アブソリュート・エゴ・レビュー

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パターソン

2017-10-21 13:27:19 | 映画
『パターソン』 ジム・ジャームッシュ監督   ☆☆☆☆☆

 iTunesのレンタルで鑑賞。最近観た映画の中では文句なく最高であるとともに、最近観た映画と限定しなくてもほぼ完璧な美しさを備えた、オールタイムベスト級の映画である。ジム・ジャームッシュ監督作品中では『ストレンジャー・ザン・パラダイス』に並ぶか、あるいはそれ以上の出来だ。

 主人公はアメリカのニュージャージー州パターソンに住む、パターソンという名のバス運転手(アダム・ドライヴァー)。題材は彼の日常のささやかなエピソードの数々、そして詩である。映画は月曜日の朝から始まり、火曜日、水曜日、と順々に一週間を辿っていき、きっちり翌週の月曜日の朝で終わる。

 ジャームッシュはもともと何も起きないようなミニマリズム的作劇を得意とするが、これもそういう映画である。社会を揺るがすような、あるいは人生を揺るがすような大事件は起きず、ただ平凡なバス運転手の日常が淡々と描かれるのみだ。しかし、その豊饒さは比類がない。なぜこんな魔法が可能なのだろうか。第一のトリックは、繰り返しである。月曜、火曜、と几帳面に区切って進んでいく物語は常に朝、パターソンがベッドで目覚める場面から始まる。パターソンの隣には妻のローラがいたりいなかったり。朝のシリアルを食べ、歩いて出勤し、同僚と会話し、バスを運転し、乗客の会話を聞き、歩いて帰宅し、ローラとその日にあったことを会話し、犬のマーヴィンを散歩に連れていき、その途中でバーに立ち寄る。それらの合間に、ノートに詩の断片を書きつける。一日が終わり、翌日また朝から同じルーチンが繰り返される。

 同じことの繰り返しは退屈だろう、と思われるだろうか。この映画はそんな思い込みを完全に逆手に取ってくる。基本的に同じことが繰り返されるのだが、当然ながらまったく同じではなく、少しずつ微妙に違う。そしてその微妙な違い、つまりバリエーションが繰り返しを興味深いものにする。驚いたことに、一回だけ見せられてもどうってことないささやかな日常的ルーチンが、繰り返しながら微妙に変化することでどんどん面白くなってくる。スリリングになり、観るに値するものになるのだ。

 二つの目のトリックは、ジャームッシュ監督の十八番であるオフビートなユーモア。この映画の土台であるところの日常的なリアリズム感覚を破壊しない程度に微妙な匙加減で、まるで達人シェフがごくわずかのスパイスで料理の味を引き立てるように、それが投入される。たとえばいつもこまごまとグチをこぼす同僚との会話、あるいはパターソンがバスを運転しながら耳を傾ける乗客たちの会話、あるいはバーにおける破局したカップルの会話など。その中の最高傑作が、日曜日夕方のパターソンと日本人サラリーマン(永瀬正敏)との会話であることは言うまでもないが、それはオフビート・ユーモア面のハイライトであると同時に、本作の、詩にまつわるポエジー面のハイライトともなっており、当然ながらこのささやかな一週間の物語の見事なクライマックスをなしている。すべての要素が調和し、見えないけれども確実に観客の情緒を支配する、一貫したダイナミズムを作り出しているのである。

 三つ目のトリックは、この映画のもう一つの、というより実はただ一つのテーマ(日常もすなわち詩なのだ、というのがこの映画が究極的に言わんとするところだから)である「詩」である。パターソンは詩を書く。小さなノートを持ち歩き、そこに思い浮かんだ言葉を書きつけていく。パターソンが詩を書く時、画面には彼が書きつける文字があらわれ、彼の声でナレーションが流れる。これらの詩はパターソンの日常にこまぎれとなってまぎれ込み、微小な星屑のように光を放つ。これによって映画は一つの芯を持ち、さまざまなエピソードは束ねられ、美しく統合され、すべてのことはその内側に美を秘めているというテーマへとつながっていく。

 四つ目のトリックは三つ目を補強するものであり、ジャームッシュ監督の遊びと言ってもいいかも知れないが、この映画を観れば誰もが気づくであろう、双子の氾濫である。この映画にはなぜか双子が多数登場する。それは冒頭ローラの夢の中に登場し、その後パターソンの日常の中にまったく偶然に、つまりシンクロニシティの顕現として次から次へと登場する。ストーリーにはまったく絡んでこないので、そういう意味では遊びだと思うが、これによってこの映画は日常からほんの少し浮き上がる感覚を得る。その微妙な浮力は、細部まで行き届いたジャームッシュ監督のその他もろもろの配慮、たとえば映画を彩るどこまでも清潔なミニマル・ミュージック、ローラが制作するモノクロの作品たち、などと一体になって、この映画の心地よく涼しげなトーンを決定づけている。もちろん、いつも以上に繊細な映像美は言うまでもない。

 特に何も起きないと書いたが、比較的大きなエピソードとしてはローラのギター購入、同じくローラのフリマでのカップケーキ販売、破局したカップルであるマリーとエヴェレットがバーで起こす騒動、そしてパターソンが詩を書きつけたノートブックの破壊がある。この中でもっと重要なエピソードはもちろんノートブックの破壊である。淡々と無造作にエピソードを並べるだけに見える本作だが、このエピソードにも実は月曜日から丁寧に伏線が張られている。これから映画を観る人の興を殺がないよう詳しくは書かないが、結果的にパターソンは日曜日の最後のエピソードで謎めいた日本人に出会い、真っ白なノートブックを得て、再び詩を書き始めることになる。

 どうでもいいことだが、この映画でパターソンが運転するニュージャージー・トランジットのバスは私が毎日の通勤に利用しているバスで、もちろん行先はパターソンではないが、バスの型や見かけはまったく同じである。だからあのバスが通りを走る光景は馴染み深く、映画を観ていてとても愉しかった。それからもしあなたが犬好きなら、パターソン夫妻の飼い犬マーヴィンに萌え死ぬこと必至である。

 美しいディテールと、それをポエジーに変容させるマジックに満ち満ちたフィルム。ジャームッシュ監督の新たな代表作が誕生した。



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