アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

オービタル・クラウド

2018-09-07 21:57:28 | 
『オービタル・クラウド(上・下)』 藤井太洋   ☆☆☆☆

 最近すっかりSFから遠ざかっている私だが、昔はハヤカワSF文庫を手当たり次第に読みまくっておりました。といっても好んで読んでいたのは科学理論を駆使したハードSFよりディックみたいな妄想系、シュール系だったが、今回ふと手に取ってみた『オービタル・クラウド』は、謳い文句の通り現代のハードSFというにふさわしい小説だった(とはいえ、作者本人はこれはSFじゃないと言っているらしいが)。

 それにしても、昔のハードSFは科学者が活躍したものだったが、今では中心となるのはIT技術者らしい。それに舞台は政府系の研究施設とかじゃなく、フリーランスの若者たちが集うシェアオフィスやホテルの一室である。で、彼らがそのへんのPCショップでケーブルやラズベリーを買ってきて国際謀略に立ち向かってしまう。うーむ、今やこういう時代なんだなあ、とつくづく感じいった。

 とにかく、最新のテック事情がたっぷり盛り込まれているのが本書最大の特徴であり、魅力である。主人公はフリーランスのウェブ・コンテンツ作成者およびアプリ開発者で、武器はプログラミングやビッグデータ解析、駆使するのはスマホやラズベリーといった身近なギア、結果的にCIAも驚くような機動力を発揮する。さらに人工衛星やロケットが題材ということで、ロケット工学や宇宙物理学の理論、そして北朝鮮や中東の政治状況やインターネット事情などもたっぷりと投入される。さらにさらに、シェアオフィスを活用してバリバリ働くフリーランスのワークスタイルやスタートアップ企業と投資家たち、大規模プラットフォーマーとIT長者、など現代ビジネスのトレンドやアイコンも取りこまれている。

 で、こうしたさまざまな最先端情報がこれでもかと盛り込まれた結果、本書はきわめてリアリスティックな、臨場感のある、SFながら世界の「今」をビンビンに感じさせる作品となっている。いやまったく、勉強になります。そういう意味ではサイエンス・フィクションというより、テクノロジー・フィクションといった方がぴったりくる。

 情報量が豊富なだけでなく組み合わせも巧いし、よくこなれていると思う。宇宙物理学の専門家が読んだらどう思うか分からないが、少なくとも私レベルの読者には十分な説得力がある。悪役のテロリスト側にグレート・リープなんて国際状況を絡めたテロ哲学を準備するところなども周到で、そういうところは福井晴敏を思わせる。おそらく似たタイプの作家だ。きっとものすごく勉強して書いてるんだろう。

 ストーリーの核となるアイデアは、地球をめぐる人工衛星の軌道上に配置された「スペース・テザー」、そしてそれによるテロの脅威である。「スペース・テザー」とは小さくて軽い紐のような物体で、簡単なプログラムで操ることができるシンプルな構造だが、これが多数集まって群生体となり、軌道上を自在に動くことによって恐るべきテロが可能となる。このテザーの動き、テザーを操る通信局の正体、テザー駆逐の方法などを物理学や現代テクノロジーの裏づけで解説しつつ精緻に描き出していくところが、本書のハードSFとしての真骨頂である。理系脳の人々はたまらんだろう。テザーだけでなく、テロリスト集団に対抗して主人公チームが仕掛けるハニーポッドなどもあって色々凝っている。

 しかしその半面、本書はそういう凝ったディテールをもっぱらテックギーク的に楽しむための小説になってしまい、それ以上のものがあまりないという言い方もできる。確かにストーリーは国際謀略ものとして丁寧に組み立てられている。が、北朝鮮テロリスト、スパイ、CIAと協力して戦う若者たち、という構図はハリウッドのアクション映画的で常套だし、キャラの心理描写も娯楽小説のテンプレ的といえばテンプレ的である。

 ハードSFってもともとそういうもんだという言い方もあるが、ホーガンやクラークのSFには科学理論とそれがもたらす知的興奮の背後に、宇宙的に壮大なビジョンが立ち上がるという、いわゆるセンス・オブ・ワンダーがあった。そしてそういうところが私みたいな文系人間にもヒットしたのである。贅沢を言えば、この小説にはそこまでの壮大さ、思弁性は見られない。あくまで国際謀略もの、テクノロジーを盛り込んだアクション・スリラーである。

 とはいえ、ここまで臨場感溢れる緻密な世界を構築するのはやはり只者ではない。仕掛けも盛りだくさんだし、世界中をまたにかけて多数のキャラを動かしたり、スペース・テザーをめぐるスリリングな頭脳戦を演出したりと、エンタメ小説としては十分スケールが大きい。この設計力と情報の咀嚼力、そして応用力には素直に脱帽です。



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