アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

藤澤清造短篇集

2012-06-17 21:45:21 | 
『藤澤清造短篇集』 藤澤清造・著/西村賢太・編   ☆☆☆☆

 うーむ、やはりこういうものが出たか。西村賢太が「歿後弟子」を自称する私小説作家、藤澤清造の作品集である。これは短編集で、もう一冊代表長編『根津権現裏』も同じ新潮文庫から出ている。西村賢太がこれだけ売れて、しかもその文章のほとんどでこの作家のことに触れているとなれば、「西村賢太が入れ込んでいる藤澤清造ってどんなんだろ?」と思う人が多数出てくるのは当然であり、それに応えてこういう本が出るのもまあ当たり前だ。

 しかしこういう優秀な「歿後弟子」を一人持てば、それで作家の命運は変わってくるものなんだな。ひょっとしたらこれで藤澤清造の評価が大幅に改められる、ということになるかも知れず、そうなったら藤澤清造は草葉の陰で西村賢太に感謝しなければならないだろう。

 で、普段私小説には興味がない私も、ふと本屋でこの文庫本を見かけて西村賢太つながりで興味を惹かれ、ついレジに持っていってしまったクチである。もちろん編集は西村賢太、この作家の醍醐味を味わうのにベストのセレクションだとのこと。興味津々で読み始めたが、一読、西村賢太に似ている。題材も文体も。まあ、当然だ。

 しかし、やはり面白い。面白いというと不謹慎に思えてくる題材ばかりだが、それにしても面白い。テーマはとにかく金がないこと、病気のこと、人を羨むこと、人に金の無心をすること、そんなんばっかりである。金がなくて困っている人は今の世の中にも沢山いると思うが、ここまで深刻に貧困に打ちひしがれている人はやはり、そうはいないんじゃないかと思えてくる。なんせ、病気で死ぬんじゃないかと怯えながら、金がないので医者にかかれないのである。病気の不安も深刻で、死の恐怖を覚えるほどの痛みを感じ、「大丈夫だ」という医者の言葉も本当だろうかと疑ってあれこれ悩まずにはいられない、というひどさだ。いやまったく、これは同情する。

 そういう意味では、藤澤清造が描く状況は西村賢太の私小説より深刻である。そんな中、作者自身がああでもないこうでもないと思いめぐらすその心中をきめ細かに書いている。これも西村賢太と同じだが、アクションや事件の連鎖で小説が成り立っているのではなく、きめ細かな心理の移り変わりで成り立っている。その心理とは必ずしも大層な思想でも哲学でもなく、むしろ堂々めぐりや無益な繰言の垂れ流しに似ているのだが、だからこそ生々しく、かつ、深刻さの中に巧まざるユーモアをもたらしている。

 一発目の「一夜」で、まずはこの作家のこうした持ち味が目いっぱいぶちかまされる。起きることといったら金がないこと病気のことを暗く考えているところに友人が来て、暗い会話をし、また友人が帰っていって一人になるとそれだけなのだが、まったく希望というものがない自分の境遇をぐだぐだと考え続ける。そして絶望の果てにやけっぱちにも似た希望を搾り出したかと思うと、どーんと突き落とされて終わる。このラストは、気の毒ながら思わず笑ってしまう。これはやはり、人の心のちまちました不合理な動きというものを見事に描き出しているからだと思う。

 「刈り入れ時」は庄吉という主人公が金の無心をして回る話で、やはりこれもちまちま、だらだらと後悔の念に苛まれ続ける。が、そもそも預かった百円をなくしたのが待合で芸妓を呼びビールを飲んだから、というのではあんまり同情できない。

 しかしユーモア色が濃くない短編では、筆者の心境は凄愴の色を帯びてくる。「母を殺す」では母の死を願い、「殖える癌腫」では子供の死を願う。あまりの貧乏がそうさせるのである。「母を殺す」と言っても実際に殺すわけではなく、病身の母を連れて「縁起が悪い」と言われる部屋に引っ越すだけなのだが、その部屋が「縁起が悪いから止めたら」と言われた時、ふと、「ここで母が死んでくれたら」と思ったことの懺悔、そして自責の念が赤裸々に綴られる。これは相当キツイ。

 それにしても、これほどまでの懊悩、苦悩を読んで愉しみを得る読書とは、一体どういう行為なのだろうか。また、これほどの苦痛を文章に書くことの文学的価値とは何なのか。単純に「他人の不幸は蜜の味」といった性悪説だけでは説明しきれないものがそこにはある。文学作品の中には明らかに不安、恐怖、絶望、苦痛、苦悩、といったものをテーマにし、一時的に読者にもその負の感情を経験させるタイプのものがあるが、これも確かに一種の「愉しみ」あるいは「悦び」を読者に提供するのである。人体は死の恐怖に直面するとそれを乗り越えようとしてアドレナリンを放出し、それが一種の快感をもたらすそうだが、心理的にもそれと似たようなメカニズムが存在し、強い苦悩を擬似的に味わうことでカタルシスを得る機能があるのかも知れない。心理学の専門家に聞いてみたい。が、苦悩することが人間精神の成長の糧となり得るとしたら、おそらく文学作品で擬似的に味わう苦悩も同じような意味を持つに違いない。

 現代の日本で、ここまでの貧困の苦しみを味わわなければならない人間は少数だろう。私を含め、安楽な生活で心に贅肉がついている人は、これを読んで精神に鞭を当てるのもいいかも知れない。




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5 コメント

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Unknown (ホメロス)
2012-06-19 23:34:54
こんにちは
文学大好きでこのサイトに行き着きました若造です
すばらしい質のレビューがたくさんありますね
一体どういう経歴の人か気になっちゃいますw
もしよかったら生涯のベスト10の作品とか特にオススメの本を教えてもらえないでしょうか?
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Unknown (ego_dance)
2012-06-22 10:11:08
こんにちは。お褒めにあずかり光栄です。経歴は、特に大したことはないと思います…

生涯のベスト10は面白そうなので、ちょっと考えて近日中にupしてみます。
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Unknown (ホメロス)
2012-06-22 17:17:06
本当ですか?ありがとうございます
楽しみだな~
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ベスト10に期待 (sugar mom)
2012-06-23 08:39:41
私もegoさんのベスト10に興味深々です。
確かに熟考に時間が必要な課題ですよね。
映画版と文学版、両方でお願いします。
映画は、日本映画と洋画でお願いします。
そんな暇ちゃうぞ!と怒られそう。
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今日upしました (ego_dance)
2012-06-27 10:19:01
オールタイムベストの海外文学篇を本日upしました。日本文学と映画(邦画、洋画に分けて)はこれから順々にupしたいと思います。しかし私の趣味は偏向しているので、どこまでご参考になるか、あまり自信はありませんが。

ところで宜しければ、皆さんのベスト10も教えて下さい。コメント欄を使ってもリンクを貼って下さっても結構ですので。
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