドの音楽でライヴでもスタジオ盤と同じ音を出すのは無理だなと思って納得したのである。
しばらくして、ロジャー・ウォーターズのライヴCD『イン・ザ・フレッシュ』を買った。この中にもフル演奏じゃないが『狂気』の曲が収録されているが、デヴィット・ギルモアの声もギターもないし、あまり期待はしていなかった。ところが『Breathe (In The Air)』のイントロから歌が始まった瞬間、鳥肌が立った。それは確かにあの『狂気』だったのである。フロイドの『Pulse』では失われていたスタジオ盤の戦慄が、ここではライヴでしっかり再現されていた。確かにヴォーカルはゲストのギタリストが歌ったりウォーターズが歌ったりしているし、ギター・ソロもギルモアとは違う。しかしなぜか、ここにはデヴィット・ギルモアズ・ピンク・フロイドを凌駕する「本物感」が漂っているのである。
一般的には、ウォーターズは詩人でありギルモアはプレイヤーである、だからフロイドのコンセプトはウォーターズが握っていたが、演奏・サウンドはギルモアの方が上、と言われている。しかしこの『イン・ザ・フレッシュ』を聴く限り、私にはそうは思えない。確かにギルモアのギターは素晴らしいし、それが欠けていると寂しい。が、それが曲のすべてではない。最終的に曲のインパクトを決めるのは全体のサウンド・コーディネイションなのであって、そういう意味ではやはり、ロジャー・ウォーターズこそがフロイド・ミュージックの音楽監督であり、プロデューサーだったのである。この『イン・ザ・フレッシュ』を聴くと(あるいは観ると)それが分かる。仮にフロイドにギルモアがいなかったとしても、ウォーターズはやはりあの『狂気』を作り出しただろうと思わされる。
もちろんフロイドの曲のみならず、ソロ・アルバムからの曲も非常に出来がいい。それに当然ながらフロイドの曲と同じ感性に貫かれているので、コンサートの流れにもまったく違和感がない。素晴らしく充実したライヴだ。
ところでしばらく前に、ロジャー・ウォーターズは『狂気』ツアーを敢行した。つまりフロイドの『Pulse』同様、『狂気』フル演奏が売り物のツアーである。私は万難を排してこれを観にいったが、見事なパフォーマンスだったのは言うまでもない。私はこれがCD化されればフロイドの『Pulse』をしのぐ決定版になるぞと思って期待していたのが、今に至るまで発売されていない。なぜだろう。これが出れば売れまくるのは分かっているし、ウォーターズの『Wall』ライヴは出ているというのに。何か権利の関係だろうか。
元ピンク・フロイドの頭脳、ロジャー・ウォーターズのライヴ。もともとCDで持っていて愛聴していたが、このたびめでたくDVDも購入した。実はピンク・フロイドの『Pulse』と一緒に買って見比べるという贅沢をしたのである。
音だけ聴くのと映像を見るのとではやはり印象が違う。ピンク・フロイドのステージはとにかく豪華絢爛で、スペクタクルとしてのクオリティにはすさまじいものがある。音だけ聴くよりずっと感動する。一方、ロジャー・ウォーターズのステージはそれと比べればずっと地味だが、音の充実度は決して負けていないどころか、個人的には『Pulse』より上だと思う。
これは最初にCDで聴いた時にも思ったことで、実は私は最初に『Pulse』を聴いた時軽い失望を覚えた。『狂気』のフル演奏が売り物だった『Pulse』が出た時は期待で胸が膨らんだが、実際に聴いてみると、決して悪くはないものの微妙に大味だと思ったのである。大体のところは同じなんだけれども、肝心なところで味が薄まっていて、ちょっと気が抜けたビールのような感じがあった。しかしまあ、あの緻密なフロイドの音楽でライヴでもスタジオ盤と同じ音を出すのは無理だなと思って納得したのである。
しばらくして、ロジャー・ウォーターズのライヴCD『イン・ザ・フレッシュ』を買った。この中にもフル演奏じゃないが『狂気』の曲が収録されているが、デヴィット・ギルモアの声もギターもないし、あまり期待はしていなかった。ところが『Breathe (In The Air)』のイントロから歌が始まった瞬間、鳥肌が立った。それは確かにあの『狂気』だったのである。フロイドの『Pulse』では失われていたスタジオ盤の戦慄が、ここではライヴでしっかり再現されていた。確かにヴォーカルはゲストのギタリストが歌ったりウォーターズが歌ったりしているし、ギター・ソロもギルモアとは違う。しかしなぜか、ここにはデヴィット・ギルモアズ・ピンク・フロイドを凌駕する「本物感」が漂っているのである。
一般的には、ウォーターズは詩人でありギルモアはプレイヤーである、だからフロイドのコンセプトはウォーターズが握っていたが、演奏・サウンドはギルモアの方が上、と言われている。しかしこの『イン・ザ・フレッシュ』を聴く限り、私にはそうは思えない。確かにギルモアのギターは素晴らしいし、それが欠けていると寂しい。が、それが曲のすべてではない。最終的に曲のインパクトを決めるのは全体のサウンド・コーディネイションなのであって、そういう意味ではやはり、ロジャー・ウォーターズこそがフロイド・ミュージックの音楽監督であり、プロデューサーだったのである。この『イン・ザ・フレッシュ』を聴くと(あるいは観ると)それが分かる。仮にフロイドにギルモアがいなかったとしても、ウォーターズはやはりあの『狂気』を作り出しただろうと思わされる。
もちろんフロイドの曲のみならず、ソロ・アルバムからの曲も非常に出来がいい。それに当然ながらフロイドの曲と同じ感性に貫かれているので、コンサートの流れにもまったく違和感がない。素晴らしく充実したライヴだ。
ところでしばらく前に、ロジャー・ウォーターズは『狂気』ツアーを敢行した。つまりフロイドの『Pulse』同様、『狂気』フル演奏が売り物のツアーである。私は万難を排してこれを観にいったが、見事なパフォーマンスだったのは言うまでもない。私はこれがCD化されればフロイドの『Pulse』をしのぐ決定版になるぞと思って期待していたのが、今に至るまで発売されていない。なぜだろう。これが出れば売れまくるのは分かっているし、ウォーターズの『Wall』ライヴは出ているというのに。何か権利の関係だろうか。
"狂気"について独自のイメージを描いてよいのなら
「 to have children」・・ 人生における深い感激です。
音楽も変わる。そして死ぬまで変わるのも人間。
ピンク.フロイドBOX14も発売 しばし、ロジャー.ウォーターズの世界へ!